第四十話 動き出す運命の歯車
シリウスはダルクに導かれ、ドレッドノート地下基地を脱出した。地上に出てみれば、空は既に明るくなり始め、騒ぎを聞きつけた人々が野次馬のように群がっている。自警団もドレッドノートの一部だったため、街の収拾をつけるものがいないようだ。騎士団の姿も見えず、どうやら退散したように見える。
「騎士団の奴ら、もう引き上げたのか? 嫌にあっさりしてるが、まぁそのほうが好都合か」
ダルクはつぶやきながら、シリウスを先導する。
人ごみを避けながら、街の静かなほうへ向かう。
「待ち合わせ場所で合流したら、すぐに街を出るぞ。この街はもう用は無い」
「おい、それよりも紅は大丈夫なんだろうな」
シリウスは、あの毒に犯された紅のことが心配でならなかった。今でも、あの時自分がもっと強かったらと、後悔が募る。
「バルジの毒薬がどういうものかはよくわからない。とにかく様子を見ないことには……」
二人は待ち合わせ場所である、裏路地の一部にたどり着いた。一見分かりにくそうだが、ダルク達だけに分かる目印があった。
「あっ、無事だったんですね!」
心配そうな面持ちで、マナが待っていた。
地上に一人取り残された彼女はとても心配で心細かっただろう。泣きそうになりながら喜んでいる。
「マナ、無事だったか?」
「ええ、おねぇちゃんが助けてくれたんです」
「おねぇちゃん?」
シリウスは首をひねって辺りを見るが、それらしき人影はいない。
「もういってしまったんです。大事な用があるからって。それでここで待ってたらみんなが迎えに来るからって」
「まぁそういうことだ。マナちゃんの姉さんも、俺と同じ組織に属してる」
ダルクがしたり顔で言った。
「そうなんですか!? じゃあお知り合いだったんですね」
マナに、ダルクはあらかたの事情を説明し、これからの予定について告げた。
「ドレッドノートのほうはもう片がついたが、どうも王都での騎士団の動きが怪しい。それから、古都ノーティスの悪魔が動き始めてるらしい」
「悪魔?」
「ああ、知ってるだろ。二十年前の大戦の。奴を終戦二十周年の記念式典の裏で処刑する計画があったんだが、輸送中に脱走。目下捜索中ってとこだ」
「まずいだろ、それ。復讐に王都を襲うかもしれないだろ!」
「だからこっちでも手はうってある。上手くいく保障はないけどな」
複雑そうな顔でダルクは言い、路地裏に足音が響いた。
音のほうを振り向いてみれば、紅を背負ったイースがゆっくり歩いてきていた。
「紅ッ!」
シリウスが急いで駆け寄り、紅の様子を確かめる。依然として顔は赤く、熱そうにうなされている。状態が悪化したわけでも、よくなったわけでもない。
「イースご苦労だった。それで、紅ちゃんの様子はどうだ?」
「ダメだ、意識はあるが、とてもしゃべれる状況じゃない。何とかしないと……」
しかし、この中で魔術に関して知識のあるものはいない。まして、原因不明のバルジの毒薬となると、手の施しようが無い。
「仕方ない、少し王都からはそれるが、寄り道だ。クロスフォード学院に寄るぞ。あそこの学院長なら何とかなるかもしれない」
クロスフォード学院は、この大陸唯一の魔術師養成所で、教授として多様な知識を持つ賢者も多い。場所は確かに、王都へ向かう道から少し東にそれてしまうが、大きくそれるわけでもない。
「とにかく紅を助けるのが先だ。行くぞ、クロスフォード学院に」
シリウスは燃えるように熱い紅を背負って、歩き始めた。その後ろに、ダルク、イース、マナは続く。
中央市街の端にある乗車場から馬車を借り、クロスフォード学院に一番近い村まで馬車に乗って移動する。がたがた揺れる車内で、紅は苦しそうにする息遣いだけが聞こえた。
「なぁ、シリウス。一つ聞いていいか?」
沈黙を破るようにダルクが切り出した。
「なんだ?」
「お前は王都での事件の後、監獄島に収容されたが、どうやってそこから抜け出した?」
「……いや、違うんだ。俺は監獄島に入れられてない」
シリウスは自嘲気味に笑った。
「情報操作ってやつか……」
その答えにダルクは悔しそうに歯噛みする。
「まぁそんなところだろうな。当時の俺もよくわからなかったが、バルジの話を聞いて理解したぜ。脱獄を防ぐために、あえて監獄島に収容したという嘘を言った」
監獄島は、陸から隔絶された浮き島で、火山をそのまま利用した監獄施設がある。難攻不落、脱出不可能といわれる監獄島だが、脱獄する方法はある。それは外部からの手引き。そして、シリウスの場合は反王都勢力に脱獄を無理やり行われる危険性があった。
「だから俺は名前も知らないような片田舎の村の、それも山賊や野生生物がうろつく山奥で監禁されていた」
普通、そんな危険で無意味な場所に入り込む人はいない。地元民でも立ち入らない場所に、閉じ込められていた。そんな場所に、王都の王子が閉じ込められているとは思わない。
「だが、そんな場所にも、ふらふら現れた変わり者がいた」
ダルクとシリウス、そして黙って話を聞いていたマナとイースも、そろって紅を見た。苦しそうに息をしながら横たわっている彼女。
「俺達はもしかしたら、紅ちゃんに引き寄せられたのかもな……なんてな」
ダルクは冗談めかして言ったが、実際、紅がいなければ、シリウスは未だ暗い洞窟の奥にいて、ダルクとイースはバルジを暴くことができず、マナはドレッドノートに追い掛け回されていた。
「なんとしても、紅を救う。絶対だ」
「ああ、もちろんだぜ。ただ、一つ……いや、もう一つってとこか。聞きたいことがある」
真剣な表情のダルクに、シリウスは身構える。
「紅ちゃんの正体は何者だ? なぜあんなに魔術が使える?」
「それは……」
実のところ、本人にも分からない。なぜ、あれほどまでに理論を無視して魔術を使うことができるのか。そして、異世界という存在。
「わからない。ただ、魔術については、クロスフォード学院で何か分かるかもしれない。そして……」
王都へつけば、異世界の事も分かるかもしれない。そして、異世界へ帰る方法も。
紅が異世界へ帰ってしまったら、
(そんな事は今考える事じゃない)
シリウスは首を振り、しっかりと現実を見据える。
シリウスは王都へ残してきた妹のために、紅は異世界へ変えるために、ダルクは王都を守るために。それぞれの思いを乗せて、馬車は走り続ける。
***
中央市街から離れた所に位置する旅人用の宿泊施設、『白風』。老朽化の進む建物には、しかし頑丈に作られていて、いまだに現役で旅人を休ませていた。
その二階の一室に、ゲヘナとアイリーンは身を潜めていた。
窓から覗く、新緑の平原と青空を一瞥し、その広大な地平線の先にうっすらと見える王都の影を視界の端に捉えた。部屋に向きなおし、シンプルな構造の一室の、中心におかれたシングルベッドに座るアイリーンを見た。
「それで、聞かせてもらおうか。どうして俺にかまうのか」
ゲヘナは完治した腹部の傷をなぞりながら、アイリーンに訪ねる。
「ふふっ、もう何度もいったと思うけど。王都を救うためよ」
復讐の悪魔と化したゲヘナを助けては、逆に王都を危険にさらしているのではないか。ゲヘナはずっとそう言い返してきた。
「よく考えてみて。貴方は過去に大戦で猛威を振るったわ。けどね、それは惨殺をしたかったわけじゃない。国を守るためでしょ? 国民のみんなを守るために立ち上がった王子でしょ? 結果は確かに失敗かもしれないけど、それでもみんなを守る気持ちは変わらないはずよ」
「何が言いたい」
「貴方は、罪無き人は殺せない。騎士団の連中と幾度と無く衝突しているけれど、一般市民は殺していないわ」
ゲヘナは自分自身の言動を思い返し、鼻で笑った。
「だからなんだ。俺は人殺しに変わりないし、お前ら王都市民が俺を見る目もそれと同じだ。今更……」
「違うわ。貴方は変わるのよ。これから」
「何に変わるんだ?」
「王都を守るヒーローにね。貴方は正義感の強い人間だったはずよ。今、王都には危機が忍び寄っているように感じるわ。貴方はそれをとり払い、王都を守るのよ。罪なき市民を守るためにね」




