第三十六話 猛毒の裁き
「さぁて、てめぇは人の話を聞いてたのかぁ?」
シリウスの眼前には、額に青筋を浮かべた若いバルジが立っている。
ダルク・ハットに再び捕まったシリウスは、そのままイスに、今度は鎖が骨に食い込みそうなほど強く縛り付けられ、バルジの部屋に運ばれた。
「ったく、さっさと返事をすればいいものを。なぁ、王子様」
バルジは苛立った様子で、飾り気のない部屋を行ったりきたりしながら、何かを待っているようだ。
「俺はお前に協力する気なんてない。お前のやり方じゃ王都は崩壊する」
「ふーん、これを見てもそんなこと吐けるのかなぁ?」
にたにた笑うバルジと、シリウスの間に、一人の少女が連れてこられた。
「シリウスッ!」
「紅……くそっ、」
紅は腕を後ろに回され縛られているが、それ以外は特に怪我などは見られない。しかし、得体の知れない組織の基地につれてこられたことに不安な顔をしている。
(ちっ、紅なら大丈夫だと思ったんだが……やはりそう上手くいかないか)
自分の甘さに歯噛みし、シリウスはバルジをにらみすえる。
「さぁ、覚悟は決まったかな? それとも背中を押してもらいたいかな?」
バルジはにたにた笑いを、顔中に広げて、懐に手を入れる。そこから取り出したのは、鮮やかな緑色の液体で満たされた、注射器だった。
「おい、……それをどうするつもりだ?」
シリウスは自分の声が、変に上ずっているのを感じながら、たずねた。全身にいやな汗を感じる。もしも、あの注射器の液体が毒で、それを自分に射されるなら、むしろその方がいい。
「こいつは俺の特別製でね。安心しろ。死ぬ事はないさ、それに解毒薬もある。それでもちょっと頭がおかしくなるみたいだが……まぁ死にはしないさ」
頭の悪い子供に言い聞かせるような口調で、バルジは繰り返す。手の中で注射器をもてあそびながら。
「シリウスっ、よくわからないけど、とにかくあいつの話を聞いちゃだめ。絶対に」
紅が、蒼白な顔で、けれどしっかりと目を見て、訴えかける。シリウスの事情もよく知らないはずだ。けれど、紅はシリウスの味方でいてくれる。
「はいはいはいはい、ちょっと黙ってくれるかなぁ」
注射器の針先から、液体をぴゅっと出す。そして、その針を紅の白い腕に近づける。
「やめろっ! わかった、わかったから! それだけはやめろ!」
「ハハァ! そうだそうだ、もっとおびえた目をしなくちゃなぁ!」
バルジは楽しそうにケタケタ笑い、一人部下を呼びつけた。
「実験たーいむ。うで出せ」
部下は戸惑いがちに、身をこわばらせる。「早くしろ」と、耳元で低くささやかれ、決心したかのように腕を突き出す。その肌に、バルジは注射器を刺し、三分の一ほど、液体を流し込む。その間、部下は苦悶の表情でそれを見ていた。
「さぁ、気分はどうだ?」
まだ液体を残し、注射器を抜く。
部下の男は、一見何も以上が見えないが、よく見れば、その目の焦点が合っていない。しばらく棒立ちしていたが、口からノイズのような低いうめき声を放った。
突然、部下の男が叫び声を上げて、のどを押さえ始めた。そのまま床にうずくまり、汗をだらだらかき、床にのた打ち回る。その顔は、もう人間のそれではなく、獣のような本能的に、苦しんでいるだけだった。
「ヒィアハハッ! 見ろよ! どうしてこんなに楽しそうなんだろうねぇ!」
部下の男の頭に、足を乗せて、バルジは叫ぶ。
そして、懐からもう一本、別の注射器を取り出して、男に射す。
すると、苦しそうに暴れていた男が、水を打ったように、静まり返る。
「あ……あ……」
今度は感情が消えうせたかのような表情で、ぽつぽつつぶやく。
「まぁ、こんな感じ? まあ、生きてるだろ?」
とても、普通の人間とは思えなかった。毒の実験台にされた男も、そのさまを楽しげに見せるバルジの神経も。
「わかった。協力する。俺は……王都第三十六代王子、ヴァーリス・ミッシェルは、ドレッドノートに忠誠を尽くす」
「シリウス……?」
紅が愕然とした表情でシリウスを見る。この状況を理解することなんてできないだろう。しかし、紅を守るためにはこうするしかないのだ。それが、シリウスにできる最後の事だ。
「だから、紅には、もうかかわらないでくれ」
「ああ、いいぜ。いいだろう。もうこれっきりだ」
そういいながら、注射器を紅の腕に射した。
「!?」
誰もが驚愕する中、バルジは注射器の中の鮮やかな緑色の液体を紅の体内に、余すことなく、流し込む。紅が身をよじって逃げようとしても、バルジがしっかりと押さえ、逃がさない。
「貴様アアアアアァァァァァァ! バルジィィィーーー!!」
シリウスの怒号も、届かず、バルジの高笑いだけが、部屋に響いた。
***
白いローブをはためかせ、アルタイルは王都にある、とある地下研究施設に来ていた。研究施設はシンと静まり返り、むき出しの研究資料が廊下のあちこちに落ちている。アルタイルは廊下の一番奥、すりガラスのはめられた薄いドアを押し開けて、中に入った。
「様子はどうだ?」
アルタイルは、部屋の中にいる男、ローアン・バザーから連れてきた、ヴェッセルにたずねた。ぐるりと壁のように本棚が並べられ、そのすべてに、分厚い研究ファイルが収まっている。窓はなく、人工照明の照らす部屋の中心には、一台の手術用台が置いてあった。
「いったいこんなことをして……何を創るつもりだ?」
「それは貴様の知ることではない。それで、どうなんだ?」
アルタイルは手術台の上を一瞥する。そこには、一人の女性が寝かされていた。西洋風の顔立に、淡いグリーンの瞳。本来なら、見るものを安心させそうな顔は、今は蒼白になり、頬が扱け衰弱しているようだ。
「一応、手順通りにした。だが、どうも上手くいかないようだ」
ヴェッセルは、この息が詰まりそうな空間で、一人、ある儀式を行っていた。
「魔方陣は?」
手術台には、どこの国の言葉かもわからない呪文が所狭しと描かれている。それが円形を形どり、魔方陣を形成していた。
「問題ない。むしろ寄代に問題があるようだが」
「そうか、ならいい。おい、聴いているんだろう」
アルタイルは女性に声をかける。それまで眠っているかのように動かなかった彼女が、口を開いた。
「無駄よ……。私にはもう、力はないわ。異世界に置いてきたもの」
衰弱しきってはいるが、勝ち誇ったように彼女は言う。しかし、アルタイルはむしろその答えを予想していたかのように、笑った。
「ならば、もう一人の候補を使うとしよう。貴様もよく知る、王都に一人取り残された籠の中の少女を……」
アルタイルが口にした瞬間、跳ね起きるように女性が迫った。
「やめて! エリオーネだけは手を出さないで!」
「貴様が悪いのだ。貴様が異世界なんぞに逃げ込み、あまつさえ、その力を隠してきたなどと言うからだ」
「……アルタイル、貴方の計画はいつか必ず破綻するわ。成功なんてありえない」
「好きに言うがいいさ。貴様は既に用済みだからな」
***
「紅っ、大丈夫か?」
紅はうずくまったまま、うめき声を上げている。実験台にされた男はすぐに暴れだしたが、紅の場合は、高熱にうなされているような感じだ。
「ハァ、ハァ、シリウス……大丈夫だから……」
上げた紅の顔は、真っ赤に染まり、いやな汗をかいていた。とても大丈夫には見えない。息使いも荒く、苦悶の表情に満ちている。その頬を、一筋の涙が伝った。
(クソッ……結局、俺はこのまま、紅を守ることができないのか……あんなこと言っておいて、なさけねぇ)
シリウスは自分自身の不甲斐なさに歯噛みし、悔しさと、自分自身に対する怒りで煮えくり返る思いだった。しかし、体に巻きつけられた鎖は骨まで食い込み、身動き一つできない。
また、肝心なときに、自分が弱いせいで、大切なものを失う。
もう二度と、失いたくないと思っても、そう上手くいかない。
自分が弱いせいで。
「ハハァ。まぁこの辺にしとくか。逆らうようならもっかい注入しちゃうからなぁ」
バルジは、解毒薬である注射器を紅に射した。しかし、それで苦しみが消えるかもしれないが、意識が朦朧としたままだ。
もう二度と、前の紅には戻らないかもしれない。
しかし、紅は解毒薬を注入されても、苦しみが消える様子が無かった。
むしろ、さらに苦しみ、悲鳴にも似た、荒い呼吸が聞こえた。
「おい、バルジ……どういうことだ……」
憔悴しきった顔のシリウスがバルジをにらむ。だが、彼は気にも留めない。
「おかしいなぁ。効かないわけ無いんだが。とにかく、おとなしくいうこときかねぇと殺すかもしれねぇからな」
バルジも首をかしげながら、注射器を投げ捨てた。
その間も、紅は苦しみ、汗を滴らせ、顔をゆがませて、必死に息を吸う。
「熱い……助けて……シリウス……」
熱にうなされたうわごとのように、かすかな言葉をつむぐ。それが、余計にシリウスの胸を締め付ける。今も、心臓を締め上げられるような痛みがする。
(誰でもいい……誰か、この状況から、救ってくれ……)
悪魔にでも、魂を売っていいとさえ、思った。それぐらい、なんにでも縋ってでも救ってほしいと思った。そんなシリウスの願いが届いたのか、地下基地に腹の底にまで響くような、振動が走った。
「なんだ……地震か?」
顔を上げると、バルジがそれまでの不愉快な笑顔をさっと消し、真剣な顔でにらんでいる。
そんな中、部屋に、ドレッドノートの部下が飛び込んできた。
「バルジ氏、大変です! 攻めてきましたっ! 王都が、騎士団が!」
部下は怯えているのか、声が震えている。シリウスからはその表情が伺えないが、今にも泣きそうだ。その報告に、バルジは顔色変えず、「詳しく報告しろ。そして逃げる準備をするんだ」と答えた。
「ははっ、どうやら危機みたいだな……まぁ、街中にこんな馬鹿でかい基地作れば、さすがに感ずかれるか」
シリウスの皮肉に、バルジはもう笑わない。
「ちげぇよ。そうじゃねぇ。いいか、この中央市街はドレッドノートが作ったんだ。はじめはただのクズ共の集まりが、発展と隠蔽を重ねて、自警団を作り出し、カモフラージュとして、一般市民を地上に住まわせた。つまり、この街こそが、ドレッドノートなんだよ。そして、この基地の場所が知られたっていうことは……」
バルジの言葉をさえぎるように、基地内を振動が伝わる。
「誰が裏切りやがった……!?」




