第三十三話 地下の出会い
シリウスが目を覚ましたのは、灰色の壁がぐるりと周りを覆う地下室のような場所だった。息が詰まるような空間の中で、その男は丸い背もたれの無いイスに、気だるそうに腰かけていた。
「よう、シリウス君。いや、ヴァーリス君の方がお好みかい?」
この男、バルジと名乗った男は、派手なアクセサリーをじゃらじゃらと身につけ、素肌に直接ジャケットを身につけている。年はまだ二十代前半で、髪の毛はピンクに染まっている。目つきが鋭くギラギラする視線は、真っ直ぐシリウスを射抜いていた。
「ここはどこだ? 何者だお前は?」
シリウスは立ち上がろうとして、自分の身体がイスに鎖で巻きつけられていることに気がつく。どうやらイスごと床につながれているようで、びくともしない。
「質問は一つに頼むぜぇ。ここは中央市街のど真ん中、ドレッドノートの秘密基地ってワケだ。そして俺がドレッドノートのボス。わかったかい? 王子様」
いちいち癇に障るような抑揚で、話をする。
「何が目的だ……?」
「フフッ。王都に帰りたくないかい?」
「何?」
「だから、王都に帰りたくないかって聞いてんだよ。犯罪者、人殺し」
「だ、黙れッ!」
シリウスは叫びながら飛びかかろうとするが、イスはびくともしない。
「おいおい、そうムキになるなよ。俺だって人は殺したことがあるぜ。まあいい、それよりも、父親である国王クロード様を後ろから剣で刺し殺した王子様は、王都に残した妹さんをどう思ってるのかなぁ?」
「ツッ……」
途端に、シリウスは言葉を失った。
「王族の血を引かない彼女は今、王都でどんな扱いを受けているか知りたくないかい?」
父親は殺され、兄はその犯人として投獄。王家の血を引かない、つまり、今の彼女に味方はいない。
「し、知っているのか……?」
「ああ、もちろん。教えて欲しいのかなぁ?」
バルジは目を吊り上げて、愉快そうに笑う。
「だが、只じゃ教えてやら無いぜ。条件がある」
「……なんだ」
「王様になれよ」
「ハァ?」
「だから、王様になれって言ってんだよクソ餓鬼」
バルジの足が、シリウスの顔面を蹴り飛ばした。突然の出来事に、シリウスは何が起きたのかわからなかったが、イスに体が固定されているため、吹き飛ぶことすら出来ない。
「生意気な口きいてんじゃねぇぞ」
「チッ、わかった。だが、説明してくれ。王様になるとはどういうことだ?」
口の中が、血の味がするのを我慢し、シリウスは尋ねる。確か、父親であり、国王だったクロード亡き後、クロードの従兄弟に当たる人物が国王に就任し、事なきを得たはずだ。
「お前が親父を殺した後、王にはディーンが主任した。だが、あいつはもはや操り人形だ。今は全部騎士団の連中が政治を行ってるようなもんだ」
騎士団、二十年前の大戦で、王都を救った、北の聖地に本拠地を構える組織だ。確かに、大戦後は大きな権力を持っていた。
「あのクソ野郎共の好きなようにはさせておけねぇ。ディーンを殺し、騎士団も殺し、お前が新たな国王として、王都を導いていくのさ」
「はん、そんな馬鹿な話を信じられるか。騎士団が王都を支配しているのは事実かもしてないが、それでも国が荒廃してる様子も無い。それに、犯罪者の汚名を背負った俺が、王になんてなれるはずもない」
自嘲気味に笑い、バルジの話を一蹴した。だが、バルジはその返答を予想していたかのように、さらに顔をゆがめて笑った。
「そうでもねぇのさ、実はな、お前が国王を殺した事は国民の誰もが知っている。しかし、その理由までは知らない」
「つまり、なにが言いたい?」
「一部では……大戦後も続く、旧体制を打破しようとした革命派のヒーローとうわさされている」
王都では、確かに、きっちりとした身分制度がある。貴族と一般市民の優遇の差は大きいが、だからといって一般市民が虐げられていることは無い。ただ、この差を快く思っていない人々もいる。
他にも、様々な、いわゆる『旧式の制度』が残っていた。それは代々王族が定めてきたもので、王族が続く限り、破られることは無かった。
しかし、シリウスが国王を殺したことにより、王都の血は途絶え、結果、旧式の制度は改善されたのだろう。
「これにより、お前が脱獄し、王都に凱旋するとなれば、手を貸してくれる人々も多いぜ?」
自らの汚名返上、そして、再び王都に帰ることができる。
しかし、
「いや、俺はそんなのを望まない。血が流れてまで、帰るべきじゃない」
もし、王子ヴァーリスが再び王都に戻れば、争いは避けることが出来ない。そんなことをしてまで、これ以上、自らの手を汚してまで、あの子の元へ帰るべきじゃない。
「そうか、そうか。なら、俺にも考えがある。プロファインホテル201号室」
一瞬、バルジの言葉の意味することが分からなかった。
「ヒナサワコウ、マナ・フォンレーゼ、二名様」
「!? ッてめぇ……」
シリウスの宿泊先のホテルだった。そして、部屋はシリウスの隣、つまり、紅とマナの部屋。
「残念だったな、お前は嫌でも頷かなければならない。それとも、この二人の娘がどうなっても良いなら、それでもいいだろう」
バルジは愉快そうに唇をゆがめ、シリウスは血の味がするほど、食いしばった。
「まぁ、時間をやろう。それまでに決めておけ」
そういうと、視界の端から、屈強な男が現れ、シリウスの縛り付けられているイスごと、持ち上げられた。
その体勢のまま、モノトーンな廊下を運ばれる。抵抗しようともがいても、縛り付けられた鎖はびくともしない。
方向感覚を失いそうな、何の飾り気も無い廊下を、曲がりにまがって、一つの扉の前に着いた。扉には、厳重な鉄格子があてがわれている。
男は、扉を開け、無造作に中にシリウスを放り込んだ。右肩から床に落ち、激痛が走ったが、その直後、扉を閉められ、鍵まで掛けられてしまった。
「畜生ッ。……」
床に顔を押し付けながら、考える。
(それにしても、奴の狙いは何だ……? 俺を国王にして何か利益が……いや、もしくはその途中の過程で……。とりあえず、今はそんなことは後回しだ。ここから脱出しないと)
脱出を試みるが、鎖はガチャガチャ音を立てるだけである。
首だけを回し、部屋を眺める。天井に近い、壁の上側に、通気ダクトがある。おそらく、ここは地下だ。そして、地下室で部屋を密閉するわけにも行かない。ダクトには蓋がついているが、それをはずせば、人一人通るのは可能かもしれない。
***
紅とマナは、自警団の詰所から、ホテルに帰り、シリウスの帰りを待っていた。
「自警団の人から連絡来ないね」
もう夜中だ。今夜中にシリウスは帰ってこないかもしれない。
「もう、ほんとにどこ行ったのかなぁ」
溜息混じりに、部屋の中をうろうろ歩いていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「シリウス!? っはノックなんてしないか……」
それでもわずかに期待してドアを開けると、タキシードを着たホテルマンが立っていた。
「お客様、フロントにメッセージが着ております」
そう一言告げると、役目を終えたホテルマンは背を向けて引き返していった。
(メッセージ? なんだろ……)
シリウスがフロントにやってきたら、メッセージではなく、直接会いにくれば良い。少し不安に思ったが、迷わずフロントまで行き、メッセージを受け取った。
封を切り、中身を確認する。
中には一枚の便箋が入っているだけだった。
『逃げろ。急いで』
「……?」
紅は便箋を見つめたまま、固まってしまった。
***
狭苦しくて、身動きが取れないような通気ダクトの中を、シリウスは這うように移動していた。
幸いにも、シリウスの身体を縛り付けていた鎖は、何度もガチャガチャ動かしているうちに緩み、多少荒業になったが、抜け出すことが出来た。
(関節なんて……もう二度とゴメンだ)
若干、身体に違和感があるが、シリウスは誰にも気づかれないように移動する。バルジは時間をやると言っていたが、見回りがいつ来て脱走がばれるかわからない。
(このまま地上を目指すか……それとも、奴の油断を突いて決着させるか……)
バルジは王都を滅ぼすつもりだ。彼がなんと言おうと、事実はそうなるだろう。できれば、いや、必ず阻止しなければいけない。しかし、武器も無い中、たった一人で奴をとめることができるのか。はたまた、一度逃げ出して、それ以降、奴に近づくチャンスがめぐってくるかどうか。
そして、シリウスには一つ、気になることがあった。
ドレッドノートのボス、バルジ。彼はシリウスの正体が、王都の人殺し王子であることを知っていた。さらに、彼はシリウスを仲間にしようとしていた。シリウスをこの地下基地に連れ込んだ手際の早い。まるで、前もって計画されていたかのようだ。
シリウス、いや、ヴァーリス王子が脱走し、王都を目指す旅の途中で、中央市街に寄る確立は高いだろう。しかし、もしもヴァーリスが中央市街に辿り着かなかったとしたら。途中で蛇に食われて死んででもしていたら。それで奴の計画は破綻する。
(それに……俺は一度、ドレッドノートと接触してる……。あの時、助けに入った奴。そして、俺の顔を知っている奴……)
偽名を使って来たが、顔までは変えられない。
――俺のことを知ってると言った男。
――俺を中央市街まで連れてきた男。
――探し物があると言い分かれた男。
(まさか……な)
シリウスは首を振り、邪念を払う。
通気ダクトは、行き止まりになった。どうやらここからは垂直に伸び、地上に出ているようだ。ここを上るのは無理そうだ。
(下に下りるか……よっと)
あたりに誰もいないのを確認し、廊下の天井から降りる。足音を殺して、廊下を忍び歩く。モノトーンな廊下は幾つもの曲がり角があり、自分の位置が分からなくなるような、迷路だった。
耳を澄ますと、遠くから足音が迫ってくる。だが、この廊下には身を隠せそうな場所がまったく無い。
(まずい……見つかる!)
武器も持たない今のシリウスは、ほとんど無力だ。逃げるしかない。
足音は徐々に近づいてくる。相手がどこへ向かうのかも分からない以上、闇雲に引き返すのも、ためらわれた。
咄嗟に、曲がり角の、ちょうど明かりが角で影を作っている部分にしゃがみこむ。見ればすぐにばれてしまうような位置だが、突っ立っているよりはましだ。
足跡はぐんぐん近づく。どうやら走るような速度だ。もしかしたら、気づかずに通り過ぎてくれるかもしれない。
息を潜め、足音を聞く。
近い。
心臓が、飛び出しそうなくらい、早鐘を打つ。心臓の音でばれてしまうのではないかと思うと、余計に心音が高鳴った。額に脂汗が浮き、足が震える。
(堪えろ……)
一瞬、奇襲攻撃で襲い掛かった方が良いかもしれないという捨て身の案を思いつくが、相手が何を持っているかも分からないので、それは危険な賭けだ。
(どうする……)
足音は近づく。
そして、顔を見た。
顔には縦に、火傷のような傷跡を持つ、男だった。武器は持っていない。だが、その身体からおぞましい、莫大な魔力が流れているのを感じる。
一瞬、目が合ったのかと思った。それぐらいに、射抜かれるような存在感だ。
(ダメだ……、絶対に勝てない……)
死を直感させるような魔力。それにすくみあがり、動くことすら出来なかった。
「ん?」
廊下を通り抜ける。
(ふぅーー……)
男が通り抜け、廊下の角を曲がったところで、安堵の息を吐いた。出来れば、もう二度と顔を見たくない相手だった。
シリウスも立ち上がり、廊下を歩く。すると、一つの扉が現れた。少し、空いている。そっと張り付くように中を見た。
そこには、見覚えのある金髪の男が立っていた。
「ダルク・ハット……!」
シリウスは口の中で、枯れた声をもらした。




