第三十二話 交差する者達
「それではこちらへどうぞ」
年配の老人、ワトーに導かれ、ゲヘナは町外れの駐車場に来た。ここには、旅人の馬車が止められていて、馬達が暇を持て余していた。
その間を抜け、駐車場の一番奥に止まっている、黒い箱のような馬車に乗り込んだ。
「これから我々の本部がございます、中央市街へ向かいます」
ワトーが馬車の戸を閉めると、馬丁も見えないのに、馬車は発車し始めた。あたりはまだ日が昇らない暗い空だが、ぶつかることなくスムーズに進む。
「中央市街まではどれくらいだ?」
「半日あれば着くかと」
ゲヘナはこのあたりの地理には詳しくない。中央市街がどこなのか、また自分がどの辺りにいるのかすらわからなかった。
「中央市街で我らのボスがまっております」
「ふん」
馬車は暗い夜道を疾走する。
「ったく、あの馬鹿」
その馬車に気取られないように、一定の距離をあけ、追跡する者がいた。町で適当に馬を借りたアイリーンは、先を越されたことを悔やみながら追跡を続ける。
「でも……これは少しまずいかもね」
以前からドレッドノートの動向を探っていた彼女だったが、今回ばかりは予想外の動きだ。
一刻も早く、中央市街にて対応を取らなければならない。
背中に担ぐ棺のような鞄がギシリと鳴った。
ゲヘナは目を閉じて、身を馬車に預ける。
ワトーは静かに一点を見つめ、話しかけてくる様子はない。
ゲヘナは、静かに瞑想をしながら、ふと、自分のこれからについて考えた。
彼は生まれながらにして、狂気な無双の力を持っていたわけではない。あの戦争、あの日を境に、彼は悪魔のような力を得た。
古都ノーティスの王族で、次期国王がもう既に決定していた王子。それが彼だ。少年時代にも、その事実は既に決定し、決められたレールの上をなぞる人生だった。だが、そのレールもある日を境に脱線し、奈落の底まで落ちていった。
人体魔法刻印。
人間の素肌に、直に魔法陣を掘り込むことにより、普通では引き出せない膨大な魔力を得ることが出来る。しかし、身体に魔法陣が描かれることにより、常に、魔力が垂れ流しになってしまう。それは、外部からの攻撃を守るオーラにもなるのだが、普通は、魔力の回復が追いつかず、いつかは枯渇して消滅してしまう。
だが、彼は違う。古都の王族は代々莫大な魔力を秘める血族で、中でも彼は歴代の国王を見ても類を見ないほどの魔力だった。平和な時代にはそんなことはむしろ関係ないことだったが、戦争が始り、戦況が悪化。国家の存続が危ぶまれる危機に瀕し、国家の意思と、そして彼自身の意思で、悪魔は生まれた……
「到着いたしました。どうぞ、目をお開けください」
ワトーに囁かれ、ゲヘナは目を開けた。どうやら眠りについていたらしい。寝首を掻かれることは無いが、少し無用心すぎた。柄にも無く隙を見せてしまった。
中央市街に着くころには、既に日が昇っていた。中央市街の駐車場は、タイル舗装がされていて、馬には歩きずらそうに見えたが、ワトーはお構い無しに馬を止めた。
二人は馬車を下り、市街の通りを歩く。
ワトーの服装は、それはこの町によく馴染んでいて、ゲヘナは浮いてしまった。大通りには、そんな二人を気にも留めず、人々が多く行きかっている。
「…………」
ゲヘナは、すれ違う人々を見つめる。
二十年前の大戦。それは今の時代にも、大きな爪跡を残したに違いない。だが、今、ここで暮らしている人々は、既に大戦は過去のことだったかのように、幸せそうに、あるいは、些細なことに腹を立て、忙しそうに暮らしている。
平和。それがこの町に溢れていた。
「ちっ、気に入らねぇ」
「あまり派手なことはお控え願います」
ワトーが静かに言うと、ゲヘナを導いた。
デパートのような建物の前を通り過ぎた時、女の子の大きな声で、ワトーの言葉は遮られてしまった。
(んっ、……。なんだ、この魔力は……?)
一瞬、肌がチリッっと焦げる様な感覚が通り抜けた。だが、すぐにその感覚は消えてしまった。
「着きました」
ワトーが指差したのは、中央市街のど真ん中に位置するモニュメントのような時計塔である。一応時間を知らせてくれる役目があるが、市民は大抵待ち合わせか、その程度の役割しかない。中に入ることも出来るが、基本立ち入り禁止だ。
「ここで何をするんだ?」
「中にお入りください」
ワトーは時計塔の扉を開け、中に招き入れる。時計塔の周りには、行きかう人々が沢山いるが、誰も彼らに意識を向けない。ゲヘナはワトーに従って中に入った。
時計塔の中は薄暗く、ジメジメしていた。見る限り、石造りの壁と、上に上る梯子しかない。
「こちらです」
ワトーはしゃがみ、床の石畳をいじり始めた。どこを押したのか、スイッチのようなものが作動し、床の板が跳ね上がった。その下には、闇のように暗い階段が続いている。
ワトーは懐から松明を取り出し、階段を下り始めた。
「ふん、大都市のど真ん中に、悪の組織の総本山か。粋なマネをするな」
「それはどうも。私達のボスは粋な方でね」
ゲヘナとワトーはさらに、街の奥へと歩む。
***
「シリウス、遅いな」
紅とマナは買い物を終え、ホテルで待機していた紅とマナだが、いくら待ってもシリウスが帰ってくる気配が無い。
「安全な町と聞いていますから、事件に巻き込まれたりとかはしていないと思いますけど……」
マナも心配そうに、部屋の中を行ったり来たりしている。
「うーん、だとすると……この街にはシリウスを魅了するなにかがあるって言うの!?」
「ど、どうしましたか?」
「探しにいこ!」
紅は思い立ったがすぐに、ホテルを飛び出した。その後ろを遅れないように走りながらマナが着いてくる。
街は既に日が傾いていた。もう数十分で日が沈んでしまいそうだ。街を行く人々も急ぎ足に帰路に着いている。その波に逆らうように、紅はシリウスを探して歩く。
「あ、そうだ、紅さん。闇雲に捜すよりも良い方法がありますよ」
「えっ、どうするの?」
マナがなにか思いついたようだ。タロットカードで探査とか出来るのかと期待したが、それは案外あっけないことだった。
「警備団の人たちに聞けば良いんですよ」
警備団といえば、街の入り口の門で、紅たちを止め、住民票を要求してきた人もそうだ。
「頼りになるの?」
正直、門番からはいじわるな印象を受け、少し心配だった。
「はい、街の中に詰所があるので、迷子の人とかわかるかもしれません」
シリウスが迷子というと、少しおかしかったが、警備団というと、紅の世界でいう警察のようなものだろう。交番の代わりに詰所を捜して、街を歩いた。
幸い、街中の色々なところに、それはあった。
引き戸を開け、中に入ると、気のよさそうな中年男性が制服に身を包み、紅を一瞥した。
「何かようかい?」
「人を捜してるんです」
そういうと、まるで予想していたかのように、クリップボードを取り出して、「はいはい、ではその人の名前と特徴を……」と聞いてきた。どうやら、迷子は多いらしい。
「えっと、名前はシリウス・グランジです。特徴は……」
シリウスの思いつく限りの情報を中年男性に伝えていく。それを丁寧にメモを取る。
「はい、じゃあ何かわかったら連絡するから君達の名前と住所を教えてくれる?」
「雛沢紅と、マナ・フォンレーゼです。住所は滞在先のホテルで良いですか?」
その後、ホテルの住所(覚えていなくて伝えるのに苦労した)を教え、「もう暗いから送っていこうか」という警備団の人に促され、ホテルに戻った。
「シリウス、どこへ行ったんだろうね」
「どうでしょう……危険なことになっていなければ良いのですが」
***
ゲヘナはワトーの後ろで、狭苦しい地下通路を歩いていた。所々に足元を照らす明かりがあるだけで、他には何も無い。壁は無機質な灰色で、ヒビ一つ無い。歩いているだけで息が詰まりそうだった。
「こんなところに住んでるなんて、そうとうな根暗野郎なんだな」
「ボスの前では、そういうことはお控えください」
差して気にする風でもなく、ワトーは答える。
それよりも、ゲヘナが感じていたのは、この地下基地のある場所だ。地下に基地を作るのは、そこまで珍しくないが、ここは大陸一の人工都市の地下である。まして、ここの警備は厳しいのだという。確かに、意外性があって見つかりにくいという点もあるが、それにしても危険な綱渡りだ。
「こちらになります」
ワトーは何度も角を曲がり、ゲヘナの方向感覚がおかしくなったところで、一つの扉を指差した。ゲヘナは久しぶりに壁以外のものを見た気分だった。
扉をくぐると、広い空間が広がっていた。広い。ただそれだけが特徴といえるだろう。直方体の空間に、また壁があるだけだった。そして、部屋の中心には、一つのデスクが置かれている。
男はそのデスクに腰かけていた。
「ようこそ、古都ノーティスの悪魔。歓迎しよう」
男は黒いシャツにスラックス、ワイルドな顎鬚にオールバックの黒い髪。ダンディな三十路くらいの男で、自信のある含み笑いをしていた。
「おまえがドレッドノートのボスか」
「そう、私がバルジ。よろしく」
バルジは手を差し出し、握手を求めたが、ゲヘナは応じなかった。
「ふふっ、握手はお互いに武器を持っていないことを証明する挨拶なんだがな。まぁ、君の場合は関係ないか」
「御託はいい、さっさと本題に入ろうぜ」
ゲヘナの催促に、より愉快に顔をゆがめた。
「王都グラン・アビィリア。その国王を殺害しようじゃないか」
「…………」
「まぁ、君にとっては復讐になるのかな。二十年前の大戦で祖国を破った王都に向けての報復」
「それでお前達に何の利益があるんだ?」
曲がりなりにも、彼らも王都民だ。余計な混乱は彼らにも被害が及ぶだろう。
「利益。そうだな。俺達には利益が無いかもしれない。だが、国民の求める正義を手に入れることが出来る」
「ふん、なに寝ぼけたことを。お前達が王都を滅ぼしたら、国民は路頭に迷うぜ?」
「何も王都を滅ぼすとは言っていないさ。国王を殺すのさ」
「それが何の正義になる」
「いいか、君は知らないかもしれないが、大戦後の王都で、少しゴタゴタがあってね。一時王都は、いつ革命や反乱、暴動が起きてもおかしくない状態に陥った。だが、そんな混沌とした状況を救ったものがある。おまえもよく知る、あの白い騎士団さ」
「チッ……」
苦い顔でゲヘナは舌打ちする。
「奴ら、騎士団はもともと王都よりもはるか北の大地に本拠地である大聖堂を構える一つの宗教団体だったのさ。大戦で君を葬った功績で、騎士団のまとめ役である大教皇はかなりの発言権を得た。そして、混乱している王都で、奴らは神の教えを説き始めたのさ。縋るものを失った国民には、その神の教えが救いの手に見えたんだろうな、程なくして、混乱は収まり、国民は奴らの宗教に感謝した」
「それで、お前の言う正義ってのは?」
「騎士団は今、王都のかなり深いところまで喰い込んでやがる。実質、国王はただの人形で、大教皇が国を治めてるようなもんだ。そんなのが許せるか?」
ゲヘナは黙ったままだ。
「そこでだ。君の復讐は、厳密に言えば、騎士団に対してだ。私達は騎士団を潰して新しい国家を作り直す。どうだ? 協力してくれるか?」
「お前たちの話はわかった。だが、お前と協力して何の得が俺にあるんだ?」
「お前一人じゃ騎士団に勝てない。殺されるのが見えてるさ」
一層、ゲヘナは顔をゆがめて怒りを露にした。
だが、バルジは臆せず、続ける。
「俺達と協力すれば騎士団を全滅させることが出来るぞ?」
「どうやって?」
「騎士団は確かに、いけ好かない野郎どもだが、国民に危害を加えたりしない。つまり、そういうことさ」
「民間人に紛れて戦うのか。確かに、この爺さんが襲ってくるとなると、向こうも戦いづらいだろうな」
後ろに立つワトーを指差しながら言った。
このドレッドノートという組織を見る限り、確かに一般人に紛れ込んでも不自然ではなさそうだ。そして、騎士団は反撃しようにも、関係ない一般人を巻き込むわけには行かず、やられる一方になる。
「……面白い、それなら、もしかしたら勝てるかもな」
「では……」
「却下だ。話にならねぇ」
「どうして!?」
バルジは驚き、飛び掛るようにゲヘナに迫る。それまで落ち着いていた彼が初めて動揺した。
「俺は俺一人で決着を付ける。そこに、お前らの言う正義だとか、国民だとかは関係ない」
ゲヘナはバルジに背をむけ、来た道を引き返そうとした。
バルジは「……仕方ない、のか」とうわごとのように呟いている。
その姿を見て、ゲヘナは思い返したように足を止めた。
「そうだ、まだ一つ忘れてたぜ」
「ん?」
バルジが顔を上げた瞬間、ゲヘナの手が彼の顔を覆った。こめかみに指が食い込みそうなぐらいの力が込められる。
「後始末、しないとな」
「や、やめろ……!」
膨張するように、ゲヘナの右腕に魔力がたまる。黒色の魔力は彼の皮膚から零れだし、彼の周りを不穏に漂う。バルジは音が聞こえなくなり、視界が赤く染まり始める。ゲヘナの右腕に、奇怪な紋章が浮かび上がる。魔力が流れると、不気味に青白く光る紋章こそが、彼に無敵の力を与えるものだった。
部屋の中の空気が歪み、ゲヘナの魔力が暴発した。途端に噴出される魔力の塊に、顔面を粉々に吹き飛ばされ、バルジの胴体部分が一直線に壁に激突する。
轟音が響き、部屋の中を反響する。
「一応、手加減はしといた」
首を失った胴体は、人形のように、だらりと崩れ、霧散した血しぶきがあたりを赤く染める。
ドレッドノートのボス、バルジはあっけなく殺されてしまった。
「おお……」
もはや言葉が出ず、ワナワナ震えているワトーを適当に蹴り飛ばし、ゲヘナはこの息が詰まりそうな地下空間を出ることにした。
***
「ん……ここは……?」
シリウスは、肌を叩くような轟音で目を覚ました。
辺りをぐるりと覆うのは、灰色の壁。地下のようで、窓一つ無く、薄暗い明かりがモノトーンの部屋を照らす。何も無い大きな部屋の真ん中には、丸い小さなイスに腰かけた一人の男がいた。
「ようこそ、王子様。俺がドレッドノートのボス。バルジ様だぜ?」
多少長く書きすぎた気がしますが、気にしないことにしましょう。楽しくなってきたので、良しとします。自分が楽しければそれで良いのです。




