第三十話 王都に迫る影
「……。ここはどこだ?」
ゲヘナが身を起こし、辺りを見回すと、どうやらどこかの宿のようらしい。今、彼はベッドの上に横たわっていたようだ。身を起こしたことにより、掛け布団がめくれた。
(……、俺は、寝てたのか……?)
寝る。気絶ではなく、寝る。
それは、遠い昔の習慣だった。この二十年、彼は一睡もしていなかったのだ。しかし、それが彼にとっては取るに足らない些細なものでもある。
ベッドから立ち上がり、部屋を物色する。ありふれた宿の一室のようだが、部屋の片隅に大きな棺のような荷物がある。
「あの女の持ち物か……」
棺に触ろうとした。
「あっ、目が覚めた?」
扉が開き、素知らぬ顔で女が部屋に入ってきた。ゲヘナは荷物に伸ばした手をさっと戻し、部屋に入ってきた女に向き合った。
「おまえは何者だ? どうして俺を助けた?」
女はイスに腰掛け、無言でゲヘナにも座るように促した。渋々ゲヘナも従い、女が話し始めるのを待った。
「私の名前はアイリーン。アイリーン・フォンレーゼよ。おまえじゃないわ」
「戯言はいらない。どうして俺を助けたのかを聞いてるんだ」
詰め寄ると、アイリーンは鬱陶しそうに首を振って話し始めた。
「二十年前の大戦時、古都ノーティス側が劣勢になった時、前線に一人の戦士が現れた。後に悪魔だの地獄だの呼ばれた彼は、たった一人で王都側の戦士を薙ぎ払い、一夜にして戦局を一転させた。王都滅亡も時間の問題とまで言われたが、王都側から真っ白い騎士団が派遣され、対悪魔用術式によって彼は力を封じられ、拘束された。当時、処刑されなかった、することが出来なかったが、彼は監獄島に閉じ込められ、再び大地を踏むことは無いと伝えられた……。そして、貴方がその、」
「悪魔だ。間違いない」
ゲヘナは自ら言葉をつなぎ、肯定した。
「だが、それを知って、何故助けた? あのままにしておけば、例の白い騎士団が俺を再び拘束してくれただろうに」
「それじゃ困るから。具体的に言えば、王都が滅ぶかもしれないからよ」
「本望だ。滅ぼしてやる」
ゲヘナは、祖国の恨みをこめて、吐き捨ててやった。だが、アイリーンは顔色一つ変えない。
「……確かに、貴方にとって見たら、私たち王都の人間は滅ぼすべき敵かもしてない。でもね、もうアレから二十年たっているの。大戦後に生まれた人たちも多くいるわ。それを滅ぼすなんて、貴方は本当に悪魔になってしまうわよ?」
「……ふん、まあいい。だが、どうして俺があのまま白い騎士団に捕まると、王都が滅びるんだ?」
どちらかといえば、滅びるのはゲヘナ自身だ。
「実はね、王都側の人間でも、今の国王が気に入らないって人たちもいるの。もっと簡単に言えば、世界征服を企んでる連中がいるのよ」
「ふーん」
ゲヘナは興味なく頷き、アイリーンは頭を抱えそうな溜息をついた。
「そいつら、ドレッドノートっていう組織なんだけど、王都転覆に貴方を利用しようと考えてるみたいでね。あのまま騎士団が輸送していたら、王都のど真ん中で貴方を暴れさせることになっていたわ」
その言葉を聴き、ゲヘナは急に怒りが湧き上がってきた。人を道具のように考えている。
「待て、一つ聞かせろ。どうして俺は二十年ぶりにあの島から引っ張り出され、王都に向かってたんだ?」
「そんなの簡単よ、終戦二十周年の式典の裏で、秘密裏に貴方が処刑されることになってるのよ」
ふと、顔に走る火傷のような傷が疼きだした。
二十年前は、処刑することが出来ず、誰にも彼を殺すことが出来なかった。だから仕方なく、あの島に封印されていた。しかし、時代は流れ、彼を殺す手段が生み出された。
もはや最強ではない。
悪魔でも、地獄でもない。ただの死刑囚。
「クソが……」
「それにね。今の貴方じゃ、王都に乗り込んでも返り討ちにあうだけよ」
ゲヘナの脳裏には、先ほど戦闘を行った白い騎士団が浮かぶ。ラインハルトに傷つけられ、アルタイルには、立ち向かうことすら出来なかった。
今はもう、二十年前のようには行かない。
「……悪いな。俺は一人で行動する」
「待って、私が協力するから……」
「黙れ。なに企んでるか知らねぇが、俺はおまえを信用しない。殺すぞ」
部屋を出て行こうとしたところを、ひきとめようとしたアイリーンを睨みながら言った。
肩にかかった手を振りほどき、彼は部屋を飛び出した。
外に出ると、辺りは暗かった。気を失ってから、どれくらい時間が経ったかわからないが、今はそんなこと関係なかった。
後ろからアイリーンが追手これないように、素早く道を反れ、人気の無い場所に入る。
知らない町だ。そもそも、ゲヘナはこの辺りの地理なんて知っているはずが無い。あまり大きくない町のようだ。ここからどこまで歩けば、王都に辿り着くのかもわからない。
「よろしいですか? そこの御方」
背後から声が聞こえた。ゲヘナが振り返ると、壮年の黒いローブを纏った老人が立っている。腰は曲がっていないが、顔に刻まれた皺が時代を物語っている。
「失せろ。構ってる暇はない」
「ほう、ですが、騎士団がもうすぐそこまで迫ってきてますが?」
老人は特に感情をこめず、平坦に言った。
「……ちっ、どいつもこいつも……」
「申し遅れました、私の名はワトー。ドレッドノートの一員でございます」
ドレッドノート。それはあの女、アイリーンが言っていた、王都を転覆させ、世界征服を企むろくでもない組織。そして、彼らはゲヘナを利用しようとしている。
ゲヘナは身構え、臨戦状態になる。
「構える必要はございません。私たちは貴方と共同戦線を張りたい、と考えております」
「共同戦線?」
「左様でございます。失礼ですが、貴方の経歴は私達の方でも掴んでおります。つまり、王都に対する復讐を、お考えではありませんか?」
「……」
しばし、考え込む。
自分は古都ノーティスの人間で、戦争をきっかけに無敵の力を得た。その力で王都軍と戦ったが、勝負に敗北し、祖国を守ることが出来ず、今はこのザマ。自分に出来ることといえば……滅ぼされた祖国の敵を討つこと。
「それで?」
「私達も王都の政治には疑問を持つのでございます。国民には正しい正義を与えられるべきだと考えております」
「……つまり、一緒に王都を滅ぼそうって話なんだろ?」
「はい」
老人ワトーは、力強く頷いた。
「……ふっ、面白い。いいだろう。俺も王都転覆に参加してやる」
ゲヘナはにやりと笑って答えた。
***
「よし、じゃあ出発するか」
シリウスと紅を先頭に、一行はヘミシアの町を出発した。
町で必要の品々を買い込み、中央平原を歩いて縦断することになった。結局、シリウスの剣はないままだが、中央市街に着けば、武器屋もあるらしい。
平原は雲一つ無い快晴で、風が吹き、心地よい気候だった。草原の中にのびる一本の道を並んで歩きながら、紅は横にいるシリウスに尋ねた。
「ねぇ、どれぐらいで中央市街に着くの?」
「そうだな……数日はかかる」
「そんなに!?」
地図上で見れば、中央平原と一口で言ってしまえるが、実際の距離は大陸の大半を占めるため、かなり大きい。その上、移動手段は徒歩となるため、更に時間はかかる。
「馬とかがあれば楽だが、そんな金も無い。少しでも早く王都に着くには地道に歩くしかない」
シリウスの言葉に、少し先行きが重く感じる紅だった。
「まあでも、途中に小さな町や集落もあるし、中央市街を抜ければ王都ももうすぐだ」
シリウスは励ますが、紅はやっぱり不安を拭い去ることが出来ない。それでも歩くと決めたのだが。
中央平原を歩き始めて数時間が過ぎると、日も傾いてくる。日没になり、あたりが暗くなれば、テントを張ってキャンプをするしかない。さすがに、平原にナイトウォーカーが沸くことは無いが、豊富な野生生物が活発になる時間帯に歩くのはよくない。
そのまま、移動を続けるだけの日々が過ぎていた。
「うー。もう平原は飽きたかも……」
「そうですねー。初めのうちは心地よかったんですけど……」
紅とマナはお互いにへばり付くような感じでだらけている。女の子二人には、平原越えは厳しいようだ。
「おい、お二人さん。どうやらオアシスが見えてきたみたいだぜ?」
ダルクが、どこからか取り出した小型の望遠鏡で地平線の先を眺めながら言った。紅は渡された望遠鏡を覗き込んで、思わず声をあげて喜んだ。
「街だ! ねぇ、あれが中央市街なの?」
「わっ、私にも見せてくださいっ!」
マナが望遠鏡を欲しそうに、紅に飛びつく。
紅の目には、平原のど真ん中に広がる、規律正しい並びで建っている家々や、道路。更には背の高い建物までが見える。大自然の平原の中に、突如人工で出来た巨大都市が見えてきた。
「ほら、もうすぐなんだ。早く行こうぜ」
シリウスに促され、再び一行は歩き始めた。
執筆に間が空いてしまうと、ついつい何を書いたのか、どんな伏線を張っていたかということを忘れてしまいがちです。以前に書いた部分を読み直せばいいのですが、当時書いていたときに思っていた構想と、今書こうとしていることが若干違っていたりします。困りものですね。




