第三話 熊と炎剣
紅は森の中に引き返していた。
シリウスを追っているのだが、しかし既に彼を見失ってしまった。
さらに、先ほどは彼のアシストのおかげで慣れない森の中でも走りやすかったが、一人ではそうも行かない。
しばらく走ったところで息が切れ、近くの岩に座り込んでしまった。
「ふう、一休み」
何気なくポケットに手を入れると、何かを掴んだ。
それはケータイ電話だった。
(やっぱり圏外か……)
わずかな望みを持って開いたが、その望みは儚く消えた。
(それにしても、ここはどこなんだろう。日本じゃないよね)
海外だったとしても、どうしてそんなところに紅が来ているのか。
思い返せば、シリウスにも言葉が通じた気がするし、相手の言葉の意味も理解できた。
(ま、そんなことはあと! とにかくシリウスを捜さないと)
見つけてどうするかも考えていなかったが、とにかく彼とはもう一度話をしなければいけないと考えていた。
腰を上げて、再び森を歩き始めた。
***
その紅を、木の上から見守っている者が居た。他でもないシリウスだ。
紅の動きに合わせて、枝から枝へ飛び移る。
(まったく……なんなんだアイツは。この森には野生の獣だって居るんだぞ)
紅がついてこないように、自分が犯罪者であることを言ったのに、ついてきてしまっては意味がない。そして、このまま彼女を見捨てるのも後味が悪い。
仕方なく上から見守ることにしたが、それもあまり良い方法ではないみたいだった。
(どこに行くつもりだよ……)
当てもなくフラフラ森を進む紅にイライラしながらも、シリウスは監視をやめなかった。
(ん……? あれは)
木の上から見渡すと、ちょうど先ほど打ちのめした山賊たちが起き上がり、血眼になってシリウスを捜しているのが見えた。
このまま行けば、紅と鉢合わせする。
(先回りしてまた黙らすか……)
枝を飛び移ろうとした瞬間、男達の悲鳴が聞こえた。
咄嗟に見下ろすと、そこには体長二メートルを超える巨体の熊が、まさに山賊に飛び掛っていた。
(まずい、ワイルドベアーか!!)
男達を薙倒したワイルドベアーは、ちょうど草むらを挟んで紅を見つけた。
「な、なに……?」
紅は、突如自分の前に現れた怪物に、思わず腰が抜けてしまった。
同時にワイルドベアーはじりじりと紅への距離を詰める。今にも飛び掛りそうな気配だ。
ワイルドベアーは、紅の世界の熊とそう変わらない見た目をしていた。
丸く筋肉質な体を持ち、茶褐色の体毛の獣は、牙を剝き紅をにらむ。
「クソがぁ!!」
罵声とともにシリウスは木から飛び降り、膝蹴りをワイルドベアーの顔面に突き刺す。
その衝撃でワイルドベアーはひるみ、一瞬の隙を得る。
「ほら、逃げるぞ」
腰を抜かしている紅の腕を再び握り、ワイルドベアーから逃げ出す。
「シリウス!!」
「説教は後だ、今はアイツから逃げるぞ!」
目線で、後ろからブルドーザーの如く木を薙倒して疾走するワイルドベアーをさし、足を速める。
時折、横の小道に入りワイルドベアーとの距離を保つ。
ワイルドベアーは、いかに速度が速くともカーブが続けば逃げ切れるかもしれない。
一縷の望みにかけ、二人は足を動かす。
「どうするの!?」
しかし、このままではジリ貧になることは目に見えてる。熊と人間の体力は比べるまでもない。
「ああ、おまけにアイツは魔力を持った獣、ワイルドベアーだ。並みの攻撃なんて感じないはずだ」
「魔力!?」
紅は耳を疑いつつ、今はそんな状況じゃないことを思い出す。
とにかく逃げ切らなければ。
「あっ!?」
途端、紅は木の根に足を引っ掛け、転んでしまう。同時に、シリウスの手が離れてしまった。
紅が見上げると、既にワイルドベアーが覆いかぶさってきていた。
「あ、い、いや……」
生命の危機を感じ、叫ぶことすら出来ない。
今、まさにワイルドベアーがハンマーのような腕を振りかぶる。当たれば頭蓋骨など軽く吹き飛ぶだろう。
「っ!??」
紅はギュッと目を瞑って身構えたが、腕は来ない。
「逃げろ!!」
見ればシリウスがワイルドベアーの胸に飛び込み、地面に向かって押し倒している。しかし、これはほんのわずかな時間だけだろう。
その直後にはワイルドベアーも立ち上がり、その腕をシリウスに振り下ろす。しかしシリウスは横に飛んでこれを回避し、反撃の蹴りを入れるが、効いている気配がない。
「ちっ、ダメか!」
ワイルドベアーの足蹴りがシリウスの頬を掠める。身を縮めて回避した彼に、ワイルドベアーのアッパーが迫る。回避できる距離、速さではない。
シリウスは腕をクロスさせ防御するが、ワイルドベアーの爪と拳の衝撃で体は吹き飛び、木に直撃する。
その腕からは血がとめどなく流れ出す。
「う、くそっ……」
大量出血と打撃のダメージから意識が朦朧とする彼に、トドメを刺そうとワイルドベアーが迫り来る。
今まさに、最後の一撃を振り下ろした。
「ダメぇぇぇぇぇぇ!!」
紅は、ワイルドベアーとシリウスの間に割り込んでいた。
何の力もない彼女では、ワイルドベアーの一撃を受け止められない。ましてこの一撃であっさり殺されるだろう。
それでも、彼女には、このままシリウスを見捨てて逃げることなんて出来なかった。
見捨てることなんて出来るはずがない。
――――たとえ、この身が朽ち果てても。
彼を、守りたい。
「な、何だこれは……?」
シリウスの目には、紅の胸にかかったペンダントから、炎の剣が突き出しているように見えた。
轟々と炎を散らし、太陽のように輝く炎剣は、普通の剣とは比べ物にならないくらい大きい。
事実、それは真っ直ぐに伸び、ワイルドベアーの鋼鉄のような体を、さながらバターでも切るかのようにあっさりと貫通している。
「これは……魔法なの?」
紅は自分自身の行ったことに驚き、少し嬉しかった。
どうして嬉しいのかは、よくわからなかったが。
ワイルドベアーは、胸に風穴をあけ、後ろに崩れ落ちた。
もうピクリとも動かない。
「助かった……のか」
シリウスが安堵の声をあげる。それとともに、紅もペタンと座り込んでしまった。
「ふう、何とかなったのね」
そう言ってシリウスの方を見て、ギョッとした。
彼の腕は血だらけで、今も血がドクドク流れてる。早く応急処置をしないと危険かもしれない。
「ど、どうしよう!?」
紅は特に医療の知識はなかった。よく映画とかで服をちぎって止血をするが、どこをどう締めれば良いのかわからない。
「大丈夫だ、大丈夫。とりあえず……村まで、」
シリウスは立ち上がろうとしたが、クラッとして紅に寄りかかってしまった。
そんな様子では満足に走れないだろう。
「ちくしょう……三年も牢屋はキツイな……」
自嘲気味に笑って、それでもなんとか一人で立ち上がる。
「どうしよう……だ、誰か……」
紅は助けを求めるように森を見回した。
「おーい、そこの人たち。大丈夫か~!?」
森の奥から人の声が聞こえる。
こちらに向かってきているのは、どうやら山菜取りのおじさん三人組だった。
「おい、怪我しているのか? 安心せぇ、止血法はわしらが心得とる」
そういって自慢げに包帯と薬草を取り出し、シリウスの応急処置をそそくさとはじめる。
そのうちの一人は驚きながらワイルドベアーの亡骸を見ていた。
「こいつはお前さんたちがやったのか!?」
「ええ、まぁ」
紅自身も信じれなかったが、事実彼女は魔法のようなものを使い、ワイルドベアーを倒したことになる。
「こいつを譲ってくれねぇか?」
おじさんは期待の眼差しで聞いてきた。
「な、何に使うんですか……?」
「いやいや、こいつの毛皮はなかなか強くてね。加工して売るんだよ」
結局、このワイルドベアーの亡骸と引き換えに、シリウスの治療と村への案内、さらに一泊の宿など手厚い歓迎を約束してくれた。
なんでも、このワイルドベアーに襲われる山菜取りの人が続出し、治療道具は必需品になっていたとか。そのワイルドベアーも退治してくれたお礼もあるのだという。
その後、傷ついたシリウスを担いで村の宿屋まで向かった。




