第二十一話 裏切りの街、流れる時間
監獄島の先端に位置する船着場には、一隻の巨大な船が停泊していた。中には、全員が一様に白で統一された服装の、騎士や魔術師が乗り込んでいる。
その船に、一人の男と、一人の投獄者が歩み寄る。
「俺をここから出すつもりか? どうなってもしらねぇぞ?」
投獄者は、横を憮然と歩く男に吐き捨てた。男は顔色一つ変えず、歩き続ける。辺りはまだ暗い、船を出すには夜が明けた方が良いのだが、そんなこともお構い無しに出航の準備がなされる。
「一つ忘れていることがある、当時、地獄とまで謳われた貴様を、この息が詰まる監獄に納めることの出来る力を持つものたちは誰なのか」
投獄者の脳裏には、戦場で突如現れた白服の集団を想起させられた。
「テメェたちが、まあいい」
諦めを込めた溜息をつき、投獄者は船に乗せられる。
「ところで、貴様。名をなんと言う?」
「名は無い、好きなように呼べ」
投獄者、それ以上の名前は無い。
「では、当時のように。地獄と、便宜上呼ばせてもらおう」
白い男は、船室の一番奥、幾つもの封印術式が施された一室へ招いた。
船は出港し、監獄島を後にした。
「目指すは……王都、グランアビィリア」
白い男はそう、囁いた。
***
シリウスは夜の鉱山都市を駆け抜けていた。街中には山賊のような者達があふれているが、良く見れば昼にバスで出くわした者達や、酒場で飲んだくれていたものまで混ざっている。
(とんだ街に着ちまったみたいだな……一つの組織みたいに統制感がある)
シリウスは、宿で既に紅とマナの姿が見えないのに気づき、奴らに先を越されたことを知ったが、大体の監禁場所はめぼしが着く。だが、そこまでの道を、ことごとく山賊が埋めてしまっている。
(まずいな……俺を徐々に追い込んでいやがる)
奴らにも、大まかな位置はつかめているのだろう。地の利は向こうにある。
「おや、こんなところに隠れていたのですか」
シリウスの後ろから、声がかかる。
振り向けば、温和な笑顔をしたアーバスが息を切らしている。今までシリウスが隠れていたのは、街の南端にある建物の屋根、平たい屋根だったので上るのは容易く、街を見回すにはうってつけの場所だ。
「捜しましたよ、さぁ、一緒に逃げましょう」
「そうだな、まず、その右手に隠した凶器を捨てろ」
シリウスが言うと、ピクリと額に青筋が走った。
渋々、背中に回した右手を、前に差し出す。形状は普通のナイフだが、刃が紫色に変色している。おそらく、たっぷりと毒が染み込んでいるのだろう。
「気づいていましたか……ご安心ください、まだあの二人は生きてますよ」
「ちっ、やっぱり捕まってやがったのか」
シリウスはつばを吐くと、剣を握り締める。
「おやおや、野蛮ですねぇ、言っておきますが、二人を『生かしておいてあげてる』と言うことをお忘れなく」
アーバスの顔が、それまでの温和な笑顔から一転、皮肉に歪んだおぞましいものとなる。
「馬鹿が。紅のことを良く知らないな……」
「なに?」
「魔術師、だったらどうする?」
「それはそれは……しかし、貴方達も何か勘違いしていませんか?」
アーバスは、徐々に声色が、気のよさそうな青年から、皮肉っぽいシニカルなものに変わる。
「ドレッドノート、というのはご存知ですか?」
***
「ドレッドノート?」
「はい、おねぇちゃんが追いかけてた悪党の組織です。その全貌は謎に覆われ、噂によれば、時には下請けの小企業、時には大規模な闇組織、時にはただ一人の殺し屋とも言われています。ですが、おねぇちゃんはその手がかりを掴んだみたいで……」
倉庫の中、これまでの経緯をマナが話していた。
倉庫の中には、紅の炎で、マナの持っていた占いの小道具であるろうそくに火を灯していた。じめっとする空気をこらえながら、紅は尋ねる。
「それで居なくなっちゃったの?」
「はい、私はどうしたら良いかわからなくて、とにかくおばあちゃんのところへって思って。すいません、黙ってて。まさかこんなことになるとは……」
「いいのいいの。それじゃあ、バスで絡んできた三人組はやっぱりその組織の奴なの?」
昼のバスでの出来事を想起した。
「だと思いますけど……弱すぎませんでしたか?」
その世界では有名な組織の一員なら、あの程度で引くとは考えにくい。
「芝居……だったのかもね、誰かを引き立たせるための」
よし、といいながら、紅は腰をあげる。
「どうするんですか?」
「こうすんのよ」
途端、紅の手のひらから放たれた炎剣が、分厚い倉庫の壁を吹き飛ばした。
「さあ、行こ」
紅はマナを手招きした。
***
「ドレッドノートか、それは良いことを聞いた」
シリウスはにやりと笑う。
それまで、噂にしか聞いたことの無い組織、その実態を目の当たりにしたというのは、なかなか出来る体験ではない。
だが、もちろんアーバスにも、軽々しく喋ってはいけないこととわかっている。
「逃がす気は無い、ということですよ?」
瞬間、両者の得物が交差した。
どちらも一歩も退かない。先に次のモーションに動いたのは、軽いナイフを持つアーバスだった。素早く身を低くしてシリウスの懐に入ろうとする。だが、その動きを予測していたかのように、シリウスの右足が打ち上げられる。
「ッツ、変わった動きですね……」
顎をかすり、一旦退くアーバス。
シリウスは、ついこの間の一人の剣士との戦いを思い出す。
「断然……遅いぜ」
シリウスは既に、アーバスと眼前の距離まで迫っていた。慌てて対応するが、ナイフでは剣を受け止めるのに、少々難がある。
シリウスの剣先が、アーバスの腕を切り裂き、その手に握るナイフを弾き落とす。
その勢いのまま、シリウスの右足による回し蹴りがアーバスの腹部を直撃し、建物の屋上から吹き飛ばす。ちょうど路地裏のゴミ箱に直撃する。
「ははっ、良い気味だ」
シリウスは言い残し、屋上を後にした。早く紅たちを捜さなければいけない。
***
飲食店の倉庫の扉が急に吹き飛んだ。その付近に立っていた見張りの男が二、三人巻き込まれ、巻き上がる埃の中から、二人の少女が飛び出す。
「何だと!? 小娘、何をした!?」
「こうしたのよ!」
店主である大柄の男は、巨大な斧を構えていた。その顔面目掛けて炎剣を放つ。
いきなり飛んできた魔術に戸惑いながらも、斧で炎剣を切り裂き、相殺すると、怒号を飛ばして援軍を呼ぶ。
「気をつけろ、魔術師が居るぞ!!」
店先からも沢山の男達がなだれ込んでくる。狭い店内で、キッチン側に紅たちは追い込まれる。
(まずい、ボーガンみたいなの持ってる奴も居る……よし、)
「かかれ!!」
大柄な男の掛け声で、一斉に攻撃が放たれる。ボウガンの矢が、一同に紅を狙う。
「マナ、気をつけてね!」
紅は一瞬、身を屈め、床に手を着いた。もちろん、矢をかわすためではない。
紅たちと、男達の間に、壁のような火柱が上がった。飛んで来た矢は、一瞬で焼け落ち、男達は攻めあぐねることになる。
だが、このままでは紅たちも、出口へ向かうことが出来なくなる。つまり、この火柱が消えた瞬間、再び一斉攻撃を喰らうことになる。
男達は、火柱のせいで暑くなった店内で、じんわり手に汗を握らせながら、攻めの瞬間を待つ。
「消えるぞ……今だ!」
掛け声とともに、火柱が弱まった。その期を逃さず、男達はキッチンに乗り込むが。
「クソッ! やられた!」
キッチンに二人は居なかった。
かわりに、人が一人、優に通れそうな大穴が開いていた。
紅の魔術にかかれば、建物の壁を突き破るくらい、容易いものだった。
「追え、追うぞ!! 絶対に逃がすな!」
大男の声とともに、男達がいっせいに夜の街へ駆け出した。




