第二話 森と青年
紅は目が覚めた。
そこは森の真ん中、見渡す限りの木々が広がる空間の中にぽつんと取り残されていた。
ついさっきまで駅前の広場に居たはずだが、今は見たことも無い場所にいる。
辺りは木々の揺れる音や、鳥のさえずりなどが聞こえる。
とても同じ世界とは思えないほどの大自然だった。
「えっと、どうしたんだっけ……」
ずいぶん長い間気を失っていたのか、体があちこち痛む。それでも紅は立ち上がり考える。
あの女性は一体どこへ行ったのだろうか。
「とにかく、人を捜さないと……」
こんな状況に置かれてもなお、冷静さを失わない自分に少し驚いていたが、これといって脅威が無いため当然なのかもしれない。それでも今日中に家に帰られるか定かではないが。
紅はとりあえず森を歩くことにした。森は誰も足を踏み入れてないようで、土もふかふかしている。
しかし、何の人の手も加えられていない森は、まるで行く手を阻んでいるかのように紅の歩きを妨げた。
しばらく歩くと、人が通ったような獣道にぶつかった。紅は森を早く出たかったので獣道に沿って歩くことにした。
その直後、一枚岩を切り崩して出来たような崖にぶつかる。そして、その崖には洞窟が開いていた。
獣道はその洞窟へとつながっていた。
「入ってみたほうが良いのかな……」
中には光があるのか、少し明るかった。人が何度も通っているようで道もしっかり出来ていた。
恐る恐る奥へ進むと、紅は急に何かにつまずき転んでしまった。
「イタッ、なにー?」
起き上がって確認する前に声が返って来た。
「誰だ!!」
見れば、薄汚れた青年が腕を鎖でつながれ寝かされていた。
頬がこけ、服は泥がつき、髪はボサボサ。
まるで野良犬のような雰囲気を出す青年は、見た感じ紅と同じくらいの年齢に見える。
「ど、どうしてこんなところで寝ているの!?」
「寝てるんじゃねぇ、捕まってんだ」
吼えるように言った彼の言葉通り、腕は鎖でつながれている。
「どうして捕まっているの……?」
聞き返した紅の言葉に、深く考えてから彼は言った。
「……悪い奴らに騙された、俺はしばらくしたら殺されて内蔵を売り飛ばされる……頼む、助けてくれ」
そういって腕の鎖をジャラジャラ鳴らした。
正直には信じがたいが、かといってこのまま見捨てるわけにもいかない。
おろおろ戸惑っていた紅に、青年が加えて言った。
「そこの窪みに鍵が置いてあるはずだ、それで開けてくれ」
「どうして知ってるの?」
確かに、ジメジメとした洞窟の窪みには鍵が置いてあった。
鍵を取り、不信そうな紅に青年はいい訳のように言う。
「食事とトイレの時は外に出されるんだ。こんなかだと臭いが充満して見張りの奴らも嫌がるからな」
「見張るが居るの!?」
「今は居ない、早く! 帰ってくるかもしれない、そしたらお前も捕まるぞ!」
その言葉にダメ押しされ、渋々紅は鍵を外し、青年を解放した。
腕をさすりながら、青年は立ち上がった。身長は紅とさほど変わらない、男にしては結構低めだろう。しかし、体はしっかりと鍛えられていて、ボロボロになったインナーからも筋肉が浮き出ている。
「さぁ、もたもたすんな」
彼は紅の腕を掴んで素早く走り出した。
腕を引かれ、紅も洞窟を出る。ほんの数分間しか洞窟内に居なかったが、外の太陽がまぶしかった。
「チッ……遅かったか」
青年が舌打ちをして見回した。
そこには狩猟銃を構えた山賊のような男達が三人立っていた。おそらく彼らが見張りなのだろう。
男達はこっちに気が付き、怒号を上げ銃を構えた。
「ちょっと頭低くしてろ!!」
「え!? わぁ!?」
その直後、青年は頭を低くしながら男達に飛び掛った。
その速さに男達は反応が一歩遅れ、その隙に青年は男達のうちの一人の腕をねじり、盾のように構える。
一歩遅れて、狩猟銃が発砲された。しかし、弾丸は青年には当たらず、盾にされた男の肩に直撃した。
「おら! 返すぜ!!」
男を投げつける。それにより、もう一人を巻き込んで倒れこむ。
「ほら、逃げろ!!」
青年は紅に向かって叫んだ。紅は大人しくそれに従い、一旦洞窟の方へ隠れる。男達は紅より青年の方が重要らしく、追ってはこなかった。
その直後、青年は上に跳躍し、ひとっ飛びで幹の上に着地し、木の枝の間を駆ける。
「上だ!!」
男の一人が叫びつつ狩猟銃を発砲した。
しかし、青年に当たった気配はない。
一瞬、音が静まった。
下からでは青年の位置が分からない。
だが、とある木の枝からガサッという音がした。
「こっちか!!」
直後、集中砲火が浴びせられる。とともに枝から何かがドサリと落ちてきた。
「チッ、サルか!」
そこに落ちてきたのは、毛むくじゃらの獣だった。
「こっちだ。ウスノロ」
背後から降りてきた青年の拳が、男の脳天に直撃する。男はフラフラと崩れ落ちた。
その背後から山賊のもう一人が襲い掛かるが、青年の後ろ回し蹴りが山賊の首に直撃し、こちらも崩れ落ちた。
「ふん、雑魚め。武器に頼りすぎだ」
青年は気を失った男に軽く蹴りを入れて、紅の方に戻ってきた。
その顔には汗もかいていない。
「ほら、さっさと森を抜けるぞ」
「え、ああ、うん」
ポカンとしていた紅に青年は手を差し出した。
再び紅の手を握って走り出す。
気絶した男をまたごうとした時、青年は何かに気づいて足を止めた。
身を屈め、倒れた男の指から指輪を抜いていた。
「どうしたの?」
「ああ、こいつは俺のだ」
そう言って再び走り出す。
森の中は、枝や崖などがあって本来は非常に走りづらいハズだが、青年のアシストのおかげかとてもスムーズに進むことが出来た。青年も手をつないで走るのに慣れているようだった。
しばらく、と言ってもせいぜい十分ぐらい走るとすぐに森が開けて、見渡しの良い丘に出た。
遠くには村のような集落が見える。
「あそこまで行けば安全だろ。じゃあな、俺はもう行く。……助けてくれてありがとな」
青年はそのまま背を向けて森へ走り出そうとした。
「待って、一緒にこないの?」
紅は手を握り、青年を引き止めた。
「ああ、俺は行かなくちゃいけないところがある」
青年の目には迷いがない。さらに、切羽詰っているようにも見える。
「そっか。理由は……言いたくないよね」
紅は、この青年に一緒に居て欲しかった。というのも、村に行ったところで家に帰ることもできそうもなさそうだったからだ。RPGゲームのように宿屋に泊まるお金もないし、村の人たちが無条件で親切にしてくれるとも限らない。
未知の土地を一人で歩くことほど、恐ろしいことはない。
「そうだ、名前はなんていうの?」
いつまでも青年というのは、助けてもらったのに申し訳ない。
「……シリウス。シリウス・グランジだ」
シリウスは間を置いて言った。
「ねぇ、シリウス。私もついて行っちゃダメかな?」
紅は思いきって聞いてみたが、シリウスはそっぽを向いて答えた。
「ダメだ」
「どうして? 私はどうでも良いから。足手まといになったら見捨てても良いよ」
どうしても独りになりたくなかったら、勢いで言ってしまった。
しかし、シリウスはしっかりと紅を見据えていった。
「俺は……実は犯罪者なんだ。父親を殺して、あの牢屋に入れられてた。だから……ダメなんだ、ついてくんな」
途端、走り去ってしまった。
紅は、一瞬呆然として何もいえなかった。
しかし、最後に見たシリウスの悲しそうな、寂しそうな表情を思い出す。
そして紅は、迷いなく、森へと引き返す。
シリウスを追って。




