紅蓮の天狼

第一章 出会いと始まり

第十五話 気と魔術

　シリウスとクルウの刃が交錯し、火花を散らした。その衝撃を利用して、シリウスは一旦後ろに距離を取るが、素早くクルウも前進し、一定の距離を保つ。

(ちっ、……至近距離の打ち合いじゃ勝ち目がないな……)

　シリウスも素直に認めるほど、クルウは強い。腕力だけでなく戦闘技術に加え、豊富な知識を持っているようだ。

　シリウスの剣術は、王都にいた時に教わったものだが、それも必ず流派が存在する。

　そして、クルウはその流派を知っているのだろう。微妙な癖や、隙を見逃さず、また出来やすいように促してくる。

「守りだけでは戦には勝てん！」

　クルウはカタナを大きく上から振り落とす。シリウスは避けることが出来ず、剣で受け止めた。ビリビリ衝撃が走り、思わず仰け反るが、何とか持ちこたえる。

「クソッ……」

「油断するな！」

　交差していた刃と刃。その上をスライドさせるようにカタナが動いた。その勢いのまま、シリウスの剣の柄に直撃し、シリウスは剣を握る手が少し緩んだ。

　その隙を、クルウは確実に突いてくる。空いた手でシリウスの剣を握る手を叩き落とす。衝撃で剣が床に落ち、金属音が響く。

「調子に乗るなッ！」

　シリウスは手をはたかれバランスを崩すが、強引にハイキックを繰り出す。

　狙いはクルウの右腕、カタナを握る方の手。

　シリウスの蹴りがカタナを弾き飛ばすが、シリウス自身は床に這うような体勢で転んでしまう。

　すかさず、クルウの足がハンマーのようにシリウスの顔面を踏みつけようとする。

　だが、シリウスは床を腕で叩き、勢いを生かして横に転がる。その先には先ほど叩き落とされた剣が。

「狙いが単純だ。小僧」

　クルウは足でシリウスの剣を蹴る。カラカラ音を立て、倉庫の床を滑ってく。

「ふっ、……それはどうかな！」

　シリウスはブレイクダンスを踊る動作にも似た、カポエイラを改造した体を軸にして足をプロペラのように振り回す蹴りを放つ。

「成程、武術も出来るのか」

　クルウは後ろに飛び、距離を取って回避する。

　シリウスもそのまま立ち上がり、剣を回収する。

「なかなか面白い奴だ、使うつもりもなかったが……やむをえんか、いや、使わずに戦をを終える方が失礼というものだろう」

　カタナを拾いながら、クルウは呟く。

「隠し玉か……？　……そういうことか」

　シリウスは、クルウの変化にすぐ気がついた。

　明らかに、彼のまとう空気そのものが変質していた。まるで見えない膜に覆われているかのように、輪郭がぼやける。そのくせ、無視できない圧倒的な存在感を誇る。

「『気』という事ぐらいは聞いたことがあるだろう？　橙国の神秘とまで言われたこの力を」

　橙国は、この大陸の中でも極めて小さい地域を指して言う。

　橙色《だいだいいろ》の花が咲く地域に城を構え、他国との交流を一切断ってきた、閉塞された文化。それゆえに独自の歴史を持ち、その能力は他国には一切存在しないものが多い。

　カタナもそのうちの一つ。他にも、シノビやジュードーなどの独特な文化も持つ。

　中でも、『気』は一線を越えている。魔術とも違うこの力は、複雑な理論を頭で組み上げるのではなく、身体にその業を染み込ませ、考えるよりも先に発動させることが出来る。

「ぬんッ！！」

　そして、『気』は莫大な破壊力を持つ。

「切先が……伸びた？」

　シリウスの目には、身体にまとっていた気をカタナに集中させるクルウの姿が映っていた。しかし、そのカタナの刃は、薄く発光する煙のような物質で、二倍近く伸びている。

「行くぞ！！」

　クルウの足元が陥没した。

　正しくはクルウの神速の踏み込みが、床をえぐる。

　瞬きする間に、シリウスの眼前には、二倍以上に伸びたカタナが迫る。

(足にも気を使ったのか！？　クソが)

　もはや反射の領域で、考えるよりも先にシリウスは身体を横になげうっていた。

　直前にその身体があった場所は、カタナの一撃で破裂し、その破片がシリウスの身体を打つ。

「ググッ、！？」

　もう次の攻撃が開始されていた。打ち落としたカタナを斜め上に切り上げるように振り上げる。バランスを崩したシリウスは回避することが出来ない。剣を前に出してこの一撃を受け止めるが、

(まずい……！？)

　気をこめたクルウの一撃は、シリウスの身体を浮かせた。

　地面から足が離れ、勢いのままに宙を飛ぶ。だが、すぐに倉庫の壁に激突する。

　肺の空気が吐き出され、息が詰まる。気がつくと、地面にへばりついていた。

「くっ……ぁ、」

　見上げれば、既にクルウはカタナに再び気をこめている。

(さっきの攻撃は……地面に叩き落した後だから威力が落ちていたのか？　それにしても桁違いだ)

　どこかにトリックがあるとも思えない、正真正銘の力。

(だが……あきらめないさ)

　シリウスは這い上がり、クルウに背を向けて倉庫の中を走る。

「逃げるのか……？　いや、誘っているのか？」

　気をこめる際には、集中が欠かせない。咄嗟に這い上がったシリウスを追いかけるのに、しばしのタイムラグがある。

　視線の奥を行くシリウスは角を曲がった。おそらく、神速の踏み込みで距離を詰められないようにするためだろう。

「ふん、だが……いつまで持つかな？」

　シリウスの後を追ってクルウは悠々と角を曲がる。

＊＊＊

「おい、魔術師、待てって」

　紅とイネスは、倉庫から飛び出したヴェッセルを追いかけて市街地まで走ってきていた。

　ヴェッセルは傷を負って、しかも若くはない。足の速さは二人の方が早いが、人ごみに紛れられ見失ってしまった。

「えっと……確か」

「ああ、私はイネス、それよりも闇雲に捜したってみつかりゃしないさ」

「じゃあどうするの？」

　土地勘のない紅にとっては、まさしくどこから手をつけたらいいかわからない。それでも、あの老人がそう遠くまでいけるとは思えない。

「へへっ、任せとけって」

　そういうと、イネスは道行く人々に声を掛けて行った。騎士風の鎧の男や、ボウガンを担いだ女性等、様々だが誰もがイネスに好意的に見えた。

「この辺りじゃ結構人気なんだよね」

　ボソッと紅に囁いて、「あっちの路地に頭から血を流したジジィが駆け込んだってさ」と言って紅の手を引いて走り出した。

「あ、ねぇ。遺跡であった時と雰囲気違うね」

　興味本位で訪ねてみると、

「まあね、あの時は敵同士だったし。あとは何より、リリィさんと私たちを助けてくれたからね」

「リリィとは面識あるの？」

「いや、兄貴……じゃなくて首領から聞いただけ」

「あれ！？　ジンと兄妹だったの？」

　会話しているうちに、件の路地に辿り着いた。道幅は広いが、日当たりが悪く、表通りとは打って変わって人の気配がない。

　その中をただ一人、老人が這いつくばっている。

「ヒィ、くっ、くそっ……奴等といい小僧共といい、狂ってる……」

「狂ってんのはアンタの所業だ。老いぼれ」

　イネスが退路を塞ぐように、通路の脇に置かれたドラム缶目掛けて投石した。ガラガラ音を立て、ドラム缶が転がる。

「もう、逃がさないよ」

　紅は三本の炎剣を溜め、ヴェッセル目掛けて構える。

　その目には、リリィを痛めつけた事に対する復讐の意志がある。

「三倍返し、だよ？」

　炎剣は勢い良く放たれた。

　直線軌道が、三つ、ヴェッセルを焦点にするかのように飛ぶ。地面に腰をつけた彼にはもう避けられない。

「ヒィィアァァァァ！！」

　もう為すすべなく、腕で顔を守るくらいしか出来ないヴェッセル。

　空気を吸い込み、轟々と炎を猛らす炎剣は、ヴェッセルに直撃した。

　筈だった。

　だが、紅の放った炎剣は、空中で、まるで打ち消されたかのように消滅してしまった。

「なに？　どうして？」

　愕然とするのは紅。「まさか……対抗呪文《レジスト》か？」と驚愕して呟くのはイネスだ。

「この老人は私たちが引き取る。手を引きたまえ」

　急に声が轟いた。重低音の唸るような声の主は、路地を作る建物の屋上から飛び降りてきた。

　白い鎧を身に纏う褐色の長身の青年と、顔が見えないくらい大きなフードを被った魔術師風の小柄な男の二人組みが、紅とイネスの前に立ちはだかる。

「な、何者だ！？」　

　イネスは二人に向けて叫んだ。どうやらこの街では見かけない連中らしい。

「答える義務はない、それよりも、この老人は私たちが引き取る」

　同じことを繰り返し言う鎧の男。そして何故か、ヴェッセルは先ほどよりも一層怯え始めた。

「ヒィ、ヒィ、……貴様ら、なんの用、ングッ！？」

　突如、ヴェッセルは喉を押さえてもだえ始めた。見れば、フードの男が、袖口から杖を構えている。

「安心しろ、舌を貼り付けただけだ。余計なことは喋らせない」

　鎧の男が、紅たちの疑問に答え、おもむろに腰に挿していた剣を抜く。剣には、刃の部分にさえ、模様のような奇怪な線がえがかれている。何かの生き物の絵か、記号的な文字か、計り知れないが、おぼろげに光を放ち始める。

『我誓フ、守護代天使《ミカエル》ノ使ヒ、神ノ如力、炎之裁ヲ与フ』

　鎧の男が早口に何かを唱えた。

　途端、男の構えていた剣が炎に包まれる。紅の炎剣とは比べ物にならないくらいの大きさ、そして炎の勢い。

「退け、さもなくば、焼き切ってしまいかねん」

　男は剣を地面に叩きつける。

　その衝撃で、剣にまとわれていた炎が凝縮し、爆発を起こす。その衝撃で地面を巻き上げ、土煙を上げる。

「魔術師、ここは素直に退こう！」

　イネスが紅に叫ぶ、だが、紅は引かない。

「だめ、逃がしちゃう」

「私たちの手に負えない相手だ！　相手はマジの魔術師たちだ！　呪文詠唱を聞いただろ！？」

　やはり、男の唱えたのは呪文詠唱だった。だが、それでも紅は叫び返す。

「私だって、魔術師なんだから！！」

「ほう、……ならば容赦はいらんか？」

　気がつくと、剣を構えた男は紅の背後に立っている。巻き上げられた土埃がまだ、壁のようにある中を突っ切ってきたのだろうか。

「！？　だったら！」

　今まで、紅は炎剣以外の魔術を使えなかった。だが、それは紅の技術が不足していたわけではない。咄嗟に発動したその魔術以外知らなかっただけだ。

　それ以外の魔術を知らなかった。だが、今目の前にいる男は、紅と同じ炎を自在に操る。ならば、紅にだって自在に操ることが出来るはずだ。

「ぬ！？」

　突如、紅の周りを炎の輪が地面から吹き上がった。すぐ背後に立っていた男は巻き込まれないように後ろに下がる。

　だが、地面から噴出した紅の炎は空中で収束し、一つの形を作り上げる。それは巨人の腕。まるでゴーレムの拳のような腕が炎によって形成され、男に向けて降り注ぐ。

　呪文を詠唱する暇もなく、剣で受け止める男。

　地面にヒビが入り足が数センチ沈むが、大声を上げ、剣で巨人の拳の軌道をそらす。

　周辺の建物の壁を大破させ、ようやく拳は消滅する。

「どう？　これが炎の魔術だよ」

　紅が勝ち誇って宣言した。