第十四話 剣と赤
「クソッ、リリィ!?」
ジークは驚愕に目を見開いたリリィを見上げた。
(チッ、護衛をつけていたが、出し抜かれたか……まずい、いつからここに居たんだ?)
ジークは、先ほど自分が黒蠍盗賊団の首領であることを宣言した。もちろん、リリィはこの事実を知らない。知らせてはいけない。
だが彼女の顔が、メスを突きつけられた状況に対する恐怖ではなく驚きに満ちていることが、すべてを示している。
「畜生ッ……」
ジークは歯噛みした。あまりにも不甲斐ない自分に対して。
「武器を捨てろ、そのまま跪け」
ヴェッセルは頭から血を流しゼェゼェしながら、しかし狂喜に満ちながら吼える。
その姿をクルウはじっと見つめ、カタナを腰の鞘に収めた。
「皆、武器を捨ててくれ……すまない」
形成逆転された。
盗賊団は誰一人反発せず、武器を捨てる。
ただ一人、イネスが袖から隠しナイフを構えようとしたが、「ダメだ」の一言でジークに止められてしまった。
「ククク、そうだそうだ。もっと絶望しなければ……どの指がいい?」
「なに?」
「切り落とすのはどの指がいいのか聞いているんだぞ? ほら、言え」
ヴェッセルはメスをちらつかせながら、ジークを脅した。
その間にも、盗賊団の味方たちは黒服たちに拘束されてゆく。
「くそっ……」
何もいえないまま、ジークは黙ってしまう。その姿を見下して、ヴェッセルは続ける。
「早く選べ、どの指がいいんだァ? 早くしないと……」
そういって、ヴェッセルは腕をリリィの首にきつく絞め、もう片方の手で握っているメスを、リリィの真っ白な腕の上を滑らせた。
白い腕の上を、銀に反射するメスがなぞり、その後には赤い筋が通る。じんわりと赤い液体があふれてくる。それに比例してリリィが呻き、悲鳴を上げる。
リリィの腕には、燃えるような痛みがあるに違いない、しかし、ジークはただ見ていることしか出来なかった。
「ハッハッハァ! そうだ、もっと絶望しろォ!!」
リリィの腕からボタボタ血が流れる。必死にもがき苦しむが、ヴェッセルは離さない。
「やめてくれぇ!!」
ジークは叫ぶが、ヴェッセルはニヒルな笑いを浮かべ、リリィは瞳に涙をためる。
「そうだ、せっかくだから条件次第ではこの小娘を解放してやらんでもないぞ?」
「何だって?」
ヴェッセルの気分次第の軽口に過ぎないが、縋りつくような思いでジークは尋ねる。
「この小娘は解放してやる、その代わり、盗賊団の奴らの首を今刎ねる」
「ッ!?」
ジークは言葉を失った。改めて見回せば、盗賊団の仲間達は全員手足を縛られ、黒服のヴェッセルの部下に、武器を突きつけられている。
リリィに気をとられ、仲間の方を気にしている暇がなかった。
「さあ選べ、仲間を取るか、女を取るか」
一瞬、ジークは悩んでしまった。
たった一人の人間か、数多くの人間か。どちらを取ればいいのかなんて考えずとも済む事を、考えてしまった。
「……皆、俺、どうすればいいんだ……?」
振り向いたジークに、目を合わせるものはいない。
「俺……」
「早くしろォ!! どうなってもいいのか?」
リリィの腕に、一筋の赤い傷口がある、その傷口と交差させるようにメスを走らせる。十字型の傷から、ドクドクと血があふれ出す。
「うっ、ッつ、痛……。あっ」
耐え切れなくなり、リリィの瞳から大粒の涙をこぼす。それでも彼女は、助けを求めようとはしない。
「畜生が……もういい、もういい、俺を殺せ!!」
「ダメだァ、お前は絶対殺さない、そこで見ていろォ。ククッ」
心底楽しそうなヴェッセルは、メスを振りかざした。まるで、肉にフォークを突き刺そうとする子供のように。そしてそれは、リリィの顔を目掛けている。
「やめろおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」
紅い閃光が駆け抜けた。
それは、真っ直ぐにヴェッセルの手に持つメスを打ち抜いた。
倉庫の入り口から放たれたそれは、炎の剣だった。
「グヌゥ、な、何者だ!?」
寸分の狂いもなく、ヴェッセルの手を命中した。少しでも狙いが外れれば、リリィの顔面に辺り、それだけで大怪我をさせてしまう程だった。
だが、術者はそんな些細なことは、心配する必要がないとでも言うかのような面持ちで、倉庫に踏み入れた。
「紅さん、シリウスさんも!!」
リリィの表情がパッと明るくなった。依然として腕からは血が流れているはずだが、そんなことはお構い無しに喜ぶ。
「助けに来たよ。みんな!」
紅が大声を倉庫に響かせる。
その声を皮切りに、盗賊たちが一斉に動いた。もうヴェッセルは凶器を持っていない。何も恐れることはない。
「ふう……もっと上手に縛りなさいよ」
イネスは、いつの間にか手足の拘束が解けていた。彼女だけではない。もはやすべての盗賊が、拘束を解いている。
「今度こそ、痛い目見せてあげる」
さっき、全員が武器を捨てた。今も倉庫の床には武器がゴロゴロ転がっている。しかし、盗賊団の武器は一つではない。各々が袖やら、裾やらから暗器を取り出し、黒服たちと交戦を始める。
「うろたえるなァ! 捕まえろ!」
「うるさいよ、おじいさん」
ヴェッセルが目を向けると、既に紅が眼前に立っていた、炎の剣を構えて。
「こ、この小娘を巻き込むつもりかァ!?」
「えいっ!!」
そのリリィも力いっぱいヴェッセルを押し飛ばした。腕に大怪我をしていても、老人、しかも炎剣に怯えた状態を、押し飛ばすのは苦ではない。
そのまま階段でつまずき、二階の高さからゴンゴン体をぶつけて転がり落ちる。
「よう、クソ爺」
ヴェッセルがゼェゼェいいながら立ち上がると、目の前にはシリウスが立っていた。
「ッー!?」
急いで、這いつくばる格好で逃げ出し、倉庫から飛び出した。
「逃がすか!」
「させん」
追いかけようとするシリウスを、クルウがカタナを構えながら遮った。
「シリウス、先に追いかけてる!」
その二人を尻目に、紅と、黒服を蹴散らしたイネスがヴェッセルを追い、外に出る。
ジークとリリィを、紅たちとともに倉庫に入ってきた女盗賊が安全な場所まで退避させていた。
「いいのか? 爺を追いかけて行っちまったぞ?」
シリウスだけを遮ったクルウは、まったく焦る様子が見えない。まして、笑みまで浮かべている。
「ふふっ、あの爺が死ぬのは本望だ。俺には関係ない、ただ、お前と戦るのは楽しそうだ」
「ちっ、戦闘狂かよ。くだらねぇ」
はき捨てるシリウスに、クルウは返事のように横薙ぎの一閃を放つ。
シリウスは剣を抜き、その一撃を受け流す。
「戦闘狂とは少し違うな……俺は刃なんだ」
「知るか」
クルウは更に距離を詰め、カタナを振り落とす。シリウスはその縦切りを横に飛び、回避した。
しかし、間髪いれずに、クルウの回し蹴りがシリウスの顔面を襲う。
シリウスはこれを膝を屈めて回避したが、カタナによる追撃を恐れ、一旦さがる。
クルウはカタナを突きの構えにし、シリウス目掛けて射出する。なんとか剣で弾き、軌道をそらすが、今度はクルウの膝がアッパーカットよろしく突き上げられる。
シリウスは腕を使って防御するが、クルウの狙いはそこからのつま先を使った蹴りだった。
ノーガードの鳩尾につま先が突き刺さる。
思わず、身を丸めるシリウスの背中に、カタナを握っていないほうの腕が振り下ろされる。
「かっはぁっ!」
シリウスはまともに打撃を食らい、肺の空気が吐き出され上手く呼吸できない。
しかし、精一杯の力を振り絞り剣を振り回す。クルウが攻撃を避けるため、後方へと距離を取る。
「ふん、そんな程度か?」
「まだまだぁ!!」
シリウスの連続攻撃を、クルウはカタナですべて受け止める。
千変万化するシリウスの剣先の軌道を、すべてあらかじめ知っているかのように、慣れた手つきであしらってゆく。
「王都出身か……? まあいい、お前の剣術はその程度だ」
「ちっ、お前、ただのゴロツキじゃねぇな」
シリウスは目の前の黒服の男を改めて観察する。
厳しい皺が刻まれたその顔は決して若くない。せいぜい三十代後半程度か。扱うカタナは、橙国と呼ばれるごく一部でしか使われない剣だ。
「別に。ただの傭兵崩れとでも言うべきかな」
「まさか……大戦の?」
「答える義務はない、無駄口はお終いだ」
再び、二人の剣が交錯する。




