第十一話 病院と風呂
ローアン・バザーの病院は、商業地の並ぶ通りを抜けた街外れにあった。
外見は紅の世界のそれと大差なく、白を基調とした壁に窓が規則正しく並んでいる。
周りを囲う植物も緑が生い茂り、活気ある街と比べて落ち着いた雰囲気を出していた。
唯一違うところといえば、ぐるりを建物を囲う背の高い無骨な塀が、頑丈な城を思わせた。
「彼は二階の角部屋なんです」
リリィは受付をするりと抜けて階段へ向かった。
その後を紅とシリウスが着いて行く。シリウスが剣を買い直す前に来て正解だった気がした。
引き戸を開けると、病室には四つのベッドがそれぞれ四隅を陣取っていたが、使用されているのは一つだけだった。
そのベッドの上には、一人の青年が上半身を起こしながら寝そべっている。
「リリィか……そっちは?」
青年を一目見て、紅は思った。シリウスと似た雰囲気を持っていると。
少し人と距離を持ち、ぎこちない人付き合いな感じだった。
「私は紅です、で、こっちがシリウス。リリィのお友達です」
シリウスはそっぽを向いて少し後ろに下がったので、紅がまとめて言った。
それにリリィが頷き、青年は警戒を解いたようにはにかんだ。
「そうでしたか……俺はジンです。リリィが迷惑かけてませんか?」
「いやあ……あはは、」
リリィは気まずそうに笑ったが、紅もなんだかおかしくて笑った。
病室は簡素な造りで、特に何も無いという表現がぴったりだった。
どうやら紅の世界ほど医療技術は高くないのかもしれない。
窓から挿す夕日が、ベットの脇の小机の上におかれた花瓶を照らしていた。
「なにか変わったことは無い?」
「いいや、強いて言えばお前に友達がいたのが意外だったな」
リリィの問いに、ジンは軽く答える。
「もう、そんなこと……。えへへ、実は今日知り合ったんだけどね」
リリィは、ジンと話すときは凄く、可愛らしい少女のようだった。
実際は紅より年上なはずの彼女だが、その笑みは子供のように無邪気だ。
「あ、花瓶のお水替えてくるね」
リリィは花瓶を持って病室を出てしまった。
少し気まずい感じだったが、ジンは紅に声をかけてきてくれた。
「本当にありがとうございます。あの子、俺の医療費出すために必死に働いて……そのせいで他人と遊んでられなくて。友達が出来たってだけで凄くうれしく思いますよ」
「いえいえ、私達も友達居ないですし」
紅にとっても、リリィはこの世界に来てはじめての友達といえるだろう。シリウスも含めて。
「それにしても、女に働かせてお前は一人ベットに寝転んでるのか?」
シリウスがやっと口を開いたかと思えば、怪我人には言うべきでない暴言だった。「シリウス、」と紅は制しようとしたが、ジンはお構いなしに返した。
「もちろん、俺だってそんなの心苦しいさ。しかもあの子は働いてることを俺に隠してるんだ、まぁ、隠し事は下手なわけだが……。それでも、俺がやめてくれって言ったところであの子の思いは変わらないだろうし、こんな状況の俺でもやる事が……」
そこで言葉を切ったのは、足音が聞こえたからだ。
素知らぬ顔でリリィが花瓶を持って部屋に戻ってきた。さらに、その後ろから白衣を着た、五十代後半の白髪交じりで、人がよさそうな笑みを浮かべた医者が入ってきた。
「おや、こちらの皆さんは……?」
「はい、私の友達です、ヴェッセル先生」
ヴェッセル医師は、片手にカルテを持ち、何かを走り書きしながら聞いた。
「見たところ、旅人かい?」
眼鏡をかけ、マジマジと二人を見つめた。視線を逃れるようにシリウスが身を捩った。
「すごい、何で分かったんですか?」
「はっはっは。簡単だよ。君の服装は変わってる。この辺りじゃ見かけないし、リリィ君の友達なのに今まで病室に来なかったりね。まぁ、本当は勘なんだけれども」
愉快そうに笑うヴェッセル医師は、リリィとジンに向きなおした。
「それで、大事な話って……?」
「うむ、実は、街の理事会からね、特別労働者補助金が降りることが決まってね」
「特別労働者補助金? ジン、知ってる?」
「俺に学が無いの知ってるだろ? だからあんな工場で働いてたんだ」
どうやら現地に住んでる二人でも知らないらしい。
当然、よそ者である紅とシリウスの二人も知るはずが無い。
「うむ、これは街のほうから出る補助金で、不当な重労働に強いられてる人たちの救済措置みたいなものだが、これが君達にも出ることになってね。そのお金で手術が出来るんだよ」
「ほ、本当ですか……?」
リリィにとっては願っても見ないような幸運だった。これのおかげでこれまでの苦労がやっと報われることになる。
「安心したまえ。明日にでも手術は出来る。お金はかかるがそう難しい手術でも無い。きっと成功する」
「よかったね! リリィ」
「ああ、はい。……」
まだ現実と信じられないのか、震えているリリィに、ジンは対照的に落ち着いて訪ねた。
「どうして今更出たんですか? 今までそんな話きいたことありませんよ」
「どうも、理事会の方でゴタゴタしてるそうだけど、僕は詳しくは分からないなぁ。でも実際に補助金は振り込まれているんだよ」
釈然としないのかジンはじっと考え込んでいたが、リリィが大喜びしている様を見て、彼も釣られて笑い始めた。
***
病院を出ると、もう夜になっていた。
結局、あの後も面会終了時間まで四人は話しこみ、少しはシリウスも打ち解けた……ように見えた。
荒野の真ん中にあるローアン・バザーの夜は、昼とは打って変わってよく冷え込む。
初めは肌寒さが心地よかったが、徐々に寒くなり始めた。
通りには依然として人があふれ、所々に屋台が出ている。本当にお祭りみたいな光景だった。
「そろそろホテルにでも行くか」
シリウスは特に感慨も無いのか、眠そうな顔をしてゆっくり歩いている。
紅も、今日はさすがに疲れてしまった。早くホテルで休みたくなってきた。
「もう部屋は取ってあるんですか?」
リリィは家に帰るので、途中でお別れになるだろう。
「いいや、そういえば予約はしていないな」
「ええっ!? この街は外から来る人も多いですから、部屋はもう満室になってるのがお決まりなんですが……」
「なにぃ!?」
シリウスもびっくりして大声を上げた。
「部屋、もう満室なの?」
まだホテルに行ってないのでわからないが、言われてみれば、通りに面しているホテルの部屋は灯りが点いていて、すべて人が入ってるように見えるし、何より現地の人の言うことだ。
間違っているはずが無い。
「どうしよう!? 今日は野宿!?」
死ぬ!? という感じを悟った紅は慌てふためき、シリウスは失態を後悔して座り込んでしまう。
「すみません、遅くまでお見舞いに付き合ってもらって」
「あ、いや、リリィのせいじゃないよ?」
「そうだ、なら私の部屋に泊まりますか?」
「いいの!?」
「大歓迎ですよ」
リリィの部屋は、割と新めのアパートの一室で、広めのワンルームの部屋だった。
たしかに、一人暮らしの女性といえど必要最低限の家具しか置いていないところを見ると、遊びよりも仕事を優先させてきた感じはある。
せっせと布団を準備するリリィの後姿は、心なしか楽しそうだった。
「私は床で寝るので、ベットとソファを使ってください、」
「ええ!?、いいよ。リリィがベット使いなよ。私が床で寝るから」
「おいおい……床で寝るのは俺で良いっての。女性陣が無理すんなって」
三者譲らず、床大人気だった。
「じゃあ……みんな床で寝ます?」
結局、それに落ち着き、シリウスはさっそく窓際の端の場所を陣取って、腕を枕に、ねっころがっていた。その隣に、紅、そして反対の端はリリィが寝ることに。
「あ、お風呂使います?」
「あ、いいねぇ。リリィ一緒に入る?」
きゃあきゃあ楽しそうに騒ぐ女性陣に、背を向けたまま寝続けるシリウス。
「……覗かないでね?」
「覗くかボケェ!」
とは言ったものの、男の潜在本能は素直だった。
依然として、寝た姿勢のまま、窓に顔を向けてはいる。だが……。
(クソ……何故こんな時に限って、やけに物音が気になるんだ……? アホか俺は。……ちっ、声が聞こえる……。ってなに聞いてんだよ俺はァァァ!!)
一人、修羅場のシリウスだった。
そうしている間にも、「すごーい、リリィ、やわらかいですなぁ」とか、「やめてください……ふふっ」とか、話し声が聞こえる。
背に汗がにじむ。
しかし、微動だにしないシリウスだった。
「シリウス? もう上がったよ?」
どうやら風呂から上がり、若干頬が高揚した紅が、シリウスの肩を叩いた。
「ああ、わかった」
何故か汗びっしょりになっているシリウスだが、勝ち誇った顔をしていた。
(嗚呼……、俺は男のプライドを守りぬいたッ! 紳士の中の紳士だッ!)
小一時間、まったく動かなかったシリウスは、枕にしていた腕が痺れていた。
シリウスはシャワーで体を流すだけで済ませ、服を着なおすと、女性二人はもう布団に入っていた。
「もう電気消しますけど、良いですか?」
「ああ、俺ももう寝る」
シリウスは今日一日の疲れがどっと出てきた。
「あ、そうだ。明日のお昼過ぎにバスが出るんだって。それでここから北の町まで行けるんだって」
「北の町といえば……フースカの町か。たしかに、荒野はあの辺まで続いていたな」
魔動力自動車はこの辺りの荒野しか走れない。それほど性能が悪いのだ。草原では草が絡まり、山道では、坂にずり落ちる。
ゆえに、行動範囲は荒野の続く限りにしかない。
「そうか、ならそれで行けばいいな。午前中に買い物を済ませとくか」
「うん、リリィが案内してくれるって」
「いいのか? アイツの手術があるんだろ?」
「あ、はい、でも手術も昼からで、ちょうどバスが来る前ぐらいには終ってると思いますよ」
リリィが電気を落とし、シリウスの「そうか……」という声も、闇に吸い込まれた。そのまま意識も闇に落ちていった。




