第9話 死霊王の安眠
魔王城での生活、四日目。
勇者アニアスは、ボロボロだった。
初日は魔王との遭遇とお茶会。
二日目は部屋での堕落と、ガンドルフォによるファッションショー地獄。
三日目は破壊神ピコとの命懸けの鬼ごっこ(城の損壊率30%)。
アニアスが求めていた平穏な引きこもりライフは、今のところ影も形もない。
あるのは、個性豊かすぎる魔族たちによる、善意と殺意の波状攻撃だけだ。
「……静かな場所に行きたい」
アニアスはゾンビのような足取りで、城の裏手にある広大な庭園を彷徨っていた。
表の庭園は綺麗に整備されているが、ガゼボでお茶をする魔王や、散歩をするガンドルフォに遭遇する危険性が高い。
だからアニアスは、誰も近づかないような、木々が鬱蒼と茂る「開かずの森」エリアへと足を踏み入れたのだ。
ここなら、誰もいないはずだ。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、風が葉を揺らす音だけが聞こえる。
完璧だ。これぞ、求めていたサンクチュアリ。
「……ふぁ」
アニアスは大きなあくびをした。
適当な大木の根元に腰を下ろす。苔がクッション代わりになって、意外と座り心地が良い。
今日はここで、誰にも邪魔されずに昼寝をしよう。そう決めて、アニアスが瞼を閉じようとした時だった。
「……そこ、蟻の巣がある」
頭上から、ボソリと声が降ってきた。
「うわっ!?」
アニアスは飛び退いた。
見上げると、宙に浮いた巨大なクッションの上で、一人の少年が丸まって寝ていた。
ボサボサの黒髪に、目の下の濃いクマ。そして腕には、つぎはぎだらけの不気味なクマのぬいぐるみを抱いている。
四天柱の一角、『死霊王』ネクロだ。
(げっ、また四天柱……!)
アニアスは即座に逃げようとした。
だが、ネクロはアニアスを追うでもなく、攻撃するでもなく、ただ虚ろな目で地面の一点を指差していた。
「……ほら。怒らせると、噛まれる」
アニアスが元いた場所を見ると、確かに地面から赤い蟻たちが列をなして出てきているのが見えた。あれは魔界特有の『火蟻』だ。噛まれると火傷のような激痛が走る厄介な虫だ。
「……あ、ありがとう」
アニアスは恐る恐る礼を言った。
敵であるはずの勇者に、わざわざ注意してくれるなんて。
「……ん」
ネクロは短く返事をすると、またクッションに顔を埋めてしまった。
どうやら、アニアスに対して敵意も興味もないらしい。ガンドルフォやピコとは大違いだ。
(この人……いや、この魔族、無害かもしれない)
アニアスの「対人恐怖症センサー」が反応していない。
彼は勇気を出して、ネクロの浮いている場所から少し離れた、別の木陰に移動しようとした。
「……待って」
再びネクロの声。
アニアスはビクリと立ち止まる。やはり、これから尋問や戦闘が始まるのだろうか。
「……そっちは、日が当たる。三十分後には、直射日光で暑くなる」
「えっ」
「……寝るなら、こっち。風の通り道」
ネクロが指差したのは、彼の浮いているクッションのすぐ隣にある、ふかふかの芝生だった。
確かにそこは、木々の枝が絶妙な角度で日光を遮り、心地よい風が吹き抜けている特等席のように見えた。
「……いいの?」
「……一人だと、広すぎるから」
ネクロはそれだけ言うと、ぬいぐるみを抱き直して目を閉じた。
アニアスは迷った末に、お言葉に甘えることにした。
そっと芝生に横になる。
「……!」
素晴らしい。
土の匂い、草の感触、そして頬を撫でる涼やかな風。
完璧な温度と湿度だ。魔王城のVIPルームのベッドも最高だが、自然の中で寝る心地よさはまた格別だ。
「……よく眠れるまじない、かける?」
隣からネクロの声がした。
「まじない?」
「……死霊術の応用。『強制睡眠』じゃなくて、『安眠誘導』……。悪夢を見ないで、朝までぐっすり」
「そんな魔法があるのか……」
「……僕が開発した。寝るのが好きだから」
アニアスは感心した。
死霊術といえば、死体を操ったり呪いをかけたりする恐ろしい魔法だと思っていたが、こんな平和的な使い方があったとは。
この少年、ただの居眠りキャラではない。睡眠に関しては天才的な探究心を持っているようだ。
「……お願いしてもいいか?」
「……ん」
ネクロが指先を振ると、淡い紫色の光がアニアスを包み込んだ。
その瞬間、体の力が抜け、意識が泥のように沈んでいく感覚に襲われた。不快感はない。ただひたすらに、心地よい眠りの淵へと誘われていく。
「……ありがとう、ネクロ」
「……おやすみ、勇者」
アニアスの意識が途切れる直前、ネクロが微かに笑ったような気がした。
数時間後。
魔王リーズヴェルトが、姿の見えない二人を探して庭園にやってきた時、彼女は信じられない光景を目にすることになる。
「アニアスー! どこだー! ……ん?」
森の奥で、勇者と死霊王が並んで爆睡していたのだ。
アニアスは大の字で、ネクロは丸まって。
その周りには、ネクロが召喚したらしい小さなスケルトンたちが、団扇で二人を扇いだり、落ちてくる葉っぱを受け止めたりして、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
「な、なんだこの平和な空間は……!?」
リーズヴェルトはあんぐりと口を開けた。
勇者と四天柱。本来なら殺し合うはずの二人が、まるで兄弟のように健やかな寝顔を晒している。
「……尊い」
リーズヴェルトはそっと懐から魔道具のカメラを取り出し、音を立てないようにその光景を激写した。
そして、「風邪を引くなよ」と自分のマントを二人に掛けてやり、満足げに去っていった。
こうしてアニアスは、魔王城において初めての「同志」を得た。
言葉はいらない。ただ、共に最高の睡眠を追求する友。
四天柱・死霊王ネクロ。彼はアニアスにとって、最も警戒すべき敵ではなく、最も信頼できる「枕フレンド」となったのである。
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