第8話 逃走 in 魔王城
魔将軍ガンドルフォによる「ファッションショー」という名の拷問から、一夜が明けた。
勇者アニアスは、部屋の外の廊下を歩いていた。
服装は、昨日着せられた『吸血公爵風ゴシックセット』……ではなく、なんとか頼み込んで返してもらった元の旅装束だ。やはり、着慣れたボロ服こそが至高である。
「……喉が渇いた」
アニアスは周囲を警戒しながら、抜き足差し足で進む。
部屋の備え付けの水差しが空になってしまったため、厨房へ水を汲みに行くところだ。
魔王城にはメイドもいるので頼めば持ってきてくれるのだが、「すいません、お水ください」と声をかける勇気がアニアスにはなかった。
(よし、誰もいない。今のうちにササッと行って、ササッと戻ろう)
アニアスは忍者さながらの身のこなしで角を曲がった。
その瞬間。
「――む?」
目の前に、小さな影があった。
ゴスロリ衣装に身を包み、頭に大きなリボンをつけた少女。
そして、その背後には不釣り合いなほど巨大な――彼女の身長ほどもある――無骨な戦斧が引きずられている。
(うわ、出た)
アニアスは心の中で悲鳴を上げた。
四天柱の一角、『怪力無双』のピコだ。
昨日のパレードで見た、一番関わりたくないタイプ(全員関わりたくないが)の筆頭である。
アニアスは即座に『影薄』を発動し、壁のシミになりきった。
呼吸を止め、心拍数を下げ、存在感を限りなくゼロにする。
大丈夫だ。ガンドルフォには見つかったが、あれは奴の勘が鋭すぎただけだ。この幼女は、見た感じ大雑把そうだし、気づかないはず――。
「んー? なんかそこにいるのだ?」
ピコが、アニアスのいる空間をジッと見つめた。
その瞳は、獲物を探す猛獣のように鋭い。
(嘘だろ!? なんでバレるんだよ!?)
アニアスは冷や汗をかいた。
魔族の幹部クラスともなると、気配察知能力も桁違いなのか。それとも、アニアスの隠密スキルが錆びついているのか。
「お前、見ない顔なのだ。新入りか?」
ピコがズズズ……と戦斧を引きずりながら近づいてくる。床の大理石が悲鳴を上げて削れている。
「あ、いや、その……」
アニアスは後ずさった。
ここで「勇者です」と言えば、間違いなくこの戦斧が脳天に降ってくるだろう。かといって無視して逃げれば、背中から投げつけられるかもしれない。
「ピコは今、すっごく暇なのだ。魔王様は書類仕事だし、ガンドルフォは鏡を見てニヤニヤしてるし、ネクロは寝てるし、ゼムは説教くさいし……」
ピコはつまらなそうに頬を膨らませると、アニアスを見てニタリと笑った。
その笑顔は無邪気で、愛らしくて、そして底知れない殺気に満ちていた。
「ちょうどいいのだ。お前、ピコと遊ぶのだ!」
「え、あ、遠慮しま――」
「拒否権はないのだ! 遊びは『鬼ごっこ』なのだ! ピコが鬼で、お前が逃げる役! 捕まったら……そうだなあ、ミンチにするのだ!」
「ルールが重い!!」
アニアスがツッコミを入れるのと同時に、ピコが戦斧を軽々と振り上げた。
「いーち、にーい……」
カウントダウンが始まった。
待ってくれているのかと思いきや、彼女の体からは赤い闘気が立ち上り、周囲の空間がビリビリと震えている。
「さーん! 逃げるのだー!!」
ドゴォォォォォン!!
ピコが戦斧を振り下ろした瞬間、アニアスがいた場所の床が爆発した。
瓦礫が飛び散り、土煙が舞う。
「うわあああああっ!?」
アニアスは間一髪で横に跳んでいた。
もし一瞬でも判断が遅れていたら、今ごろ「勇者のミンチ(新鮮)」が出来上がっていただろう。
「あははは! いい動きなのだ! 普通の下級兵士なら今のでペシャンコだったのだ!」
ピコは楽しそうに笑いながら、瓦礫の山から戦斧を引き抜く。
「待て待て待て! 城が! 城が壊れるから!」
「大丈夫なのだ! 魔王城は自動修復機能付きだから、いくら壊しても明日の朝には元通りなのだ! だから思う存分暴れられるのだー!」
「そういう問題じゃなくて!」
アニアスは背を向けて全力疾走した。
廊下を駆け抜け、階段を飛び降りる。
しかし、背後からは「待て待てー!」という無邪気な声と共に、壁が破壊される音、柱がへし折れる音、そして高価そうな壺が粉砕される音が迫ってくる。
もはや鬼ごっこではない。災害からの避難訓練だ。
(くそっ、影を薄くしても、範囲攻撃されたら意味がない!)
ピコの攻撃は大雑把だ。狙って攻撃しているというより、進行方向にあるもの全てを薙ぎ払っている。隠れても巻き込まれるだけだ。
「そこなのだー!」
ブンッ!
横の壁をぶち破って、戦斧が飛び出してきた。
アニアスは反射的にスライディングで回避する。頭上の数センチ上を、死の刃が通過していく。
「お兄ちゃん、すっごい避けるのだ! ピコの攻撃、全然当たらないのだ!」
ピコの目がキラキラと輝き始めた。
最初は暇つぶしのつもりだったが、獲物が予想外に活きが良いことに興奮しているようだ。
「もっと! もっと本気でいくのだー!」
ピコの動きが加速する。
戦斧を風車のように振り回しながら、廊下を突進してくる。
これはもう、逃げ切れない。
(……仕方ない)
アニアスは覚悟を決めた。
ここで死ぬわけにはいかない。あのふかふかのベッドが、美味しい朝食が、俺を待っているのだから。
アニアスの足に魔力が集中する。
勇者としての身体強化。
「――『疾風』」
ヒュンッ。
アニアスの姿がかき消えた。
ピコが戦斧を振り下ろした時には、アニアスは既にピコの背後に回り込んでいた。
「あれ? 消えたのだ?」
ピコがキョロキョロしている隙に、アニアスはさらに加速し、廊下の曲がり角を三つほど連続で曲がり、複雑な魔王城の構造を利用して姿をくらませた。
……数分後。
「むぅ……完全に見失ったのだ」
ピコは瓦礫の山となった廊下で、つまらなそうに戦斧を杖にして立った。
「あんなに速く動ける人間、初めて見たのだ。……お兄ちゃん、面白そうなのだ」
ピコはニシシ、と口の端を吊り上げた。
どうやら、お気に入りのオモチャを見つけた子供のような気分らしい。
「次は絶対捕まえて、解体ショーをするのだ!」
一方その頃。
厨房の冷蔵庫の裏に隠れて震えていたアニアスは、背筋に悪寒が走るのを感じていた。
「……なんか、すっごく嫌な予感がする」
水差しに水を汲む手も震えている。
アニアスは知らなかった。
四天柱最強の破壊神に目をつけられたことが、ガンドルフォに着せ替え人形にされること以上に厄介な未来を招くということを。
魔王城での平穏な生活は、今日も遠い。
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