第46話 コタツと二人の勇者
魔王城の大広間。
そこには、異様な光景が広がっていた。
「勇者様、足元にお気をつけください」
「本日の魔王様のご機嫌は麗しゅうございますよ」
レッドカーペットの両脇に並んだメイドや執事たちが、恭しく頭を下げる。
異世界勇者ショウは、引きつった笑みを浮かべながら、その中央を歩いていた。
(……なんなんだ、これは)
ショウは心の中で叫んだ。
RPGのラストダンジョンだと思って覚悟を決めて来たのに、まるで高級ホテルのVIP待遇だ。
殺気がないどころか、漂ってくるのは心地よいアロマの香りと、どこかから聞こえる優雅なBGM(生演奏)だ。
(罠か? 油断させておいて、玉座の間に入った瞬間に一斉攻撃とか……?)
ショウは警戒を解かなかった。
社畜時代、取引先の甘い言葉に騙されて何度デスマーチを経験したことか。「君の裁量に任せるよ」と言われて喜んでいたら、責任を全部押し付けられたあの苦い記憶が蘇る。
うまい話には裏がある。それが大人の世界の常識だ。
(騙されないぞ。俺はこの世界を救う勇者なんだ。ここで魔王を倒して、大金を持って日本に帰るんだ!)
ショウは『聖剣エクスカリバー(レプリカ)』の柄を強く握りしめた。
そして、廊下の突き当たりにある、一際巨大な扉の前に立つ。
ここが、魔王の間だ。
「勇者ショウ様、ご到着です!」
案内のオークが高らかに宣言し、重厚な扉をゆっくりと開け放った。
ゴゴゴゴゴ……。
開かれた扉の向こうから、圧倒的な魔力の奔流が……来なかった。
代わりに漂ってきたのは、甘酸っぱい柑橘系の香りと、ほっこりとした温かい空気だった。
「……え?」
ショウは目を疑った。
そこは、天井の高い広大な空間だった。ステンドグラスから差し込む光が、床の大理石を照らしている。
そして、その中央。本来なら禍々しい玉座があるはずの場所に、それはあった。
コタツだ。
日本の冬の風物詩、コタツが鎮座していた。
しかも、天板の上には籠盛りの蜜柑と、急須と湯呑みが置かれている。
そのコタツに入っているのは、二人の人物。
一人は、銀髪に黒い角を生やした、絶世の美女。魔王と思われる。
もう一人は、黒髪の青年。ジャージのようなラフな格好で、蜜柑の皮を剥いている。
「……遅かったな、新入り」
黒髪の青年――アニアスが、気だるげに顔を上げて言った。
「待ちくたびれて、蜜柑が二個目に突入するところだぞ」
「……は?」
ショウは思考停止した。
魔王と勇者が対峙する緊迫のシーンを想像していたのに、目の前にあるのは「休日の親戚の家」のような光景だ。
「おい、そこ。突っ立ってないで入るのだ。寒いだろう?」
魔王――リーズヴェルトが手招きする。
「あ、はい……じゃなくて!」
ショウはハッと我に返り、剣を抜いて構えた。
「貴様が魔王だな! 俺は聖王国から派遣された勇者ショウだ! この世界を救い、元の世界に帰るため、貴様を討ちに来た!」
ビシッと決まった名乗り。
だが、コタツの二人の反応は薄かった。
「はいはい、勇者ね。聞いた聞いた」
アニアスが蜜柑を口に放り込みながら言う。
「で? やるのか? ここには俺と魔王しかいないぞ。四天柱たちは今、裏で『魔界人生ゲーム』の最中だしな」
「舐めるな! 俺にはチートスキルがあるんだ!」
ショウは足を踏み出し、コタツに向かって突進しようとした。
その時だ。
「待て」
アニアスの声が、鋭く響いた。
先ほどまでの脱力した雰囲気とは違う、歴戦の戦士だけが持つ威圧感。
ショウの足が、反射的に止まる。
「……なんだよ。命乞いか?」
「違う」
アニアスはスッと指差した。
ショウの足元を。
「土足だぞ」
「……え?」
「ここは俺たちのリビングだ。カーペットの上を土足で歩くな。常識だろ?」
アニアスの目はマジだった。
殺気ではない。だが、掃除をしたばかりの床を汚された主婦のような、静かで重い怒りがそこにはあった。
「あ、す、すみません……」
ショウは思わず謝ってしまった。
日本人のDNAに刻まれた「室内では靴を脱ぐ」という習慣が、異世界でも反応してしまったのだ。
「……って、違うだろ! ここは魔王城だぞ!? 土足厳禁とかあるのかよ!」
「あるに決まってるだろ。このカーペット、ガンドルフォが特注した最高級品なんだぞ。泥が付いたら落ちにくいんだ」
「知るかよ! 俺は戦いに来たんだ!」
ショウは逆ギレして、再び踏み込もうとした。
だが、次の瞬間。
視界がブレた。
「!」
気づいた時には、ショウの体は宙を舞っていた。
ドスン!
背中からカーペットのない床に叩きつけられる。
「ぐっ……!?」
何が起きたのか分からない。
ただ、一瞬でアニアスに懐に入られ、足を払われたことだけは理解できた。
「動きが雑だ。隙だらけだぞ」
見上げると、アニアスが仁王立ちしていた。
いつの間にかコタツから出ていたのだ。手には武器すら持っていない。
「くそっ……! やっぱり先代勇者か……! 腐っても勇者ってわけか!」
ショウは起き上がり、距離を取った。
油断していた。この男、ただの引きこもりではない。
「いいだろう。なら、俺の『現代知識チート』を見せてやる!」
ショウはニヤリと笑い、固有スキルを発動させた。
「『想像創造』! 出でよ、スタンガン!」
バチバチバチッ!
ショウの手に、高電圧を放つ黒い箱のような物体が現れた。
これなら近接戦闘でも有利に立ち回れるし、相手を麻痺させることができる。異世界人には未知の兵器だ。
「くらえ! 科学の力だ!」
ショウがスタンガンを突き出す。
だが、アニアスは眉一つ動かさなかった。
「……なんだそれは。雷魔法の触媒か?」
「は?」
「ゼム、あれを見ろ」
アニアスが呼びかけると、コタツの奥から「上がりの一番じゃー!」と叫びながらゼム爺さんが現れた。人生ゲームが終わったらしい。
「なんじゃ師匠。……ほう、微弱な雷属性の魔力を帯びた箱じゃな。あんな出力で何をするつもりじゃ? 肩こり治療か?」
「か、肩こりじゃない! 高電圧だぞ! 人間なら気絶する威力だ!」
「ふぉっふぉっふぉ、甘い甘い。ワシの『黒雷』に比べれば、静電気のようなものじゃよ」
ゼムが指先をチロチロと動かすと、そこにはスタンガンとは比較にならない質量の黒い稲妻が走っていた。
「ひぃっ……!」
ショウは後ずさった。桁が違う。
「くそっ、ならこれだ! 『催涙スプレー』!」
シュァァァァ!
小さな缶から、刺激性のガスが噴射される。
「ネクロ、風だ」
「……ん」
いつの間にか起きていたネクロが、あくびをしながら手を振った。
突風が巻き起こり、ガスは全てショウの方へ逆流した。
「ぐわぁぁぁぁ! 目が! 目がぁぁぁ!」
自爆である。
ショウは涙と鼻水を流しながらのた打ち回った。
「……あーあ。カーペットが汚れる」
アニアスが呆れたように言う。
「おい新入り。お前のその『想像創造』とかいうスキル、便利そうだが……出しているものが貧弱すぎるぞ」
「な、なんだと……!」
「そのバチバチする箱も、変な霧が出る缶も、この世界じゃ『魔法』で代用できる。しかも、魔法の方が威力も応用力も上だ。わざわざ魔力を消費して、劣化品を作ってどうする」
正論だった。
ぐうの音も出ない正論だった。
現代兵器は強力だが、それは「魔法のない世界」だからこそ脅威たり得るのだ。
魔法が日常的に存在するこの世界で、中途半端な科学兵器を持ち出したところで、子供のオモチャにしかならない。
「う……うう……」
ショウは膝をついた。
物理でも負け、スキルでも負け、論理でも負けた。
完敗だ。
「分かったら、まずは顔を洗ってこい。目が痛いだろ」
アニアスが濡れタオルを投げてよこした。
冷たいタオルが、腫れた目に心地よい。
「……なんで、助けるんだよ。俺は敵だぞ」
「敵? 誰が?」
アニアスは不思議そうに首を傾げた。
「お前、聖王国に騙されて連れてこられただけだろ? 被害者じゃないか」
「えっ」
「さっき『元の世界に帰るため』って言ってたな。つまり、魔王を倒せば帰れるとか、そう言われたんだろ? あいつらの常套句だ」
アニアスの言葉に、ショウは目を見開いた。
図星だった。
「……帰れるっていうのは、嘘なのか?」
「少なくとも、魔王を倒したところで別の世界への扉が開くなんて話は聞いたことがないな。リーズヴェルト、どうなんだ?」
「うむ。我の核を使ったところで、精々美味しい出汁が取れるくらいだぞ。次元を超えるなど不可能だ」
魔王があっけらかんと言う。
「……嘘だろ……」
ショウは絶望した。
帰れない。
社畜生活から脱出できたと思ったら、今度は帰宅難民になってしまった。
「ま、そう落ち込むなよ」
アニアスがコタツの布団をめくった。
「とりあえず入れよ。温かいぞ」
「……え?」
「戦う気がないなら、客だ。茶くらい出してやる」
アニアスは新しい湯呑みにお茶を注いだ。
湯気が立っている。
ショウは戸惑いながらも、ふらふらとコタツに近づき、今度はちゃんと靴を脱いで足を滑り込ませた。
「……!」
温かい。
足元から、じんわりとした熱が伝わってくる。
会社のデスクの下で冷え切っていた足が、解きほぐされていくようだ。
「……あったかい」
ショウの目から、自然と涙がこぼれた。
悔し涙ではない。安堵の涙だ。
召喚されてからずっと張り詰めていた糸が、プツリと切れた気がした。
「おう、泣くな泣くな。蜜柑食うか?」
アニアスが蜜柑を差し出す。
「……いただきます」
ショウは蜜柑を受け取り、一口食べた。
甘い。
コンビニの廃棄弁当ばかり食べていた舌に、果汁が染み渡る。
こうして、異世界勇者ショウの魔王討伐は、コタツの魔力と先輩勇者の優しさと圧倒的実力差によって、あっけなく幕を閉じた。
彼が魔王城の住人――正確には「下っ端兼便利屋」として定住することになるのは、もう少し先の話である。




