第43話 魔物がいない世界、あるいは鍋パーティーの夜
聖王国フソルパドの王都を出発した異世界勇者、ショウ。
彼は今、王都から数キロ離れた「迷いなき森」を彷徨っていた。
「……おかしい」
ショウは額の汗を拭いながら、周囲を見回した。
手には、王家から支給された装飾過多な『聖剣エクスカリバー(レプリカ)』が握られている。重い。重心が悪すぎて、素振りをするだけで手首が悲鳴を上げそうだ。
だが、今の問題はそれではない。
「魔物が、一匹もいない」
ショウは困惑していた。
事前のリサーチ……という名のラノベ知識によれば、最初の街の周辺にはスライムやゴブリンといった「経験値稼ぎ用の雑魚敵」が配置されているはずなのだ。
それらを倒してレベルを上げ、スキルポイントを稼ぎ、装備を整えてから旅立つ。それがRPGにおける鉄板のセオリーである。
しかし、歩けども歩けども、魔物の姿がない。
鳥のさえずりと、風の音しか聞こえない。
平和すぎる。
「これじゃレベル上げができないじゃないか……。俺、まだレベル1だぞ?」
ショウは焦った。
自身の固有スキル『想像創造』は強力だが、魔力消費が激しい。レベルを上げて最大MPを増やさなければ、満足に使いこなせないのだ。
「おーい! スライムー! 出てこーい!」
藪に向かって叫んでみる。返事はない。
仕方なく奥へと進んでいくと、開けた場所に出た。
そこには、異様な光景が広がっていた。
「……なんだこれ」
地面が、直径十メートルほどの円状に「抉り取られて」いたのだ。
爆発の跡ではない。まるで巨大なスプーンで掬い取ったかのように、土ごと何かが消滅している。
その断面は鏡のように滑らかで、草一本生えていない。
「魔法の跡か? それにしても、威力が桁違いだろ……」
ショウが戦慄していると、近くの茂みがガサガサと揺れた。
「うわっ! 出たか!?」
ショウは慌ててレプリカ剣を構えた。
だが、現れたのは魔物ではなかった。
大きなリュックを背負った、行商人の老人だった。
「ひぃっ! み、見逃してください! 金なら置いていきますから!」
老人はショウの鎧姿と殺気立った顔を見て、山賊か何かと勘違いしたようだ。
「ち、違います! 俺は勇者です! 魔物を探してるんです!」
「勇者様? ……はぁ、なんだ。てっきり『白い悪魔』が出たのかと……」
「白い悪魔?」
老人は安堵の息を吐き、荷物を下ろした。
「ええ。最近この辺りに出没するんですよ。白い服を着た女が。『ここには不浄な気配がします』とか言って、魔物の巣を地形ごと消し飛ばしていくんです」
「地形ごと……?」
ショウは先ほどのクレーターを見た。あれがその痕跡か。
「おかげでこの辺りの魔物は全滅ですよ。街道は安全になりましたが、薬草まで消滅しちまうんで、商売あがったりですわ」
「全滅……」
ショウは絶句した。
レベル上げのための狩場が、謎の先行者によって焦土と化している。
これでは経験値稼ぎどころではない。
「あ、でも森の奥の方に行けば、まだ生き残りがいるかもしれませんよ。もっとも、そっちは『破壊の台風』が通り過ぎた後なので、木がなぎ倒されて歩きにくいですが」
「破壊の台風?」
「ええ。小さな女の子が巨大な斧を振り回して、魔獣を片っ端からミンチにして回っているとか……。最近の魔界は物騒ですなぁ」
ショウは乾いた笑いを浮かべた。
白い悪魔に、破壊の台風。
なんだその世紀末な世界観は。俺が召喚されたのは、王道ファンタジーじゃなくてハードモードなポストアポカリプスだったのか。
「……ありがとうございます。気をつけて行きます」
ショウは老人と別れ、トボトボと歩き出した。
雑魚敵すらいない世界。
それは、安全であると同時に、勇者としての成長の機会を奪われたことを意味していた。
(クソッ……! これじゃあ魔王城に着くころには、装備だけのレベル1勇者になっちまう!)
ショウの社畜根性に火がついた。
条件が悪ければ、頭を使うしかない。
レベルが上げられないなら、スキルを熟練させるしかない。
「見てろよ……。現代人の知恵と工夫で、この無理ゲーを攻略してやる!」
彼は歩きながら、スキル『想像創造』の検証を始めた。
まずは、この重たくてダサい鎧をどうにかするために。
◇
一方その頃。
魔王城のVIPルーム。
外は冷たい雨が降っていたが、部屋の中は春のような温かさに包まれていた。
部屋の中央には、西の都で買った『携帯用魔導コンロ』が設置され、その上に大きな土鍋が乗っている。
グツグツと煮える音と、食欲をそそる出汁の香りが部屋中に充満していた。
「できたぞー! 今日は『魔界寄せ鍋』だ!」
アニアスが鍋の蓋を取ると、湯気と共に歓声が上がった。
「わぁー! 美味しそうなのだ!」
「アニアスちゃんの出汁、いい香りねェ!」
コタツを囲んでいるのは、いつものメンバーだ。
魔王リーズヴェルト、四天柱のガンドルフォ、ピコ、ネクロ、ゼム。
彼らはそれぞれ小皿を持ち、目を輝かせている。
「具材は旅の思い出スペシャルだ」
アニアスがお玉で具をすくいながら解説する。
「メインは西の都で買った『魔界霜降り牛』。野菜は東の森でピコが獲った『巨大白菜』と『暴れ大根』。魚介は南の湖の『ホタテ』。そして、北の宿で貰った『特製豆腐』だ」
「豪華絢爛だな! まさに魔界オールスターズだ!」
リーズヴェルトが肉を頬張り、熱さに悶えながらも笑顔を見せる。
「はふっ、はふっ……うまい! 口の中で肉が溶けるぞ!」
「野菜も甘いのだ! ピコが頑張って収穫した甲斐があったのだ!」
「……ホタテ、ぷりぷり。……いい出汁、出てる」
皆が幸せそうに食べているのを見て、アニアスも満足げに箸を進める。
旅の疲れを癒やすには、温かい鍋と、気心の知れた仲間がいれば十分だ。
「それにしてもォ」
ガンドルフォが魔界エールを飲みながら言った。
「最近、世の中が平和になりすぎじゃないかしらァ? 西の坑道に来るまでの道中、魔物一匹出なかったのよォ」
「うむ、そういえばそうじゃな。ワシが北から戻る時も、ドラゴンはおろかゴブリンすら見かけんかった」
ゼムが頷く。
魔王城の周辺だけでなく、魔界全土、そして人間界との境界付近に至るまで、魔物の目撃情報が激減しているらしい。
「それは良いことではないか? 争いが減れば、我らものんびりできる」
リーズヴェルトは楽観的だ。
「まあ、原因は分かってるけどな」
アニアスは苦笑した。
ピコの乱獲と、エミリアの浄化。
この二大災害が各地を巡った結果、生態系のバランスが崩れ、魔物たちが絶滅危惧種並みに減ってしまったのだろう。
「平和なのはいいことだが……これじゃあ、もし新しい勇者が現れても、レベル上げができなくて困るだろうな」
アニアスは何気なく冗談を言った。
「ぶははは! 違いない! レベル1のまま魔王城に挑んでくる勇者など、玄関のマットで躓いて死ぬぞ!」
魔王が大笑いする。
部屋中が笑いに包まれた。
だが、アニアスは知らなかった。
その冗談が、まさに今、現実のものとして進行していることを。
レベル1のまま、知恵と根性だけで魔王城を目指す「社畜勇者」が、着実にこちらへ近づいていることを。
「……ん?」
ふと、アニアスは箸を止めた。
背筋に、冷たいものが走った気がしたのだ。
エミリアが近くにいる時の悪寒とは違う。もっとこう、異質な、噛み合わない何かが近づいてくるような感覚。
「どうしたアニアス? 肉が足りんのか?」
「いや……なんでもない。気のせいだ」
アニアスは首を振り、再び鍋に向き合った。
今は、この温かい時間を楽しもう。
明日になればまた、何か面倒なことが起こるかもしれないのだから。
窓の外では、冷たい雨が降っていた。
遠く離れた森の中で、雨に打たれながらカップ麺(魔力生成品)を啜る、もう一人の勇者の姿があるとも知らずに。




