第4話 勇者の新しいお部屋(と、最高の寝具)
「ここが今日から貴様の部屋だ!」
魔王城の最上階に近い一角。
リーズヴェルトが自信満々に開け放った重厚な両開きの扉の向こうには、アニアスの想像を絶する光景が広がっていた。
「……ひ、広い」
第一声はそれだった。
かつてアニアスが住んでいた村の家が三つは入りそうな広さだ。
床には深紅の絨毯が敷き詰められ、天井からは煌びやかなシャンデリアが魔法の光を放っている。
窓の外には、魔界特有の紫がかった美しい夜空と、眼下に広がる城下町の灯りが見える。
「ここは本来、国賓級の客人を迎えるための『王の間』なのだが、あいにくここ数百年、国賓など来たことがなくてな。埃を被っているよりは使ったほうが良かろう」
「い、いや、俺にはもったいないというか、広すぎて落ち着かないというか……」
アニアスがおどおどと部屋の隅に縮こまろうとすると、リーズヴェルトはアニアスの背中をバンと叩いた。
「何を言う! マブダチの部屋が狭くては、魔王である我の沽券に関わるのだ。遠慮するな。そして、これを見ろ」
リーズヴェルトが指差したのは、部屋の中央に鎮座する巨大なベッドだった。
キングサイズどころではない。エンペラーサイズとでも言うべきか。
「これは『夢魔の羽毛布団』と『スライム・ゲル・マットレス』の最高級品だ。一度寝たら、二度と起き上がりたくなくなると言われている、魔界の技術の結晶だぞ」
「……へえ」
アニアスは興味なさそうに返事をしたが、内心では少し気になっていた。
旅の間、アニアスはずっと野宿だったのだ。ゴツゴツした岩場や、湿った土の上で寝るのが当たり前だった。
アニアスは恐る恐るベッドに近づき、指先でマットレスを押してみた。
ぷにっ。
「……お?」
想像以上の弾力。そして、吸い付くような感触。
アニアスは靴を脱ぎ、そのままベッドにダイブした。
ボフッ、という音と共に、アニアスの体が優しく包み込まれる。
まるで雲の上にいるようだ。いや、雲になんて乗ったことはないが、きっとこんな感じに違いない。適度な反発力が体の重みを分散させ、旅の疲れがジュワッと溶けていくような感覚。
「……すごい」
「だろう? だろう?」
リーズヴェルトが我が事のように胸を張る。
「あ、あぶない……これは、人間をダメにするベッドだ……」
「ほう、人間をダメにするか。それは魔族としては最高の褒め言葉だな!」
アニアスは枕に顔を埋めながら、深呼吸をした。ほのかに甘い香りがする。これも安眠効果のある香草だろうか。
もう、指一本動かしたくない。
明日の朝、早起きして剣の稽古をする? 王都へ報告に戻る?
そんなこと、どうでもいい。
「……リーズヴェルト」
「なんだ?」
「俺、ここから出ない」
布団にくるまったまま、アニアスはボソッと言った。
それは、単なる怠惰な引きこもり宣言だった。あまりの快適さに、もう一歩も動きたくないという、勇者にあるまじき堕落の言葉。
だが、魔王リーズヴェルトの耳には、それは全く別の意味として届いていた。
(……なんと!)
リーズヴェルトは目を見開いた。
「ここから出ない」。それはつまり、人間の世界には二度と戻らず、この魔王城に骨を埋めるという覚悟の表れではないか。
出会ったばかりの自分を信じ、故郷も名声も捨てて、この地で生きることを決意したというのか。
(アニアス……貴様、どれほど男らしいのだ……っ!)
リーズヴェルトの胸が熱くなる。
マブダチの重い決断を、魔王として受け止めねばならない。
「ぶはははは! そうかそうか! 気に入ってくれて何よりだ!」
リーズヴェルトは豪快に笑うと、優しげな眼差しでアニアスを見下ろした。
「では、夕食の時間になったら呼びに来るからな。それまでゆっくり休むといい」
そう言い残して部屋を出て行った。
パタン、と扉が閉まると、広大な部屋に静寂が戻る。
静かだ。
誰の視線もない。誰の声もしない。
ただ、ふかふかのベッドがあるだけ。
「……幸せって、こういうことか」
世界を救うことよりも、名声を得ることよりも。
ただ、誰にも邪魔されずに極上のベッドで寝る。
勇者アニアスが、人生で初めて心からの幸福を感じた瞬間だった。
そして彼は決意した。
この生活を守るためなら、多少は本気を出してもいいかもしれない、と。
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