第38話 北の温泉街、湯けむり旅情編
南の『奈落の魔湖』を出発した一行は、死霊王ネクロの愛車『夢幻霊柩車』に揺られ、北上を続けていた。
旅もいよいよ終盤。
最後の目的地は、魔界の北端に位置する極寒の地、『氷結地獄』である。
「……寒い」
車窓から見える景色は、いつしか一面の銀世界へと変わっていた。
南国の湿気とは打って変わり、乾いた冷気が車内にも染み込んでくるようだ。
アニアスは毛布にくるまり、ガタガタと震えていた。
「師匠、情けないぞ。この程度で震えていては、ワシの領地では生きていけんぞ」
向かいの席で、ゼム爺さんが熱いお茶を啜りながら笑う。
彼は包帯ぐるぐる巻きのミイラ姿だが、なぜか寒さには強いらしい。
「爺さんは死んでるからいいだろうけど、俺は生身の人間なんだよ……」
「失礼な。ワシはアンデッドではないぞ。長生きしすぎて皮膚が乾燥するから包帯を巻いて保湿しておるだけじゃ」
「美容目的だったのか……」
衝撃の事実にアニアスが呆れていると、ピコが窓に張り付いて叫んだ。
「お兄ちゃん! 雪なのだ! 真っ白なのだー!」
「うむ、美しいな。……しかし、これだけ積もっていると、車での移動は厳しいかもしれん」
魔王リーズヴェルトが心配そうに言う。
その時、車が大きく揺れて停車した。
「……着いた。……ここからは、徒歩」
運転席(御者台)にいたネクロが扉を開ける。
外は吹雪だった。
「うへぇ……。マジかよ」
アニアスは絶望した。
コタツが恋しい。今すぐ魔王城に帰りたい。
だが、ここで引き返すわけにはいかない。エミリアが先回りしている可能性がある以上、確認しなければならないし、何よりこの先には「温泉」が待っているのだ。
「行くぞアニアス! 温泉卵が我らを呼んでいる!」
リーズヴェルトがアニアスの腕を引っ張る。
一行は吹雪の中、雪道を歩き出した。
◇
一時間後。
アニアスの意識が遠のきかけた頃、吹雪の向こうに温かな灯りが見えてきた。
「見えたぞ! あれが『雪見の宿・ゼム屋』じゃ!」
ゼムが得意げに指差す。
そこには、巨大な木造建築の旅館があった。
屋根には雪が積もり、軒先からは立派な氷柱が下がっているが、建物全体からは湯気が立ち上り、見るからに暖かそうだ。
入り口には『歓迎・魔王様御一行』という看板と共に、雪だるまの魔物が並んでいる。
「いらっしゃいませー! お待ちしておりましたー!」
ガラリと扉が開くと、着物姿の女性たちが出迎えてくれた。
透き通るような白い肌に、氷のような髪飾り。
『雪女』たちだ。
「おお、女将! 久しぶりじゃな!」
「ゼム様! お帰りなさいませ!」
女将と呼ばれた美しい雪女が、深々と頭を下げる。
どうやらここは、ゼムの実家兼、彼がオーナーを務める温泉宿らしい。
「それと……あちらのお客様も、首を長くしてお待ちですよ」
女将がロビーの奥を指し示す。
そこには、暖炉の前で優雅にホットミルクを飲んでいる、巨大なピンク色の影があった。
「あらァ、遅かったわねェ。待ちくたびれちゃったわよォ」
「ガンドルフォ!?」
アニアスが驚きの声を上げる。
西の都で別れたはずの魔将軍が、なぜかここにいる。
「仕事はどうしたんだ?」
「ンフフ、アタシの本気を見くびらないでちょうだい。徹夜で全部片付けて、早馬で先回りしたのよォ! アニアスちゃんとの混浴チャンスを逃すわけないじゃない!」
ガンドルフォはウィンクした。
どうやら、愛の力という名の執念で仕事を終わらせてきたらしい。アニアスは少し引いたが、頼もしい仲間が合流したことには安堵した。
「ささ、皆様お寒かったでしょう。まずは温泉で温まってください」
案内されたのは、最上階の特別室。
部屋に入った瞬間、アニアスは生き返った心地がした。
畳の床、障子窓、そして部屋の隅には火鉢が置かれている。
魔界とは思えないほど、人間界の東方に伝わる「和」という文化を感じる空間だ。
「……落ち着く」
アニアスは畳の上で大の字になった。
初めて見るはずだが、なぜか遺伝子レベルで懐かしさを感じる。
「アニアスよ、感動するのはまだ早いぞ。ここからが本番だ」
リーズヴェルトが浴衣に着替えながら言う。
「この宿の自慢は、何と言っても『露天風呂』だ! 雪景色を見ながら浸かる温泉は格別だぞ!」
「露天風呂か……」
アニアスはゴクリと唾を飲み込んだ。
雪見風呂。それは全人類の憧れだ。
冷えた体に熱いお湯。想像するだけで脳がとろけそうだ。
「よし、行こう!」
アニアスは浴衣をひっ掴んで立ち上がった。
男湯と女湯に分かれ、いざ極楽へ。
◇
脱衣所で服を脱ぎ、アニアスは浴室への扉を開けた。
ムワッとした湯気と共に、硫黄の香りが鼻をくすぐる。
内湯を通り抜け、露天風呂へのガラス戸を開けると――。
「……おお」
そこは、絶景だった。
岩で作られた広々とした湯船。その向こうには、ライトアップされた雪景色が広がっている。
ちらちらと舞う雪が、湯気に溶けて消えていく。
「……最高だ」
アニアスは湯船に浸かり、大きく息を吐いた。
温度は少し熱めだが、外気が冷たいのでちょうど良い。
肩まで浸かると、旅の疲れが一気に溶け出していくようだ。
「……アニアス、こっち」
湯気の中からネクロが現れた。
彼は頭に手ぬぐいを乗せ、湯船の端で穀物で作られた魔界酒を浮かべている。
「……雪見酒。……大人の味」
「お前、未成年じゃなかったのか?」
「……死霊年齢は百歳超えてる」
「そうか……」
アニアスも真似して、桶に入った冷酒を一口飲んだ。
冷たい酒が喉を通り、熱いお湯が体を温める。
至福。これぞ至福。
「……極楽じゃのう」
隣でゼム爺さんが背中を流している。
男三人、裸の付き合い。
魔王城でのドタバタが嘘のような、静かで穏やかな時間だ。
――カラン。
その時、女湯の方から桶が落ちるような音が聞こえた。
壁一枚隔てた向こう側だ。
「あちち! このお湯、熱すぎるのだ!」
「我慢しろピコ。熱いお湯に入ってこそ、魔族の肌は鍛えられるのだ」
ピコとリーズヴェルトの声だ。
「あらァ、でもちょっと刺激が強すぎないかしらァ? なんだかピリピリするわよォ」
ガンドルフォの声も聞こえる。
先ほど合流した彼女? も、当然のように女湯を満喫しているらしい。まあ、心は乙女だから問題ないのだろう。
「……ピリピリ?」
アニアスは嫌な予感を覚えた。
ピリピリするお湯。
それは、どこかで聞いたフレーズだ。
「……まさかな」
アニアスは自分のお湯を掬ってみた。
無色透明。硫黄の匂い。
聖水のような輝きはない。
「考えすぎか……」
アニアスが安心したのも束の間。
女湯から、聞き覚えのある声が響いてきた。
「皆様、お背中を流しましょうか?」
「!?」
アニアスは飛び上がった。
間違いない。あの声は。
「あら、新しい仲居さんかしらァ? お願いしようかしら」
「はい、喜んで。……『聖なるタワシ』で、邪気ごと削ぎ落として差し上げますわ」
「ギャアァァァァァッ!!」
ガンドルフォの太々しい悲鳴が雪山に木霊した。
「い、痛い! 痛いわ! 何よその金色のタワシ! 聖属性が付与されてるじゃない!」
「あら、ご不満ですか? ではこちらの『聖水シャワー』で……」
「やめろぉぉぉ! 溶ける! アタシが溶けちゃう!」
ドタバタという音と、水しぶきの音。
そして、凛とした少女の声。
「逃がしませんよ。この温泉街の不浄、すべて私が洗い流してみせます!」
アニアスは湯船の中で顔を覆った。
やはり、いた。
聖女エミリア。彼女は有言実行の女だ。
北の温泉街に来ると書き置きを残していた通り、ここで待ち構えていたのだ。
「……どうする、アニアス?」
ネクロが冷静に尋ねる。
「……逃げるしかない。会ったら最後、俺もタワシで洗われる」
アニアスは決意した。
せっかくの温泉だが、命と皮膚には代えられない。
男湯の脱衣所へ向かおうとした、その時。
ガラッ!
男湯の入り口が開いた。
「失礼します。男湯の掃除も頼まれておりまして」
湯気の中に立つ、白いエプロン姿の影。
アニアスは、全裸のまま石化した。
湯けむり旅情編、開幕早々クライマックスである。




