第34話 森の賢者と悩み相談、あるいはピコの小さな願い
勇者アニアスと破壊神ピコの秘密基地が完成してから、数日が経った。
二人は毎日のようにツリーハウスに通い、昼寝をしたり、お菓子を食べたり、時には森の魔物たちと戯れたりして過ごしていた。
それは、アニアスにとっても、ピコにとっても、かけがえのない穏やかな時間だった。
しかし、ある日の午後。
いつものようにツリーハウスの窓辺で日向ぼっこをしていたアニアスは、隣に座るピコの様子がおかしいことに気づいた。
「……はぁ」
ピコが深いため息をついたのだ。
いつもなら「お兄ちゃん、遊ぶのだ!」と飛びついてくるはずの元気印が、今日は膝を抱えてしょんぼりとしている。
手元にある大好物のクッキーにも、手を付けていない。
「どうした、ピコ。腹でも痛いのか?」
アニアスが心配して顔を覗き込むと、ピコはふるふると首を振った。
「ううん。……ちょっと、考え事なのだ」
「考え事? お前が?」
失礼なことを言ってしまったが、ピコは怒りもせずに、また「はぁ」とため息をついた。
これは重症だ。
天変地異の前触れかもしれない。
「……お兄ちゃん。ピコ、森の賢者様に会いたいのだ」
「森の賢者?」
「うん。この森のずっと奥、霧の谷に住んでいる『人面樹』のお爺ちゃんなのだ。何でも知ってる物知りなのだ」
人面樹。
名前からして不気味な響きだが、魔界では知恵の象徴とされている植物魔族の一種だ。
「悩みがあるなら、俺が聞くぞ?」
「……お兄ちゃんには、言えないのだ」
ピコは少し顔を赤くして、もじもじと視線を逸らした。
アニアスには言えない悩み。
見た目は幼女だが年頃の女の子だ。もしかしたら、恋の悩みとか、そういうデリケートな話なのかもしれない。
(だとしたら、俺じゃ役に立たないな……)
アニアスは恋愛経験値ゼロだ。エミリアからの好意からも逃げ回っている身である。
「分かった。連れて行ってやるよ。一人じゃ危ないしな」
「ほんと!? ありがとうなのだ!」
ピコがパァッと顔を輝かせた。
やはり、笑顔が一番だ。アニアスは立ち上がり、ピコの手を引いてツリーハウスを出た。
◇
森の奥深く。
そこは、昼間でも薄暗く、ひんやりとした霧が立ち込める静寂の世界だった。
道はなく、苔むした岩と巨木の根が複雑に入り組んでいる。
「こっちなのだ。迷わないように気をつけるのだ」
ピコがアニアスの手をぎゅっと握りしめて先導する。
普段ならアニアスがピコを守る立場だが、この森においては彼女のほうが頼りになるガイドだ。
しばらく進むと、霧の向こうに一本の奇妙な木が見えてきた。
高さは三メートルほど。枝葉は少なく、幹が異様に太い。
そして、その幹の中央には、皺だらけの人間の顔が浮かび上がっていた。
「……うわっ」
アニアスは思わず声を上げた。
リアルだ。あまりにもリアルな翁の顔が、木の皮で形成されている。
目は閉じられ、深い眠りについているようだ。
「賢者様! ピコなのだ! 起きてほしいのだ!」
ピコが駆け寄り、木の幹をペチペチと叩く。
すると、幹の顔がゆっくりと目を開けた。
その瞳は苔のような緑色をしており、長い年月を生きた者特有の深みがあった。
「……ふぁぁぁ。……誰じゃ、ワシの安眠を妨げるのは」
木が喋った。声は枯れ木が擦れるような低い音だ。
「ピコなのだ! 久しぶりなのだ!」
「おお、ピコか。……背が伸びたかの? いや、変わっとらんな」
「むぅ! そこを気にしているのに!」
ピコが頬を膨らませる。
賢者はゆっくりと視線を動かし、ピコの後ろにいるアニアスを捉えた。
「……ふむ。そちらの人間は?」
「お兄ちゃんなのだ! ピコのマブダチなのだ!」
「……ほう。人間が、破壊の申し子と友になろうとは。……世も末じゃな」
賢者は皮肉っぽく笑ったが、その目に敵意はないようだった。
「して、今日は何の用じゃ? またワシの実を毟りに来たのか?」
「違うのだ! 今日は……相談があるのだ」
ピコは急に神妙な顔になり、アニアスをちらりと見た。
「お兄ちゃん、ちょっと耳を塞いでてほしいのだ」
「え、俺は聞いちゃダメなのか?」
「ダメなのだ! 乙女の秘密なのだ!」
アニアスは仕方なく、少し離れた岩場に座り、両手で耳を塞ぐポーズをとった。
(実際には『聴覚強化』のスキルを使えば聞こえるが、それをしたら野暮というものだろう)
ピコは賢者に近づき、内緒話をするように小声で話し始めた。
「……あのね、賢者様。ピコ、早く大人になりたいのだ」
「大人にか? なぜじゃ? 子供の特権を捨てることなどないじゃろう」
「……だってお兄ちゃんは、いつか魔王城を出て行っちゃうかもしれないのだ」
ピコの声が震える。
「お兄ちゃんは人間なのだ。人間は魔族より寿命が短いし、本当のお家は遠いところにあるのだ。……ピコが今のまま子供だったら、お兄ちゃんを守れないのだ」
アニアスは、耳を塞いでいるフリをしながら、その言葉を聞いてしまった。
胸が締め付けられるようだった。
彼女の悩み。
それは「背が伸びない」といった単純なコンプレックスではなく、種族の違いによる「別れの予感」と、アニアスを守りたいという切実な願いだったのだ。
「もっと大きくなって、もっと強くなって……ガンドルフォみたいにナイスバディなお姉さんになれば、お兄ちゃんをずっと守ってあげられると思うのだ。お嫁さんにもなれるかもしれないのだ」
ピコは真剣だった。
その小さな体の中に、どれほど大きな愛情を抱えているのか。
賢者はしばらく沈黙した後、優しく語りかけた。
「……ピコよ。木を見てみろ」
賢者は自分の枝を揺らした。
「木は、急には育たん。雨を吸い、光を浴び、長い年月をかけて年輪を刻む。……無理に伸ばそうとすれば、幹は細くなり、風で折れてしまうじゃろう」
「……うぅ」
「お主はまだ蕾じゃ。焦ることはない。……それにな、強さというのは体の大きさだけではないぞ」
賢者の目が、岩場に座るアニアスへと向けられた。
「あやつを見ろ。あやつはお主より弱そうに見えるが……お主が心を開いた男じゃ。きっと、お主が思うよりずっと強く、そしてお主のことを大切に思っておるはずじゃ」
「……うん」
「お主はお主のままで、十分に強い。その小さな手で、あやつのために家を作ったのじゃろう? ……森の風が教えてくれたぞ」
ピコがハッとして顔を上げる。
「破壊しかできなかったお主が、誰かと共に何かを創り上げた。……それはもう、立派な『大人』の仕事じゃよ」
賢者の言葉は、森の霧のように優しく、ピコの心に染み渡っていった。
「……そっか。ピコ、今のままでいいのだ?」
「うむ。今のまま、ゆっくりと育てば良い。……その時まで、あやつが待ってくれるかどうかは知らんがな」
賢者は意地悪く笑った。
「賢者様のいじわるー!」
ピコがポカポカと幹を叩く。
だが、その顔にはもう、先ほどまでの曇りはなかった。
◇
話が終わったようだ。
アニアスが近づくと、ピコが満面の笑みで飛びついてきた。
「お待たせなのだお兄ちゃん! スッキリしたのだ!」
「そうか。よかったな」
アニアスは何も聞いていないフリをして、ピコの頭を撫でた。
この小さな頭の中に、自分へのそんな思いが詰まっていると思うと、愛おしさが込み上げてくる。
「……ピコ」
「なになのだ?」
「俺は、どこにも行かないよ。……少なくとも、お前が大人になるまでは、ちゃんと見届けるさ」
「えっ……?」
ピコが目を丸くする。
アニアスは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「マブダチだからな。秘密基地もあるし、そう簡単にはおさらばしないさ」
「……お兄ちゃん!」
ピコはアニアスの腰に抱きつき、顔を埋めた。
少しだけ、服が濡れたような気がした。
「……ほれ、持って行け」
賢者が枝を揺らし、頭の上に生っていた赤い実を二つ落とした。
『人面樹の実』。
見た目はグロテスクだが、食べると知恵がつき、心が落ち着くと言われる希少なフルーツらしい。
「これを食べて、仲良く帰るがいい。……ワシはもう寝る」
賢者は再び目を閉じ、ただの木に戻っていった。
「ありがとう、賢者様!」
二人は賢者に一礼し、手をつないで帰路についた。
霧が晴れ、木漏れ日が差し込んでくる。
帰り道、二人が食べた木の実は、甘酸っぱくて、どこか懐かしい味がした。
ピコの悩みは解決したわけではないかもしれない。
種族の違いや寿命の問題は、いつか必ず向き合わなければならない壁だ。
けれど、今はまだ焦る必要はない。
ゆっくりと、年輪を刻むように、二人の時間を積み重ねていけばいい。
東の森での滞在も、そろそろ終わりが近づいていた。
次は南。
死霊王ネクロの領地、『奈落の魔湖』が待っている。




