第33話 森の奥の秘密基地、あるいは勇者のDIY
『迷わずの森』での収穫祭から一夜明けた、爽やかな朝。
エントたちの村は、祭りの余韻に包まれながらも、いつもの穏やかな時間を取り戻していた。
「お兄ちゃん! 起きるのだー!」
勇者アニアスが借りていた木の上のゲストハウスに、元気な声とともに小さな影が飛び込んできた。
破壊神ピコだ。
彼女はいつものゴスロリ服ではなく、動きやすそうな麻の作業着に身を包み、背中には身の丈ほどもあるリュックを背負っている。
「……おはよう、ピコ。朝から元気だな」
アニアスは眠い目をこすりながら起き上がった。
昨夜はエントたちが醸造した『樹液酒』を少し飲みすぎてしまったようだ。頭が少し重い。
「今日は大事な日なのだ! お兄ちゃんに見せたい場所があるのだ!」
ピコはアニアスの腕をぐいぐいと引っ張る。
その力は相変わらず凄まじく、アニアスはベッドから引きずり出されるようにして立ち上がった。
「見せたい場所? また変な魔物の巣じゃないだろうな?」
「違うのだ! ピコのとっておきの場所なのだ! 魔王様たちには内緒なのだ!」
内緒。
その響きに、アニアスは少しだけ興味を惹かれた。
この無邪気な破壊神が、一体何を隠しているというのか。
アニアスは着替えを済ませ、ピコと共に村を出発した。
目指すは、村から少し離れた森の最深部だという。
◇
道中、ピコは珍しく大人しかった。
いつもなら目につく木々を片っ端から薙ぎ倒して進むところだが、今日はお気に入りの獣道を選んで、慎重に歩いている。
「……ここなのだ」
数十分ほど歩いた先。
鬱蒼とした森が開け、小さな広場に出た。
その中央には、樹齢数千年はいこうかという、とてつもなく巨大な古木が一本、堂々とそびえ立っていた。
枝葉は空を覆い隠すほど広く、太い幹は大人十人が手を繋いでも囲いきれないほどだ。
「でかい木だな……」
「『千年樹』なのだ。この森のヌシなのだ」
ピコは愛おしそうに幹に触れ、そして少し恥ずかしそうに上を指差した。
「あそこに、ピコの『お家』を作るのが夢だったのだ」
見上げると、地上十メートルほどの太い枝の上に、乱雑に積み上げられた木材の山があった。
壁のようなものを作ろうとした形跡はあるが、釘はひん曲がり、板は割れ、全体的に傾いている。
家というよりは、巨大な鳥の巣か、あるいは台風の跡地のようだ。
「……あれが、お家か?」
「……うぅ、笑わないでほしいのだ」
ピコが頬を膨らませて俯く。
「ピコは力が強すぎるから、トントンって釘を打とうとすると、木がバキッて割れちゃうのだ。板を運ぼうとすると、握りつぶしちゃうのだ……」
彼女の声は沈んでいた。
破壊神としての力。それは戦いにおいては最強の武器だが、何かを「創る」ことにおいては、最大の枷となる。
彼女はずっと、自分の力を持て余し、創造への憧れを抱きながらも、結果として破壊しか生み出せないことに心を痛めていたのだろう。
「……だから、諦めようと思ってたのだ。でも、お兄ちゃんを見てたら、もしかしてって思ったのだ」
ピコがアニアスを見上げる。その瞳は、縋るように潤んでいた。
「お兄ちゃんは、昨日の野菜さんたちを傷つけずに収穫したのだ。とっても器用で、優しかったのだ。……お兄ちゃんなら、ピコのお家、作れる?」
アニアスは、作りかけの残骸と、ピコの小さな手を見比べた。
その手には、慣れない作業でできたであろう無数の小さな傷があった。再生能力の高い魔族の彼女に残る傷ということは、何度も何度も失敗しては挑戦した証だ。
アニアスの胸の奥で、何かが動いた。
かつて村にいた頃、自分もよく父の真似事をして、廃材で秘密基地を作ったものだ。
完成した時の達成感。自分だけの城を手に入れた喜び。
それを、この少女にも味わわせてやりたいと、そう思った。
「……任せろ」
アニアスは腕まくりをした。
「俺はこれでも、サバイバルのプロだ。家の一軒くらい、朝飯前だ」
「ほんとなのだ!?」
「ああ。ただし、ピコも手伝えよ。お前の家なんだからな」
「うん! がんばるのだ!」
ピコの顔に、満面の笑みが咲いた。
◇
作業は、まず資材の選別から始まった。
ピコが集めてきた木材は、力任せにへし折られたものが多く、そのままでは建材として使えない。
アニアスは聖剣を抜き、製材作業に取り掛かった。
シュッ、シュッ、シュッ……。
聖剣が目にも止まらぬ速さで振るわれるたびに、歪な木材が綺麗な角材や板へと生まれ変わっていく。
本来なら魔王を倒すための聖なる刃が、今は幼女の夢を叶えるための大工道具として輝いている。聖剣もまた、血を吸うよりはこちらの方が本望かもしれない。
「すっごいのだ! 魔法みたいなのだ!」
ピコが目を輝かせて拍手する。
「ピコ、そっちの太い枝を持っててくれ。俺が切るから」
「了解なのだ! ……そーっと、そーっと……」
ピコは恐る恐る木材に手を添える。
力を入れすぎないように、卵を持つように慎重に。
その額には玉のような汗が浮かんでいる。魔獣を倒す時よりも真剣な表情だ。
「よし、そのまま動くなよ」
アニアスは手早く加工し、釘を使わずに木材同士を組み合わせる『木組み』の技法で床の土台を作り上げていく。
釘がないなら、技術でカバーすればいい。
作業は順調に進んだ。
土台ができ、柱が立ち、壁が張られていく。
アニアスは夢中だった。
人の目を気にすることなく、ただ目の前の作業に没頭する時間。
それは、彼がずっと求めていた「平穏」とは少し違うが、とてつもなく充実した時間だった。
誰かのために、自分の力を使う。
それは「勇者」として義務感で戦っていた時とは違う、もっと温かくて、誇らしい感覚だった。
「お兄ちゃん、ここはどうするのだ?」
「そこは窓にしよう。眺めが良いからな」
「わぁ! じゃあ、ここにはお花を飾るのだ!」
二人は笑い合いながら、小さな家を作り上げていく。
昼過ぎには、可愛らしい三角屋根のツリーハウスが、その形を現し始めていた。
しかし、問題が発生した。
屋根に登るための梯子をかけていた時、アニアスが足を滑らせたのだ。
「うわっ!?」
高所からの落下。
受け身を取ろうとしたが、体勢が悪い。
「お兄ちゃん!」
ピコが反応した。
彼女は咄嗟に地面を蹴り、空中でアニアスを受け止めようと腕を伸ばした。
だが、その瞬間、彼女の顔に恐怖が走った。
(ダメなのだ! ピコが触ったら、お兄ちゃんが壊れちゃう!)
彼女は自分の力を恐れ、一瞬だけ腕を引っ込めてしまった。
ドスンッ。
アニアスは地面に背中から落ちた。
幸い、下には柔らかな苔が生えており、高さもそれほどではなかったため、怪我はなかった。
「……いってぇ」
アニアスが腰をさすりながら起き上がると、ピコが真っ青な顔で立ち尽くしていた。
「……ごめんなさい……ごめんなさいなのだ……」
ピコの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「ピコ、また壊しそうになったのだ……。大切なお兄ちゃんなのに……やっぱりピコは、破壊神なんて呼ばれる化け物なのだ……」
彼女は自分の両手を見つめ、震えていた。
その手は、どれだけ大切に思っても、触れるもの全てを壊してしまう呪われた手だと、彼女自身が一番強く思い込んでいるのだ。
アニアスは痛む腰を無視して立ち上がり、ピコの前に立った。
そして、彼女の小さな頭に、ポンと手を置いた。
「バカだな、ピコ」
「……え?」
「俺は壊れないよ。お前が思ってるより、ずっと頑丈だ」
アニアスは優しく微笑んだ。
「それに、お前は今、ちゃんと手加減できてたじゃないか。木材を持ってる時も、釘を渡してくれる時も。……お前はもう、ただ壊すだけの破壊神じゃない」
アニアスはピコの手を取り、自分の頬に当てさせた。
「ほら。壊れてないだろ?」
温かい感触。
ピコの手は震えていたが、アニアスの頬を優しく包み込んでいた。力など入っていない。ただの、女の子の手だ。
「……うん……壊れてない……」
「お前は、家だって作れるんだ。破壊神じゃなくて、『大工のピコ』だな」
「……ぶはっ、ダサい名前なのだ!」
ピコが泣き笑いのような顔で吹き出した。
アニアスもつられて笑う。
「さあ、仕上げだ。屋根を葺いて完成させるぞ」
「おー! なのだ!」
ピコは涙を袖で拭うと、再び元気よく動き出した。
その動きには、もう迷いはなかった。
◇
夕暮れ時。
茜色に染まる森を見下ろす枝の上に、立派なツリーハウスが完成した。
こぢんまりとしているが、頑丈で、どこか温かみのある木の家だ。
入り口には『ピコとお兄ちゃんの基地』と下手くそな字で彫られた看板が掲げられている。
「できた……できたのだー!!」
ピコがバンザイをして叫ぶ。その声は森中に響き渡り、鳥たちが一斉に飛び立った。
「良い家だ。風通しもいいし、昼寝には最高だ」
アニアスも満足げに頷く。
二人は並んで枝に腰掛け、沈みゆく夕日を眺めた。
「ねえ、お兄ちゃん」
ピコが足をぶらぶらさせながら言った。
「ピコ、今日のこと、一生忘れないのだ。お兄ちゃんと一緒に作ったこのお家、ピコの宝物にするのだ」
「ああ。俺も楽しかったよ」
アニアスは素直に答えた。
魔王城に来てから、色々なことがあった。
けれど、こんな風に誰かと肩を並べて、同じ景色を見て「楽しい」と思えたのは、初めてかもしれない。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
ピコがアニアスの肩に頭を預けてきた。
その重みは心地よく、アニアスは自然と彼女の頭を撫でていた。
対人恐怖症の勇者。
破壊しか知らない魔族の少女。
不器用な二人が作り上げた小さな秘密基地は、世界地図には載らないけれど、二人にとってはどんな城よりも立派な、心の拠り所となった。
その夜。
完成祝いと称して、ピコが秘蔵のお菓子コレクションをリュックからぶちまけ、二人は星空の下でささやかな宴を開いた。
アニアスの「マブダチ」リストに、また一人、かけがえのない存在が正式に加わった夜だった。




