第31話 さらば西の都、いざ東の森へ
西の魔科学都市『嘆きの坑道』での滞在最終日。
勇者アニアスたちは、街の出口である巨大な鉄扉の前に立っていた。
「……本当に行かないのか? ガンドルフォ」
アニアスが振り返ると、そこにはいつになく真面目な顔をした魔将軍ガンドルフォが立っていた。
背後には、涙目のドワーフ職人たちがずらりと並んでいる。
「ええ。行きたいのは山々なんだけれど……。見ての通り、仕事が山積みになっちゃったから」
ガンドルフォは苦笑して肩をすくめた。
あの一件、つまり聖女エミリアによる「善意の漂白テロ」の被害は甚大だった。工場のラインを復旧させ、真っ白になった在庫を染め直し、さらに先日のファッションショーで殺到した注文を捌かなければならない。
領主として、そしてブランドの社長として、今ここを離れるわけにはいかないのだ。
「アニアスちゃんとの旅、とっても楽しかったわ。……特にあのランウェイでの貴方の姿、一生忘れないわよ」
ガンドルフォが熱っぽい視線でアニアスを見る。
アニアスは背筋に悪寒を感じつつも、少しだけ寂しさを覚えた。
強烈なキャラクターで、最初は苦手だった。無理やり着せ替え人形にされたり、ランウェイを歩かされたりと散々な目に遭わされた。
けれど、彼女が自分の領地と職人たちを心から愛していることや、アニアスに対しても方向性は独特だが敬意を持って接してくれていたことは分かっている。
「……分かった。仕事、頑張れよ。あと、抱き枕の販売は絶対に許可しないからな」
「あら、残念。試作品だけでも送ろうと思ったのに」
ガンドルフォは冗談めかして笑うと、魔王リーズヴェルトに向き直り、騎士の礼をとった。
「魔王様。しばしの間、お供できず申し訳ありません。この街の復興が済み次第、すぐに追いかけますわ」
「うむ。頼んだぞ、ガンドルフォ。この街の活気こそが魔界の力の源だ。貴様の美意識で、より一層輝かせてくれ」
「御意!」
力強い返事。
そして、ガンドルフォはアニアスの前に歩み寄ると、その巨体を屈めて視線を合わせた。
「アニアスちゃん。……次は東の森ね。あそこはピコちゃんの庭だけれど、あの通り野生児だから気をつけるのよ? 何かあったら、この『飛翔魔法付き緊急脱出用ドレス』を使いなさい」
「……ありがとう。でもドレスは着ない」
アニアスは渡された包みを受け取った。中身は見なくても分かる。フリル満載だろう。だが、その心遣いは受け取っておくことにした。
「じゃあね、みんな! 良い旅を!」
ガンドルフォが大きく手を振る。
アニアスたちも手を振り返し、死霊王ネクロの愛車『夢幻霊柩車』へと乗り込んだ。
ゴゴゴゴ……と魔導機関が唸りを上げる。
車はゆっくりと動き出し、鉄の都を背にして荒野へと走り出した。
◇
車内は、一人減った分だけ少し広く感じられた。
ネクロはいつものようにクッションに埋もれて眠り、リーズヴェルトはガンドルフォから貰ったファッション雑誌を読んでいる。
そして、ゼム爺さんは――。
「ふあぁ……。やはり西の空気は喉に悪いのう。鉄粉っぽくて敵わん」
なぜか車内にいた。
彼は基本的に空飛ぶ絨毯で移動しているはずだが、今回は「休憩じゃ」と言って同乗しているらしい。
「ゼム、お前は自分の領地に帰らなくていいのか?」
アニアスが尋ねると、ゼムは包帯の隙間からニヤリと笑った。
「ワシの領地は北の『氷結地獄』じゃ。まだ先じゃよ。それに、師匠の旅を見届けるのも弟子の務めじゃからな」
勝手に弟子を名乗るのはやめてほしいが、知識豊富な彼がいるのは心強い。解説役としては優秀なのだ。
そんな静かな車内とは対照的に、窓の外では元気な声が響いていた。
「お兄ちゃーん! こっちなのだー! ピコの家はもうすぐなのだー!」
ピコが車の前を走っている。
小さな体で、荒野の岩場を跳ねるように駆け抜けていく。その背中には、身長の倍はある巨大な戦斧を軽々と背負っている。
「……元気だな、あいつ」
「うむ。ピコの領地である東の森は、魔界でも有数の自然豊かな場所だ。あやつにとっては庭のようなものだろう」
リーズヴェルトが雑誌から顔を上げて言った。
「ただし、『迷わずの森』という名前には騙されるなよ? あれは『一度入ったら二度と出られないから、迷う必要すらない』という意味だからな」
「……物騒なネーミングだな」
アニアスは顔を引きつらせた。
西の都は都会的で洗練されていたが、次は大自然。しかも魔界の自然だ。一筋縄ではいかないだろう。
車は数時間をかけて荒野を横断し、やがて景色が一変した。
地平線の向こうから、どす黒い緑色の壁が迫ってきたのだ。
巨大な樹木。
一本一本が塔のように太く、高くそびえ立ち、空を覆い隠すように枝葉を広げている。
それがどこまでも続いている。森というよりは、樹木の山脈だ。
「着いたのだ! ここから先は車じゃ入れないのだ!」
森の入り口でピコが立ち止まり、手を振っている。
そこには、樹木の根が絡み合ってできた天然のアーチがあった。
『夢幻霊柩車』はアーチの手前で停車した。
「……ん。……ここからは、徒歩」
ネクロがむくりと起き上がり、車を指輪型の魔導具に収納した。便利な機能だ。
「ようこそ! ピコの『迷わずの森』へ!」
ピコが満面の笑みで両手を広げる。
その背後の森からは、異様な気配が漂っていた。
鳥のさえずりにしては低すぎる鳴き声。
風に揺れる枝葉の音にしては、カサカサと何かが這い回るような音。
そして、鼻を突く濃厚な植物の匂い。
「……あそこに入るのか」
アニアスの足がすくむ。
対人恐怖症のアニアスだが、対・魔界生物への恐怖耐性はそれほど高くない。むしろ、得体の知れない生物の方が怖い。
「大丈夫なのだお兄ちゃん! ピコの友達がいっぱいいるのだ! みんな、とってもフレンドリーで食いしん坊なのだ!」
「食いしん坊ってところが一番不安なんだけど!」
アニアスが叫ぶと同時に、森の奥からズズズ……と地響きが聞こえてきた。
地面が盛り上がり、木の根が波打つ。
「お? 早速お出迎えか?」
リーズヴェルトが剣の柄に手をかける。
バォォォォン!!
咆哮と共に姿を現したのは、巨大な花の化け物だった。
花弁は毒々しい紫色で、中央には鋭い牙がびっしりと並んだ口がある。
『人食い巨大花』だ。
「うわあああ! 出たぁぁぁ!」
アニアスがゼムの後ろに隠れる。
「ほっほっほ、活きが良いのう。あれは上質な消化液を持っておる植物じゃ」
ゼムが呑気に解説する。
「ポチ! お座りなのだ!」
ピコが大声で命じた。
すると、襲いかかろうとしていた巨大花が、ピタリと動きを止めた。
そして、犬のように体をくねらせ、その場にぺたんと根を下ろした。
「えっ」
アニアスは目を疑った。
凶悪な魔物植物が、幼女の一声で大人しくなっている。
「いい子なのだ~! よーしよしよし!」
ピコが駆け寄り、花の茎の部分をワシワシと撫でる。
花は気持ちよさそうに葉っぱを揺らし、口からダラダラと蜜(よだれ?)を垂らしている。
「……ポチって名前なのか?」
「ちなみにお隣に生えてるのはタマで、その奥がミケなのだ!」
ピコが指差す先には、さらに数体の巨大植物が顔を出していた。
どうやらこの森の魔物たちは、ピコにとってはペット感覚らしい。
「さあお兄ちゃん、紹介するのだ! こいつはピコの新しいお友達、勇者アニアスなのだ! 食べちゃダメなのだ!」
ピコがアニアスを手招きする。
巨大花が、ギョロリとした目のような模様でアニアスを見た。
品定めするような視線。
そして、興味なさそうにフンと鼻を鳴らし、再びピコに甘え始めた。
「……認められたのか?」
「うむ。どうやら『餌』ではなく『群れの仲間』として認識されたようだな」
リーズヴェルトが笑う。
「さあ行こうアニアス! この森の奥には、ピコ自慢の集落があるそうだ。そこなら美味い野菜料理が食えるぞ!」
「野菜か……」
アニアスは少しだけ期待を持った。
西の都では肉ばかり食べていたので、新鮮な野菜が恋しい。たとえ、その野菜が自ら動いて襲いかかってくるような森で採れたものであったとしても。
「……迷わないように、手をつなぐ?」
ネクロが眠そうな目を向けて手を差し出してきた。
「……頼む」
アニアスは素直にネクロの手を握った。
こうして、魔界漫遊の第二章、東の『迷わずの森』編が幕を開けた。
都会の喧騒から離れ、大自然の驚異と、幼女の無邪気な暴力に翻弄される日々が始まる。
だが、アニアスはまだ気づいていなかった。
この森に、あの『白い悪魔』がすでに足を踏み入れ、とんでもない置き土産を残していったことに。
森の木々が不自然に整列し、雑草一本ないほど綺麗に「草むしり」されていることに気づくのは、もう少し先の話である。




