第3話 勇者のトラウマ、魔王の涙
勇者アニアスは、辺境の村出身だった。
その村は王制国家フソルパドの外れも外れ、国境の境目となる山脈の麓にある、地図にさえも名前が記載されないような小さな村だった。
農畜業はそこそこに、山の恵みで自給自足するその村は、平穏の一言。五十人に満たない少ない住人達で手を取り合い、互いに補いながら過ごしていた。
齢十四になるアニアスも例に漏れず、日の出ている間は山へ入り狩りや採集を行い、日暮れには村に戻る生活をなに不自由なく繰り返していた。
その頃までは、アニアスは多少村の年寄りの長い話が苦手というだけで、人嫌いという事もなく、普通の受け答えは出来ていた。
しかし、ある日を境にアニアスの心には、消えることのない深い楔が打ち込まれることになる。
その日は少し肌寒いものの、清々しい快晴が広がる良い日だった。
いつもの如く早朝から山に入り、昼過ぎに鹿を一頭狩れたという事もあり、いつもより早めに村に戻ろうとしていた時だった。
ドォォォォンッ!!
村の方向から、腹の底に響くような大きな爆発音が轟いた。
バサバサと、森中の鳥達が一斉に羽ばたき、空を覆い隠すように逃げてゆく。
(爆発音……? 何が起こったんだ、はやく村に戻ろう……!)
嫌な予感が背筋を冷たく流れる。
アニアスは狩った鹿の血抜きも終わらせずに、そのまま放置して駆け出した。心臓が早鐘を打ち、呼吸が荒くなる。
村へ向かっている間にまた数回、爆発音が響き渡っていた。
三、四十分掛かったものの、全力疾走でようやく村の手前まできたアニアスの目に映ったのは、黒煙と燃え盛る炎だった。
平和だった村が、燃えていた。
民家は崩れ落ち、肉の焼かれた鼻を突く異臭が辺りに充満している。むせ返りそうな、死の臭いだ。
「な、んだ……これは……」
アニアスは、状況が理解出来ないでいた。
――いや、民家が燃え、住人がもはや動かぬ塊になっているという状況自体は、頭では理解できている。
だが、これが何者によって齎された事態なのかが分からずに、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
バキバキッ、と音を立てて馴染みの民家が倒壊していく。それと共に、アニアスの心の中にある何かも、音を立てて壊れていくような気がした。
そんな中で村の反対側から、馬の嘶きがかすかに聞こえた気がした。
アニアスはその嘶きを頼りに、覚束ない足取りで駆け出す。
もしかしたら、村の生き残りがいるかもしれないから。誰かが、助けを求めているかもしれないから。
そんな微かな希望は、すぐに無残な形で砕け散った。
馬の嘶きの主は、立派な馬車を引く馬だった。その周りには、粗野な装備を身に着けた筋骨隆々な男達が数名。
山賊というやつだろう。
彼らはゲラゲラと下卑た笑い声を上げながら、略奪した金品を馬車に放り込んでいた。手に持つ武器からは、ポタポタと鮮血が滴っている。
恐らくそれは、村の者達のものだろう。
「――っ」
怒りか、恐怖か、それとも絶望か。
アニアスの喉から、言葉にならない音が漏れる。
山賊の一人が、アニアスの存在に気づいた。
「おやァ? 生き残りがまだいたか。ガキ一人……運が悪かったなぁ!」
男がニヤリと笑い、血濡れた斧を振り上げる。
その表情は、人を殺すことを何とも思っていない、いや、楽しんでいる人間のそれだった。
アニアスの脳裏に、村の人々の笑顔が走馬灯のように駆け巡る。
いつも飴をくれた隣のお婆ちゃん、厳しくも温かかった両親、一緒に山を駆け回った友人たち。
それらが全て、この「笑っている男たち」によって踏みにじられたのだ。
(怖い)
振り下ろされる斧を見ながら、アニアスが感じたのは、自分自身の死への恐怖ではなかった。
同じ「人間」が、ここまで醜く、恐ろしい存在になれるということへの、根源的な恐怖だった。
「あ……ああああっ!」
アニアスは叫んだ。
その瞬間、彼の内側から何かが弾けた。
視界が真っ白に染まる。
次に気がついた時、山賊たちは消えていた。
いや、正確には「肉塊」と化して、地面に散らばっていた。
アニアスの手には何も握られていない。ただ、無意識に放った「力」だけで、数人の男たちを一瞬で消滅させてしまったのだ。
◇
「……そこから、俺は記憶が曖昧なんだ」
アニアスはぽつりと呟き、カップに残った冷めた紅茶を見つめた。
淡々とした語り口だが、その指先はわずかに震えているようにも見える。
「後から聞いた話だと、あの山賊は国の正規兵が変装した姿だったらしい。辺境の村を実験場にして、ある『対魔族用兵器』のテストをしていたとか、なんとか……。俺が勇者に選ばれたのも、その時に暴走した力が、王都の魔力感知機に引っかかったからだ」
アニアスは自嘲気味に笑う。
それは、少年の顔には似合わない、乾いた笑いだった。
「自分たちの都合で俺の日常を壊して、家族を殺して……その力を使おうとする人間たちが、俺を『勇者』と呼んで崇めるんだ。……みんな、笑顔で俺に近づいてくる。でも、その笑顔の裏には、あの時の山賊と同じような、欲望とか、欺瞞とかが見える気がして……」
アニアスの体が小さく震える。
「怖いんだよ。人が。笑顔が。……だから俺は、誰とも関わりたくない。一人で生きていきたい。でも、勇者の使命とか言って、放っておいてくれない……」
重い沈黙が、ガゼボを包む。
救いようのない話だった。
世界を救う勇者が、世界そのものに絶望しているのだから。
しかし、その沈黙を破ったのは、アニアスの予想もしない音だった。
「う……ううっ……ひぐっ……」
「え?」
アニアスが顔を上げると、向かいに座る魔王リーズヴェルトが、ハンカチを目元に当てて、ボロボロと大粒の涙を流していた。
さっきまでの威厳はどこへやら、顔をくしゃくしゃにして号泣している。
「な、なんて可哀想な……! 貴様、よく今までグレずに生きてきたな! 偉い! すごいぞアニアス!」
「え、あ、魔王?」
「人間など滅びれば良いのだ! そんなクソ野郎どものために貴様が戦う必要など微塵もない! あーもう、聞いていたら腹が立ってきた! 今すぐ我の軍勢でその国を更地にしてやろうか!? いや、更地にして塩を撒いてペンペン草も生えないようにしてやる!」
バン! とテーブルを叩いて立ち上がる魔王。
その魔力で周りの花々がビリビリと震えている。本気で怒っているのだ。
「いや、それはそれで困るけど……」
アニアスは困惑した。同情されるとは思っていたが、まさか魔王がここまで激昂し、自分のために泣いてくれるとは。
しかし、その涙は、アニアスの凍りついた心を、お湯で溶かすように温めた。
彼女の怒りには、計算も裏表もない。ただ純粋に、アニアスが受けた理不尽に対して怒ってくれている。
「……なあ、アニアス」
リーズヴェルトは涙をゴシゴシと拭うと、充血した真っ赤な目でアニアスを真っ直ぐに見つめた。
「貴様、帰る場所はあるのか?」
「……ないよ。村はなくなったし、城には戻りたくない」
「ならば、ここに住め」
「はい?」
突拍子もない提案に、アニアスは目を丸くする。
「我と暮らせ。魔王城は広い、部屋など幾らでもある。人間が嫌いなら、魔族しかいないここは天国だぞ? それに、我らは裏表がない。嫌な奴は殴るし、好きな奴とは酒を飲む。シンプルだ」
「で、でも、俺は勇者で……君は魔王で……」
「そんな肩書き、今捨ててしまえ! 我と貴様は、今日から……そうだな」
リーズヴェルトは少し考え込み、そしてニカっと笑った。
涙で濡れた頬に、太陽のような明るい笑顔が咲く。
「『マブダチ』だ!」
「……マブ、ダチ……?」
「そうだ! 親友よりもさらに上、魂の友だ! マブダチの頼みなら、勇者討伐の任務も放棄できるだろう? 国には『魔王と激戦の末、行方不明』とでも伝えておけば良い!」
あまりにも強引すぎる理屈。
しかし、アニアスにとって、それは今まで誰からも提示されなかった「逃げ道」であり、「居場所」だった。
(マブダチ、か……)
その響きは、なんだか少し間抜けで、だけど温かかった。
「……ふっ」
アニアスの口元から、自然と笑みがこぼれた。
卑屈な笑いではない。心からの、安堵の笑みだった。
不思議と、彼女の笑顔は怖くなかった。
「ああ、そうだな。……よろしく頼むよ、リーズヴェルト」
「うむ! 任せておけ! この魔王リーズヴェルトが、貴様の面倒を一生見てやる!」
こうして、歴史上最も戦わない勇者と、最も世話焼きな魔王による、奇妙な『マブダチ』同居生活が幕を開けたのである。
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