第29話 勇者、ランウェイを歩く(不本意)
西の魔科学都市『嘆きの坑道』にある最高級ホテル『黄金の羊』。
そのスイートルームで、勇者アニアスは頭を抱えていた。
「……帰りたい」
何度目かも分からない台詞を吐く。
ふかふかのソファも、窓から見える煌びやかな夜景も、今の彼を癒やすことはできなかった。
なぜなら、目の前で巨大なオネエ――魔将軍ガンドルフォが、この世の終わりかのような顔で泣き崩れているからだ。
「ウウッ……酷いわァ……! あんまりよォ……!」
ガンドルフォはハンカチを噛み締めながら、テーブルの上に広げられた「被害報告書」を涙で濡らしていた。
「明日の新作コレクションでお披露目するはずだった『情熱のクリムゾン・ドレス』も、『深淵のミッドナイト・タキシード』も……全部、全部ッ! あの聖女に真っ白にされちゃったのよォ!」
聖女エミリアによる『善意の洗濯』被害は、想像以上に甚大だった。
ショーのメインを飾るはずだった特注の衣装たちが、ことごとく漂白され、ただの白い布切れと化してしまったのだ。
「これじゃあショーは中止よォ……。楽しみにしてくれていたドワーフちゃんたちや、遠方から買い付けに来るバイヤーさんたちに、なんてお詫びすればいいの……」
ガンドルフォの肩が震える。
普段は強気で派手な彼女が、ここまで落ち込む姿を見るのは初めてだった。
それを見ていた魔王リーズヴェルトが、腕を組んで唸る。
「ふむ……。確かにこれは由々しき事態だな。我が軍の資金源であるファッション産業が揺らぐのは困る」
「……リーズヴェルト、何か魔法で色を戻せないのか?」
アニアスが小声で尋ねる。
「無理だ。聖女の浄化は『存在の書き換え』に近い。あれはもう『最初から白い服だった』という事実に固定されてしまっているのだ」
「……厄介すぎるな、あいつ」
アニアスは改めて幼馴染の恐ろしさを痛感した。
沈痛な空気が流れる部屋。
その時、リーズヴェルトがカッ! と目を見開いた。
「待てよ? 衣装がないなら、作れば良いではないか」
「無理よォ魔王様! 本番は明日なのよ!? 今からデザインして、型紙を起こして、縫製して……間に合うわけがないわァ!」
「あるではないか。そこに、最高の『素材』が」
リーズヴェルトがニヤリと笑い、ビシッと指差した先。
そこには、他人事のように茶を啜っていたアニアスがいた。
「……ぶふっ!?」
アニアスは茶を吹き出した。
「は? 俺?」
「そうだ! ガンドルフォよ、貴様は以前言っていたな? アニアスは『どんな服でも着こなせる最高のボディ』だと!」
ガンドルフォがハッと顔を上げる。涙に濡れた瞳が、アニアスを捉える。
「……そうよ。そうだったわ」
彼女の目が、職人のそれへと変わっていく。
「アニアスちゃんの、その色素の薄い肌。無駄のない筋肉。そして何より、どこか儚げでミステリアスな雰囲気……!」
ガンドルフォが立ち上がり、アニアスに迫る。
「衣装が地味なら、モデルが輝けばいいのよ! 真っ白になった服も、アニアスちゃんが着れば『純白の貴公子スタイル』として成立するはずだわ!」
「待って。論理が飛躍してる。俺はただの村人Aみたいな顔だぞ?」
「謙遜は美徳じゃないわよォ! アニアスちゃん、貴方、明日のショーのメインモデルになりなさい!」
「嫌だ!!」
アニアスは即答した。
大勢の魔族の前で、スポットライトを浴びて歩く?
対人恐怖症の自分にとって、それは公開処刑と同義だ。死んでしまう。
「頼む、アニアス!」
リーズヴェルトが両手を合わせて頭を下げた。
「この通りだ! ガンドルフォの顔を立ててやってくれ! 成功の暁には、この街の最高級レストランで『魔界霜降り牛のステーキ』を奢ってやる!」
「……ステーキ」
アニアスの心が揺れた。
旅に出てからというもの、まともな食事(主に保存食か魔獣の肉)にありつけていない。
最高級ホテルの、プロが焼いたステーキ。
「……食べ放題か?」
「うむ! デザートも付けよう!」
「……分かった。やるよ」
アニアスは肉に負けた。
勇者のプライドよりも食欲が勝った瞬間だった。
◇
翌日。
坑道の中央広場に特設されたランウェイは、熱気に包まれていた。
魔界中から集まったファッション通の魔族たちが、今か今かと開演を待っている。
舞台裏。
アニアスは鏡の前で、純白のタキシードに身を包んでいた。
元々は「深淵のミッドナイト・タキシード(黒)」だったものが、エミリアのせいで「潔白のホーリー・タキシード(白)」になってしまったものだ。
「……似合わない。どう見ても結婚式の新郎だ」
アニアスは鏡の中の自分を見て溜息をついた。
緊張で顔が強張り、表情筋が死んでいる。
「いいえ、最高よォ! その『死んだ目』が、逆にクールで退廃的な色気を醸し出しているわァ!」
ガンドルフォが興奮気味にアニアスの髪をセットする。
「いいこと? アニアスちゃん。ランウェイを歩くコツはただ一つ。『誰もいないと思うこと』よ」
「……誰もいない」
「そう。観客なんてジャガイモかカボチャだと思いなさい。貴方はただ、無心で歩けばいいの」
「……分かった」
アニアスは深く深呼吸をした。
得意分野だ。気配を消すこと、無になることなら、誰にも負けない。
『さあ、いよいよメインイベントです! デザイナー・ガンドルフォが送る、奇跡の新作コレクション! テーマは……『虚無と純白』!』
司会の声と共に、アップテンポな魔曲が流れ出す。
アニアスは意を決して、光の中へと歩き出した。
カッ!
スポットライトがアニアスを照らす。
本来なら、ここで数千の視線に晒され、足がすくむはずだった。
だが。
(……スッ)
アニアスはスイッチを入れた。
固有スキル『影薄』。
さらに、昨夜ゼム爺さんから教わった「精神統一」の呼吸法を組み合わせる。
彼は観客を見なかった。
カメラも見なかった。
ただ、目の前の虚空を見つめ、そこに「誰もいない」という自己暗示をかけた。
スタッ、スタッ、スタッ……。
アニアスが歩く。
その姿は、あまりにも自然で、あまりにも静かだった。
まるで空気のように、光の中に溶け込んでいる。
派手なポーズも、媚びた笑顔もない。
ただ、純白の衣装だけが、意志を持って動いているかのような錯覚。
会場が、静まり返った。
ざわめきが消えた。
全員が、息を呑んでアニアスを見つめている。
「……なんだ、あいつ」
「気配が……ない?」
「服が……服だけが歩いているみたいだ」
「なんてミステリアスなんだ……!」
アニアスの「存在感のなさ」が、逆に衣装の存在感を極限まで引き立てていたのだ。
モデルが主張せず、服だけを魅せる。
それは、ファッションショーにおける究極の形の一つだった。
アニアスはランウェイの先端まで歩くと、くるりとターンした。
その際、無意識に早く帰りたくて「ふぅ」と小さく息を吐いたのだが、それが観客には「アンニュイな吐息」として映った。
「キャアァァァァッ!!」
「こっち見てぇぇぇ!」
「尊い……! 儚すぎる……!」
黄色い悲鳴が爆発した。
アニアスはビクッとしたが、表情筋が死んでいるおかげで「クールに無視した」ように見えた。
◇
ショーが終わった後。
舞台裏に戻ったアニアスは、へなへなと座り込んだ。
「……終わった。死ぬかと思った」
「ブラボー!! 最高だったわァ、アニアスちゃん!!」
ガンドルフォが泣きながら抱きついてきた(苦しい)。
「あんな素晴らしいウォーキング、見たことないわ! 『素材殺しの服』なんて言われるこの白タキシードを、完全に支配していたわよォ!」
「アニアス、凄かったぞ! 観客がみんな、お前の虜になっていた!」
リーズヴェルトも興奮気味に駆け寄ってくる。
「注文が殺到しているそうだ! 『あの透明感のあるモデルは誰だ』『あの白タキシードをくれ』とな!」
「……そうか。よかったな」
アニアスは遠い目をした。
どうやら、またしても勘違いによって成功してしまったらしい。
自分はただ、早く帰りたくて、気配を消して歩いていただけなのに。
「さあ、約束通りステーキだ! 死ぬほど食わせてやる!」
「……うん。それだけが楽しみだ」
アニアスは立ち上がった。
西の魔科学都市でのデビュー戦は、大成功(?)に終わった。
だが、これで顔が売れてしまったことが、後の旅路でさらなるトラブルを招くことになるのだが……今の彼は、目の前のステーキのことしか考えていなかった。
勇者アニアス。
職業:勇者、兼、魔王城の食客、兼、カリスマモデル(不本意)。
彼の肩書きは、旅をするごとに増えていく。




