第26話 聖女の旅立ち
勇者アニアスが夏風邪から完全復活した、数日後のこと。
魔王城の地下にある「聖域(元・物置部屋)」で、聖女エミリアは深刻な顔で悩み込んでいた。
「……おかしいですわ」
彼女の前には、ピカピカに磨き上げられた通販で買った聖剣のレプリカが置かれている。
「私がこれほど献身的に尽くしているのに、なぜアニアス様は心を開いてくださらないの?」
エミリアは首を傾げた。
食事の毒(旨味)を抜いて差し上げた。
お風呂の不浄を我慢して一緒に入ろうとした。
寝ている間に枕元で聖典を読み聞かせようとした(鍵がかかっていて入れなかったが)。
それなのに、アニアスは一向に「ここから出してくれ」と言わない。
むしろ、魔王や四天柱たちと仲良くコタツで談笑し、堕落の一途を辿っている。
「やはり、魔王城の穢れが強すぎるのです。この場所にいる限り、アニアス様の洗脳は解けない……」
エミリアは立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き回った。
彼女の思考回路は、常に「アニアス様は悪くない、環境が悪い」という結論に帰結する。
「アニアス様が『外の世界が怖い』と仰っていたのも、きっと外の世界が魔族によって汚されているから。だから、あんな狭い部屋に引きこもるしかなくなってしまったのです」
彼女の中で、アニアスの「対人恐怖症」は「潔癖症」に変換されていた。
自分と同じように、世界の汚れに耐えられない繊細な心の持ち主なのだと。
「……ならば、答えは一つですわ」
エミリアの瞳に、使命感の炎が宿った。
「私が世界を掃除すれば良いのです」
そうと決まれば、行動は早かった。
エミリアは荷物をまとめた。着替えの聖衣、愛用の杖、大量の聖水、そしてアニアスのブロマイド。
「待っていてくださいね、アニアス様。貴方様が安心して歩ける『無菌室』のような世界を、私が作ってまいりますから!」
◇
その日の午後。
いつものようにバルコニーでティータイムを楽しんでいたアニアスとリーズヴェルトの元に、メイドが悪魔のような形相で駆け込んできた。
「ま、魔王様! 大変です! 城壁に穴が!」
「なんだと? 敵襲か!?」
リーズヴェルトが立ち上がる。
「いえ、逆です! 内側から破壊されました! 地下に住んでいたあのお客様が……!」
アニアスとリーズヴェルトは顔を見合わせ、急いで現場へと向かった。
城の正門付近。
そこには、分厚い城壁を人型にくり抜いたような大穴が開いていた。
「……やりやがった」
アニアスは額を押さえた。
穴の向こうには、荒野を一直線に進んでいく土煙が見える。
そして、穴のそばには一枚の貼り紙が残されていた。
『アニアス様へ。
貴方様のために、世界をピカピカにしてまいります。
まずは西の坑道へ向かい、薄汚れた工夫たちの心を洗濯してきますわ。
魔王城が綺麗になる頃に、またお迎えに上がります。
愛を込めて。エミリアより』
「……西?」
アニアスは紙片を読み上げ、首を傾げた。
「西といえば、ガンドルフォの領地である『嘆きの坑道』だな。あそこはドワーフたちの職人街だが……」
リーズヴェルトが腕を組んで唸る。
「心を洗濯するって……あいつ、職人たちの汗と油を浄化する気か? 商売あがったりだぞ」
「……やりかねん。あの聖女の『掃除』は、物理的な破壊とセットだからな」
二人は遠ざかっていく土煙を見送った。
正直、厄介払いできたという安堵感が一番大きい。
だが同時に、これから彼女が向かう先々で起こるであろう浄化という名の災害に、一抹の同情を禁じ得なかった。
「ま、まあ良いではないか! これで城は再び平和になったのだ!」
リーズヴェルトが明るく言った。
「うむ。そうだな。……あいつがいなくなれば、また美味しいご飯が食べられる」
アニアスも笑顔を取り戻した。
聖女エミリアの出奔。
それは、魔王城に久々の平穏をもたらした――かに見えた。
◇
しかし、運命とは皮肉なものである。
エミリアが出て行ってから三日後。
魔王城のリビングでくつろいでいたアニアスは、ふと天井の隅に違和感を覚えた。
「……ん?」
カサカサ……。
小さな音がする。
よく見ると、黒い小さな虫のようなものが、柱を這っていた。
「……蟻?」
いや、違う。
それは魔界特有の害虫、『魔界白蟻』だった。
石材さえも食い荒らす、建築物の天敵だ。
「わあぁぁぁぁっ!?」
アニアスが悲鳴を上げるのと同時に、柱の一部がボロリと崩れ落ちた。
そこから、無数の白蟻たちが溢れ出してくる。
「たいへんだー! シロアリなのだー!」
ピコが飛び込んできて、戦斧で白蟻を叩き潰そうとするが、数が多すぎてキリがない。
しかも、ピコの攻撃でさらに城が壊れる。
「やめろピコ! 城が崩壊する!」
駆けつけたリーズヴェルトが顔面蒼白で叫ぶ。
「こ、これはまずいぞ……! エミリアが庭の防衛植物を全部引っこ抜いたせいで、害虫の侵入を許してしまったようだ!」
「なんだって!?」
アニアスは愕然とした。
聖女の「善意の掃除」が、時間差で魔王城に牙を剥いたのだ。
「……駆除には、全館燻煙が必要じゃな」
アフロヘアからようやく回復したゼムが、冷静に分析する。
「強力な殺虫魔法を城全体に充満させねばならん。その間、生きている者は城内に留まることはできんぞ」
「そ、そんな……」
アニアスは膝から崩れ落ちた。
つまり、こういうことだ。
家(城)を追い出される。
「……期間は?」
「最低でも一ヶ月はかかるかのぅ」
一ヶ月。
アニアスの引きこもりライフ、強制終了のお知らせである。
「……どこへ行けばいいんだ」
途方に暮れるアニアスの肩を、リーズヴェルトがポンと叩いた。
「安心しろアニアス! 我らには『実家』がある!」
「実家?」
「うむ! 城が使えないなら、四天柱たちの領地にある別荘を巡れば良いではないか! ちょうど良い機会だ、魔界の観光案内をしてやろう!」
「……観光?」
アニアスは顔を上げた。
住む場所を失った絶望感の中に、少しだけ希望の光が差し込んだ気がした。
魔界の各地を巡る旅。
それはつまり、まだ見ぬ「美味しいもの」や「快適な寝床」との出会いがあるかもしれないということだ。
「……悪くないかもな」
アニアスは立ち上がった。
どうせ城にはいられないのだ。ならば、全力で楽しむしかない。
「よし、行こう。魔界漫遊の旅へ!」
こうして、聖女のシロアリ被害という置き土産によって、勇者と魔王一行は旅に出ることになった。
目指す最初の目的地は、西の坑道。
聖女が向かったのと同じ、ガンドルフォの領地である。
アニアスはまだ知らない。
その旅先で、先回りした聖女によるトラブルに巻き込まれつつも、オネエ将軍による魔界最新ファッションの洗礼が待っていることを。




