第25話 看病戦争、あるいは勇者の受難
その日の朝、勇者アニアスは起き上がることができなかった。
「……重い」
体が鉛のように重い。頭がズキズキと痛み、喉が焼けるように熱い。
視界がぐるぐると回り、思考がうまくまとまらない。
(これは……風邪か?)
原因は明白だ。
昨夜の怪談大会だ。
ネクロが呼び出した本物の霊気に長時間当てられたことと、恐怖で冷や汗をかいたまま寝てしまったこと。
いわゆる「湯冷め」ならぬ「霊冷め」による夏風邪である。
「……水……」
アニアスは掠れた声で呟き、ベッドサイドの水差しに手を伸ばそうとした。
だが、指先に力が入らない。
水差しが指に当たり、カシャンと音を立てて床に落ちた。
――バンッ!!
その音に反応したかのように、扉が勢いよく開いた。
「アニアス! どうした、今の音は!」
飛び込んできたのは、魔王リーズヴェルトだった。
彼女はアニアスの様子を見るなり、顔色を変えて駆け寄った。
「おい、顔が赤いぞ! 息も荒い! まさか……!」
リーズヴェルトがアニアスの額に手を当てる。
ひんやりとした魔族の手の感触が心地よい。
「熱い! 煮えたぎるようだ! 大変だ、アニアスが死にかけている!」
「……死なない……ただの風邪だ……」
「風邪だと!? 人間にとっての不治の病ではないか!」
「それは大昔の話だ……」
リーズヴェルトは大慌てで廊下に向かって叫んだ。
「誰かいるか! 氷枕だ! あと水と、着替えと、最高級のポーションを持ってこい! アニアスの一大事だ!」
城内がドタバタと騒がしくなる。
アニアスは天井を見上げながら、長い一日になることを予感して溜息をついた。
◇
数分後。
アニアスのベッドの周りには、二人の女性が仁王立ちしていた。
一人は、濡れタオルと薬瓶を手にした魔王リーズヴェルト。
もう一人は、純白のエプロンを身に着け、聖水を満たした桶を持った聖女エミリアだ。
二人の間には、火花が散っているように見える。
「……どいてくれませんか、魔王。アニアス様の看病は、幼馴染であり聖女である私の役目です」
エミリアが氷のような笑顔で告げる。
「アニアス様の体調不良は、魔王城の邪気が原因。貴女が近づけば悪化するだけです」
「何を言うか。この城の主にしてアニアスのマブダチである我こそが、最も献身的に看病できるに決まっておろう」
リーズヴェルトも負けじと言い返す。
「貴様こそ、聖気だの浄化だのと騒いで、アニアスを安眠妨害する気だろう? 下がっていろ」
「……平行線ですね」
「……決着をつけるしかなさそうだな」
二人は同時にアニアスの方を向いた。
「「アニアス(様)! どちらに看病してほしい(ですか)!?」」
「……どっちも帰れ……寝かせろ……」
アニアスの悲痛な叫びは無視された。
ここに、第一回「勇者看病選手権」の開催が決定してしまったのだ。
◇
第一ラウンド:身体の冷却。
「アニアスよ、熱があるなら冷やさねばならん。我に任せろ」
リーズヴェルトが自信満々に取り出したのは、青白く輝く巨大な氷塊だった。
「『万年氷河』の一部を切り出してきた! 絶対に溶けない究極の氷だ! これを抱いて寝れば、一瞬で熱など下がるぞ!」
「……リーズヴェルト、それ……凍傷になる……」
アニアスがガタガタ震えながら拒否する。
周囲の空気が白くなるほどの冷気だ。あれを抱いたら、熱が下がるどころか心臓が止まる。
「あらあら、やはり魔族は野蛮ですね」
エミリアが嘲笑いながら前に出る。
「アニアス様、こちらを。教会秘伝の『聖水湿布』です」
彼女がアニアスの額に乗せたのは、聖水がたっぷりと染み込んだ布だった。
「……っ!?」
ジュウゥゥ……!
アニアスの額から、煙が上がった。
「痛い! エミリア、痛い! 沁みる!」
「あら、邪気が抜けている証拠ですわ。我慢してくださいね♡」
「邪気じゃなくて皮膚が焼けてるんだよ!」
アニアスは必死に湿布を剥がし投げ捨てた。
極端すぎる。どっちも極端すぎる。
◇
第二ラウンド:栄養補給。
「風邪の時は、精のつくものを食うに限る!」
リーズヴェルトが運んできたのは、マグマのように煮えたぎる真っ赤なスープだった。
中には得体の知れない肉塊や、目玉のようなものが浮いている。
「『地獄鍋』だ! ドラゴンペッパーを山ほど入れたから、発汗作用は抜群だぞ!」
「……殺す気か」
匂いだけで鼻の粘膜がやられる。これを弱った胃袋に入れたら、確実に即死する。
「アニアス様、そんな毒物は捨てて、こちらを」
エミリアが差し出したのは、白く輝くおかゆだった。
見た目はまともだ。アニアスは希望を持ってスプーンを口に運んだ。
「……味がない」
「はい。余計な味付けは内臓の負担になりますから、素材の味(お湯と米のみ)で勝負しました。もちろん、三回浄化済みです」
「……病院食より酷い」
アニアスは絶望した。
激辛の毒物か、味のない流動食か。
どちらを選んでも地獄だ。
その時。
部屋の扉がそっと開き、新たな来訪者が現れた。
「……アニアス。……生きてる?」
ネクロだ。
彼は眠そうな目をこすりながら、枕を抱えて入ってきた。
「ネクロ……助けてくれ……」
アニアスが涙目で救難信号を送る。
ネクロは状況を察したのか、小さく頷いた。
そして、懐から小さな小瓶を取り出した。
「……これ、飲む?」
「なんだ、それ?」
「……『果実水』。……桃の味がする、回復薬」
アニアスは縋るようにそれを受け取り、一気に飲み干した。
甘く、瑞々しい桃の香りが口いっぱいに広がり、乾いた喉を潤していく。
さらに、ポーションの効果で身体の痛みも引いていくのが分かった。
「うまい……! 生き返る……!」
「……ん。……あと、これ」
ネクロは自分が抱いていたクマのぬいぐるみを、アニアスの隣に置いた。
「……ひんやりする魔法、かけてある。……抱き枕にすると、気持ちいい」
アニアスが恐る恐るぬいぐるみに触れると、適度な冷たさが伝わってきた。
万年氷河のような暴力的な冷気ではない。人肌より少し低い、心地よい温度だ。
「ネクロ……お前、神か?」
「……死霊王」
ネクロはふいっと視線を逸らしたが、その耳は少し赤くなっていた。
「むぅ……! ネクロめ、美味しいところを持っていきおって!」
「桃のポーションですって? そんな軟弱なもの、アニアス様には……ああっ、でもアニアス様が幸せそうな顔を!」
魔王と聖女は敗北を悟り、すごすごと引き下がった。
やはり、「真の癒やし」を知っているのは、睡眠のプロフェッショナルであるネクロだけだったのだ。
◇
しかし、看病戦争はこれで終わりではなかった。
午後になると、噂を聞きつけた他の四天柱たちも乱入してきたのだ。
「アニアスちゃ~ん! 熱があるなら汗をかかなきゃダメよォ!」
ガンドルフォが持ち込んだのは、巨大なサウナスーツ(ピンク色)だった。
「これを着て、アタシとエクササイズよ! ワン、ツー! ワン、ツー!」
「無理だ! 動けないって言ってるだろ!」
「お兄ちゃん、ウイルスをやっつけるのだ! 物理で!」
ピコが顕微鏡を覗きながら、アニアスの身体の上で目に見えない敵と戦おうとしていた。
「やめて! 布団の上で暴れないで! 振動で頭が痛い!」
「師匠、ご安心を。この『精神離脱』の魔法を使えば、肉体の苦痛から一時的に解放されますぞ」
ゼムが怪しげな魔法陣を描き始める。
「魂まで抜けちゃうだろ! そのまま昇天させる気か!」
カオス。
完全なるカオス。
アニアスの部屋は、見舞客という名の妨害工作員たちで溢れかえっていた。
「……もう、嫌だ」
アニアスは布団を頭から被り、ネクロから借りたぬいぐるみを強く抱きしめた。
熱は下がらない。
頭痛も治まらない。
むしろ、ストレスで悪化している気がする。
「誰か……俺に……静寂をくれ……」
その願いが届いたのか、あるいは見かねたネクロが再び動いたのか。
突如として、部屋中を包み込むような強力な『強制睡眠』の波動が放たれた。
「ふあぁ……? あら、急に眠気が……」
「ピコも……おねむなのだ……」
「……スヤァ」
騒いでいた魔王、聖女、四天柱たちが、次々とその場に倒れ込み、寝息を立て始めた。
部屋に、唐突な静寂が訪れる。
アニアスは布団の隙間から顔を出した。
床には折り重なるようにして眠る、最強のトラブルメーカーたち。
その寝顔は、不思議と安らかで、憎めないものだった。
「……はは」
アニアスは力なく笑った。
うるさくて、過干渉で、常識外れな連中。
でも、みんなが自分のために(方向性は間違っているが)一生懸命になってくれたことは、伝わってきた。
「……ありがとな、みんな」
アニアスは目を閉じた。
今度こそ、本当に安らかな眠りが彼を包み込んだ。
翌朝。
アニアスの熱は嘘のように下がっていた。
目覚めた彼は、床で雑魚寝している魔王や聖女たちに毛布を掛けてやり、一人静かに厨房へ向かった。
そして、自分とみんなのために、最高に美味しい「回復のための特製リゾット」を作り始めたのだった。




