第21話 聖女エミリアの朝活
聖女エミリアが魔王城に住み着いてから、一夜が明けた。
勇者アニアスは、自室のキングサイズベッドで目を覚ました。
カーテンの隙間から、どんよりとした魔界の朝日が差し込んでいる。
「……夢、だよな?」
アニアスは天井を見上げて呟いた。
昨日の出来事。幼馴染の聖女が攻め込んできて、暴れて、なぜか地下の物置部屋に住み着くことになったあの一連の流れ。
あれはきっと、コタツで寝落ちした時に見た悪夢に違いない。
そう自分に言い聞かせ、アニアスは着替えて部屋を出た。
向かう先はいつものバルコニー。そこには魔王リーズヴェルトと、美味しい朝食が待っているはずだ。
◇
「おはよう、アニアス。よく眠れたか?」
バルコニーでは、すでにリーズヴェルトが席についていた。
テーブルには、いつものように『コカトリスのオムレツ』や『オーク肉の厚切りベーコン』、そして香り高い『魔界コーヒー』が並んでいる。
「……ああ、おはようリーズヴェルト」
アニアスは安堵の息を吐き、席に着いた。
平和だ。いつも通りの、静かで優雅な魔王城の朝だ。
やはり、昨日のあれは夢だったのだ。
「いただきま――」
アニアスがフォークを手に取った、その時だった。
「おはようございます、アニアス様!」
背後から、鼓膜を突き破るような元気な挨拶が飛んできた。
そして、バルコニーの入り口から、目が潰れるほどの強烈な白い光が放たれた。
「うわっ、眩しっ!?」
「な、なんだ! 敵襲か!?」
アニアスとリーズヴェルトが目を覆う。
光の中から現れたのは、純白の聖衣にさらにフリルのついた白いエプロンを重ね着した、聖女エミリアだった。
「夢じゃなかった……」
アニアスが絶望の声を漏らす。
「まあ、アニアス様ったら。まだ寝ぼけていらっしゃるのですか? 今日から私が、貴方様の身の回りをお世話いたしますからね!」
エミリアは満面の笑み(背景に百合の花が見える)で近づいてくると、テーブルの上の料理を見た瞬間、その表情を氷点下まで凍らせた。
「……なんですか、このおぞましい物体は」
「は? 朝食だが?」
リーズヴェルトが答える。
「これが朝食? 冗談はおよしなさい。魔物の卵に、魔物の肉……こんな不浄なものをアニアス様の口に入れさせるなんて、正気ですか? これは毒物です!」
「失敬な! これは魔界特産の高級食材だぞ! 滋養強壮に良いのだ!」
「黙りなさい、汚らわしい魔族。……アニアス様、今すぐに私が『あるべき姿』に戻して差し上げます」
エミリアが杖を振るった。
「――『食材浄化』!」
カッ!
再び閃光が走る。
光が収まった後、テーブルの上にあった料理は変貌していた。
黄金色のオムレツは、白くてパサパサした豆腐のような塊に。
ジューシーなベーコンは、脂身が完全に抜け落ちた、ただの塩味の干し肉に。
芳醇なコーヒーは、透明な『聖水』に。
「ああっ!? 俺のベーコンが!」
アニアスが悲鳴を上げた。
カリカリでジューシーな、あの背徳的な脂身が、見る影もなく浄化されてしまった。
「さあ、召し上がれアニアス様。これなら安心です。魔界の邪気も、脂質も、糖質も、旨味成分も、すべて浄化して差し上げましたから♡」
「旨味まで消すなよ! ただの栄養摂取用の固形物じゃないか!」
アニアスは抗議したが、エミリアは「毒素が抜けている証拠です」と聞く耳を持たない。
彼女にとっての「善」とは、清廉潔白であること。そこに「美味しさ(という名の快楽)」は不要なのだ。
「き、貴様……! よくも我がシェフの自信作を……!」
リーズヴェルトがプルプルと震えている。食べ物の恨みは恐ろしい。
「あら、毒を消して差し上げたのですから、感謝していただきたいくらいですわ。……それよりアニアス様、地下の部屋のことなのですが」
エミリアは話を切り替えた。
「あそこ、少しジメジメしていて暗かったので、リフォームしておきました」
「え? ああ、物置だったからな……」
「これなら、アニアス様をいつお招きしても大丈夫です」
エミリアがパチンと指を鳴らすと、空中に映像魔法で地下室の様子が映し出された。
そこは、もはや地下牢ではなかった。
壁も床も天井も、すべてが純白の大理石に張り替えられ、神々しい光を放つ魔法の照明が燦然と輝いている。
部屋の中央には祭壇のようなベッドがあり、四隅には結界を張るための水晶柱が立っている。
一言で言えば、『綺麗な独房』、あるいは『精神と時の部屋』だった。
「……落ち着かない」
アニアスは即答した。
あんな真っ白な部屋に閉じ込められたら、三日で精神が崩壊する。
「まあ、照れなくてもよろしいのに。……アニアス様が完全に正気に戻るまで、私がこの部屋で根気強く説得(洗脳解除)させていただきますからね」
エミリアの目は笑っていない。本気だ。
「……リーズヴェルト」
アニアスは小声で魔王に助けを求めた。
「頼む。俺のベーコンを返してくれ。そしてあの聖女をどうにかしてくれ」
「任せろ。……おい聖女! 勝手に城を改造するな! あと朝食を作り直すから厨房を貸せ!」
「お断りします。貴方が作るとまた毒を入れるでしょう? これからは私がアニアス様の食事を管理します!」
「なんだと!? アニアスの健康管理はマブダチである我がするのだ!」
ギャーギャーと言い争いを始める魔王と聖女。
その間で、アニアスは白くなってしまったオムレツ(味のしないタンパク質の塊)を口に運び、遠い目をした。
「……平和が、死んだ」
魔王城での快適なスローライフ。
それは、聖女エミリアという劇物の投入によって、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
アニアスの胃痛が治まる日は、当分来そうにない。




