第17話 聖女エミリアの深すぎる愛
魔王城から数キロ離れた、枯れ木の森。
そこに設営された聖王国軍の前線基地は、重苦しい空気に包まれていた。
「……そ、それで? 魔王城は『呪われた幽霊城』だったと?」
「は、はい! 間違いありません! 物理攻撃の効かない白い悪霊に、姿なき殺気……あれは人の住める場所ではありませんでした!」
報告をする『白銀小隊』の騎士は、まだ顔面蒼白で震えていた。
彼らは魔族との戦闘には慣れていたが、得体の知れないポルターガイスト現象(正体は勇者のシーツ芸)には免疫がなかったのだ。
その報告を、天幕の奥で静かに聞いている少女がいた。
「……そうですか。ご苦労様でした」
鈴を転がすような、美しい声。
透き通るような金色の髪に、宝石のような碧眼。純白の聖衣を身に纏ったその姿は、まさに『聖女』と呼ぶに相応しい清らかさだ。
彼女こそ、聖王国フソルパドの象徴にして最高戦力、聖女エミリアである。
「下がって良いですよ。……ああ、怪我人はいますか?」
「いえ、外傷はありませんが……精神的なショックで寝込んでいる者が数名……」
「では、あとで私が『癒し』をかけておきましょう。ついでに『精神浄化』も」
「あ、ありがとうございます! 聖女様の慈悲に感謝を!」
騎士は涙を流して感謝し、天幕を出て行った。
彼らは知らない。聖女の使う『精神浄化』が、恐怖心ごと余計な記憶まで消去する、少々強引な洗脳魔法に近いものであることを。
◇
天幕に一人残されたエミリアは、ゆっくりと立ち上がった。
その美しい顔に、憂いを帯びた表情を浮かべる。
「ああ……可哀想なアニアス様……」
彼女は胸元で手を組んだ。祈りを捧げるように。
「報告を聞いて確信しました。魔王城は、やはり恐ろしい場所。アニアス様はそこで、魔王の呪いに囚われているのですね」
彼女の脳内では、すでに事実は歪曲され、都合の良い物語として再構築されていた。
『勇者が引きこもっている』のではなく、『勇者が魔王の呪いで幽霊に苦しめられ、帰れなくなっている』と。
「待っていてくださいね。今、私がお助けに参りますから」
エミリアは懐から、一枚のロケットペンダントを取り出した。
中には、幼い頃のアニアスとエミリアが並んで写っている肖像画が入っている。
それは、二人の故郷である辺境の村で撮られた、唯一の思い出の品だ。
あの日。村は滅びた。
空を覆う黒い影、燃え盛る炎、逃げ惑う人々。
幼かったエミリアの記憶には、それが「魔族による襲撃」として刻み込まれている。
……そう、教会によって教え込まれたのだ。
『村を焼いたのは魔族です。あなた達を救ったのは我々教会です。だから、その命を神に捧げなさい』
エミリアはそれを信じた。信じるしかなかった。
家族も、友人も、すべて失った彼女にとって、同じく生き残ったアニアスだけが、世界の全てだったからだ。
「アニアス様……私の大切な家族。私の愛する人」
彼女の指が、ペンダントの中のアニアスの顔を愛おしげに撫でる。
「あなたは優しいから、きっと魔王に騙されているのでしょう。『魔族は悪くない』なんて甘い言葉に惑わされ、心を操られているに違いありません」
彼女の瞳に、暗い炎が灯った。
それは慈愛ではない。独占欲と、盲信による狂気だ。
「でも大丈夫。私が目を覚まさせてあげます。たとえあなたの手足を縛ってでも、記憶を焼き払ってでも……『正しい道』に戻してあげますから」
エミリアは微笑んだ。
それは、見る者が背筋を凍らせるような、完璧で、そして冷酷な聖女の笑みだった。
「準備は整いました。騎士団の皆さんは役に立ちそうにありませんから、私が直接行きます」
彼女は天幕を出た。
外には、彼女が連れてきた『異端審問官』と呼ばれる、黒いローブの男たちが控えている。
彼らが運んでいる荷馬車には、巨大な『浄化砲』が積まれていた。本来は攻城兵器として使われる、超高出力の魔法増幅器だ。
「目標は魔王城。アニアス様を覆う不浄な結界ごと、全てを浄化します」
エミリアが宣言する。
「邪魔をする魔族は、塵一つ残さず消し去りなさい。……アニアス様のためなら、世界を敵に回しても構いません」
聖女エミリア。
彼女の行動原理はただ一つ。「アニアスの救済」だ。
だがその「救済」は、アニアス本人が最も望まない形での「破壊」を伴うことを、彼女自身は微塵も疑っていない。
◇
一方その頃。
魔王城のVIPルームでは、アニアスが突然の悪寒に襲われていた。
「……っ!?」
「どうしたアニアス? 風邪か?」
コタツで蜜柑を食べていたリーズヴェルトが心配そうに覗き込む。
「いや……なんか今、すっごく寒気が……。背中に氷水を入れられたみたいな……」
「むぅ、コタツに入っているのに寒いとは。まさか、また『聖炎』の出力が落ちているのでは?」
「いや、温度は一定だ。これは物理的な寒さじゃない。……呪いだ」
アニアスはガタガタと震えながら、コタツの中に頭まで潜り込んだ。
「来る……。あいつが来る……! 俺の平和を、物理(暴力)で壊しにやってくる……!」
勇者の直感は正しかった。
最強のストーカーが、最強の兵器を引っ提げて、すぐそこまで迫っている。
魔王城始まって以来の最大の危機が、幕を開けようとしていた。




