第16話 侵入者、再び
魔王様との甘く(味は刺激的だったが)穏やかな休日が明けた、翌日のこと。
魔王城に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
ウゥゥゥゥゥ――ッ!!
サイレンのような魔道具の音が、アニアスの快適な二度寝を妨害する。
「……なんだ?」
アニアスは不機嫌そうにコタツから顔を出した。
まだ朝の十時だ。勇者の活動開始時間には早すぎる。
そこへ、バン! と扉が開かれ、武装したリーズヴェルトが飛び込んできた。
「アニアス! 緊急事態だ! 起きろ!」
「……あと五分」
「言ってる場合か! 客だ! 招かれざる客が来たぞ!」
客、という言葉にアニアスの眠気が吹き飛んだ。
魔王城に来る客など、ろくなもんじゃない。十中八九、人間側の勢力だ。
「まさか、この前の鳥の件か?」
「恐らくそうだ。城門の結界が反応した。……どうやら今回は、使い魔ではなく『人間』のようだぞ」
◇
アニアスとリーズヴェルトは、城のバルコニーから眼下を覗き込んだ。
魔王城の正門前。霧が立ち込める吊り橋の向こうに、整列した集団が見える。
白銀の甲冑に身を包み、聖なる紋章が刻まれた盾を構える一団。
「……うわぁ」
アニアスは顔をしかめた。
見覚えがある。いや、知り合いではないが、その装備に見覚えがありすぎる。
「『聖王国』の近衛騎士団だ。しかも、精鋭部隊の『白銀小隊』……」
彼らは国の中でも選りすぐりのエリートたちだ。
生真面目で、融通が利かず、そして魔族を「絶対悪」と信じて疑わない厄介な連中だ。
「数が……十人ほどか。少ないな」
リーズヴェルトが冷静に分析する。
「戦争を仕掛けてきたわけではなさそうだ。あくまで『調査』といったところか。……どうするアニアス? ピコに命じて、橋ごと粉砕させるか?」
「駄目だ!」
アニアスは即座に止めた。
「あいつらは国のエリートだ。もしここで全員殺したら、国は『魔王軍による宣戦布告』と受け取る。そうなれば全面戦争だ。俺だって、戦争に巻き込まれてコタツで寝てられなくなる」
「むぅ……確かに、アニアスの安眠が妨害されるのは許せん」
「かといって、俺が出ていって『帰ってください』とも言えない。顔を見られたら連れ戻される」
アニアスは頭を抱えた。
殺してはいけない。会ってもいけない。でも追い返さなければならない。
なんて面倒くさいミッションだ。勇者の剣技も魔法も、こういう時には役に立たない。
(……いや、待てよ?)
アニアスは騎士団の様子をじっと観察した。
彼らは慎重に、恐る恐る橋を渡ろうとしている。
魔王城という「恐怖の象徴」に対して、少なからず畏怖の念を抱いているようだ。
「……リーズヴェルト。あいつら、怖がってるな」
「当然だ。ここは魔界の最深部だぞ?」
「なら、その恐怖を利用しよう」
アニアスの口元が、ニヤリと歪んだ。
それは勇者というより、悪戯っ子の笑みだった。
「作戦名は『オペレーション・ゴーストキャッスル』だ」
◇
魔王城の大広間。
静まり返った城内に、白銀騎士団の足音が響く。
「……静かすぎる」
隊長らしき騎士が、剣の柄に手をかけたまま呟いた。
彼らは決死の覚悟で突入したのだ。激しい迎撃を予想していた。
だが、城門は開いており、城内には魔族の姿一つない。
「隊長、これは罠では?」
「油断するな。魔王軍だ、どんな卑劣な手を使ってくるか分からんぞ」
彼らは密集隊形を取り、ジリジリと奥へ進む。
その緊張感が極限に達した時――。
ヒュゥゥゥゥ……。
どこからともなく、冷たい風が吹き抜けた。
窓は閉まっているはずなのに、彼らの松明の炎が一斉に揺らぎ、そしてフッとかき消えた。
「なっ!? 明かりが!」
暗闇に包まれた大広間。
騎士たちが動揺する中、暗闇の奥から「カラコロ……」と乾いた音が響く。
「ひぃっ! な、なんだ!?」
見れば、中空に「白い物体」が浮いていた。
それはゆらゆらと揺れながら、騎士たちに近づいてくる。
「お……おのれ、悪霊め! 聖なる光よ!」
騎士の一人が魔法を放つ。
だが、光の矢は白い物体をすり抜け、虚しく壁に当たった。
「物理攻撃が効かないだと!?」
(ふふふ、ただのシーツだからな)
天井の梁の上で、アニアスは笑いを噛み殺していた。
白い物体の正体は、物干し竿から拝借したシーツを、アニアスが念動力で操っているだけのものだ。中身がないのだから、攻撃が当たるわけがない。
さらに、アニアスは指先を動かす。
固有スキル『影薄』の応用、『気配投影』。
自分の気配を切り離し、全く別の場所に「強大な何かがいる」という錯覚を発生させる高等技術だ。
ゾクリ。
騎士たちの背後で、強烈な殺気が膨れ上がった。
「う、後ろだ!」
全員が振り返る。だが、そこには誰もいない。
すると今度は、右側から。
次は頭上から。
見えない敵の気配だけが、嵐のように彼らを翻弄する。
「ど、どこだ! どこにいる!」
「見えない! 敵の姿が見えないぞ!」
パニックに陥るエリート騎士たち。
そこへ、アニアスは仕上げの演出を加えた。
「……か……え……れ……」
風魔法を使って、低く、おどろおどろしい声を広間全体に反響させる。
「……ここハ……生者ノ……クル……バショデハ……ナイ……」
「で、出たぁぁぁぁ!!」
「呪われる! ここにいたら呪われるぞ!」
恐怖が限界を超えた。
騎士の一人が悲鳴を上げて逃げ出し、それが連鎖して、部隊全体が雪崩を打って出口へと殺到した。
「撤退だ! 一時撤退! この城はヤバい!」
「報告せよ! 魔王城は『呪われた幽霊城』と化していると!」
ガシャガシャと鎧の音を響かせて、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていった。
城門を抜け、吊り橋を渡り、彼らの姿が見えなくなるまで、そう時間はかからなかった。
◇
「ぶはははは! 傑作だったぞアニアス!」
騎士たちが去った後の大広間で、リーズヴェルトが腹を抱えて笑っていた。
「あのエリートどもが、ただのシーツと風の音にビビって逃げ帰るとは! 流石はマブダチ、戦わずして勝つとはこのことだな!」
アニアスは梁から降り立ち、シーツを回収しながら肩をすくめた。
「まあ、これで『魔王城はヤバい場所だ』って認識されれば、うかつに近づいてこなくなるだろ」
「うむ。それに『幽霊城』という噂が広まれば、アニアスがいるとは誰も思うまい。勇者が幽霊と同居しているなど、想像もできんからな」
作戦は大成功だ。
アニアスはホッと胸を撫で下ろした。
これでまた、平穏な引きこもりライフが守られた。
だが、その時。
アニアスの足元に、一枚の紙片が落ちているのに気づいた。
逃げ帰った騎士が落としていったものだろう。
何気なく拾い上げ、その内容を見たアニアスの顔が、青ざめた。
「……どうした、アニアス?」
「……これ」
アニアスは震える手で、その紙をリーズヴェルトに見せた。
それは、騎士団への命令書だった。そこにはこう書かれていた。
『聖女エミリア様、近日中に前線へ到着予定。騎士団は魔王城周辺の安全を確保し、聖女様による大規模浄化魔法の準備を整えること』
「……聖女……エミリア……?」
アニアスが、うわ言のようにその名を呟く。
その瞳には、魔王や四天柱を前にした時以上の、純粋な「恐怖」が宿っていた。
「おい、アニアス? 知り合いか?」
「……俺の……幼馴染だ」
アニアスは絶望的な顔で天を仰いだ。
「一番……会いたくない奴が、来る」
魔王城の幽霊騒ぎなど、これから始まる本当の悪夢の前座に過ぎなかったのだ。
最強のストーカーにして、歪んだ愛を持つ聖女。
彼女の接近を知らせる鐘が、アニアスの脳内でジャンジャンと鳴り響いていた。




