第15話 魔王様の休日
魔王城での生活、十日目。
この日は、朝から少し様子が違っていた。
いつもなら朝食の時間になると、ドカドカと部屋に乗り込んでくる魔王リーズヴェルトの姿がない。
四天柱たちも静かだ。どうやら、今日は城全体が休息日らしい。
「……静かだ」
勇者アニアスは、自室の窓辺でコーヒー(魔界産の豆を自分で挽いた)を啜りながら呟いた。
空はどんよりとした曇り空だが、部屋の中は『魔導聖剣コタツ』のおかげでポカポカだ。
誰にも邪魔されず、本を読み、眠くなったら寝る。
これぞ、アニアスが夢見ていた理想の休日である。
コンコン。
控えめなノックの音がした。
いつもの「入るぞー!」という大声ではない。
「……はい」
アニアスが返事をすると、扉がそっと開いた。
「……アニアス、起きているか?」
顔を出したのは、リーズヴェルトだった。
だが、いつもの威厳ある黒いドレス姿ではない。
ゆったりとした白いニットのワンピースに、髪も下ろして緩く編んでいる。角がなければ、どこかの深窓の令嬢にしか見えないラフな格好だ。
「リーズヴェルト? どうしたんだ、その格好」
「ん、これか? 今日は公務がないからな。ガンドルフォが『たまにはリラックスできる格好でお過ごしください』と用意してくれたのだが……変か?」
リーズヴェルトが少し不安そうに裾をつまむ。
「いや、似合ってるよ。いつもより……その、柔らかい感じで」
アニアスは素直に答えた。
魔王としての鎧を脱いだ彼女は、年相応の少女のように可愛らしかった。
「そ、そうか! うむ、なら良い!」
リーズヴェルトはパァッと顔を輝かせると、小走りでコタツに入ってきた。
「それでな、今日は一日暇なのだ。部下たちも休みだし、執務もない。だから……」
彼女は上目遣いでアニアスを見た。
「貴様と遊びたいと思ってな」
「俺と?」
「うむ。マブダチとはいえ、最近は会議だのトラブルだので、ゆっくり話す時間がなかっただろう? 今日は二人で、だらだらしようと思ってな!」
魔王の休日。
それを勇者の部屋で過ごすという選択。
アニアスは少しだけ驚いたが、嫌ではなかった。むしろ、彼女と過ごす時間は、不思議と心が落ち着くのだ。
「分かった。じゃあ、何をして遊ぶ?」
「ふふん、これを持ってきたぞ!」
リーズヴェルトが懐から取り出したのは、白黒の石と盤面だった。
「『魔石並べ』だ! 人間界でいう『オセロ』や『リバーシ』に似ているらしいぞ。頭脳戦なら負けん!」
◇
一時間後。
「ぐぬぬ……! なぜだ! なぜ角が取れないのだ!」
コタツの上で、魔王が頭を抱えていた。
盤面は、アニアスの黒石でほぼ埋め尽くされている。
「リーズヴェルト、そこ置くと全滅するぞ」
「わかってる! わかってるが、置く場所がないのだ!」
魔王様は、頭脳戦が弱かった。
というか、性格が真っ直ぐすぎるのだ。罠を張っても気づかずに突っ込んでくるし、二手三手先を読むのが苦手らしい。
「……もう一回だ! 次こそは勝つ!」
「はいはい」
アニアスは苦笑しながら盤面をリセットする。
結局、五戦してアニアスの五連勝だった。
魔王は悔しそうに唸っていたが、その表情はどこか楽しそうだ。
「……ふぅ。頭を使ったら腹が減ったな」
時計を見ると、もう昼過ぎだ。
「厨房に行って何か作ってくるよ」
「待てアニアス! 今日は我に作らせろ!」
リーズヴェルトが立ち上がった。
「え? リーズヴェルトが料理を?」
「うむ! ガンドルフォから『男の胃袋を掴むのがマブダチへの第一歩』と教わったのだ! 見よ、このレシピ本を!」
彼女が取り出したのは『初心者でもできる! 愛のホットケーキ』というタイトルの本だった。嫌な予感がする。
「……大丈夫か? 台所爆発させないか?」
「失敬な! 魔力操作ならお手の物だ、火加減など造作もない!」
◇
結果として、台所は爆発しなかった。
だが、出来上がった物体は、アニアスの想像を超えていた。
「……これは?」
「ホットケーキだ!」
皿の上に乗っているのは、どす黒い紫色をした、不気味に脈打つ円盤だった。
匂いは甘いが、見た目が完全にダークマターだ。
「隠し味に『マンドラゴラの粉末』と『ドラゴンの肝』を入れてみたのだ! 滋養強壮に良いらしいぞ!」
「ホットケーキに滋養強壮はいらないんだよなぁ……」
アニアスは冷や汗をかいた。
だが、目の前で魔王が「さあ食え! あーんしてやるから!」とスプーンを構えている。その目は期待に満ちている。
断れない。マブダチとして、ここで逃げるわけにはいかない。
(勇者アニアス、覚悟を決めろ!)
アニアスは口を開けた。
スプーンが口に運ばれる。
未知の物体が、舌に乗る。
「……!」
一瞬、意識が宇宙へ飛びそうになった。
強烈な苦味と、痺れるような刺激。
だが、その奥に、確かに甘さと、卵の風味が感じられた。
そして何より――。
「……どうだ?」
心配そうに顔を覗き込むリーズヴェルトの表情を見て、アニアスの心が温かくなった。
一生懸命、自分のために作ってくれたのだ。不器用なりに。
「……うん。美味しいよ」
「本当か!?」
「ああ。ちょっと刺激的だけど、元気が湧いてくる味だ」
嘘ではない。実際に魔力が回復している気がする(マンドラゴラの効果だろう)。
「よかったぁ……!」
リーズヴェルトは心底ホッとしたように微笑んだ。
その笑顔は、どんな絶景よりも美しく、アニアスの胸を打った。
◇
その後、二人で紫色のホットケーキを完食し(リーズヴェルトも「む、ちょっとピリピリするな」と言っていた)、満腹になった魔王はコタツでうとうとし始めた。
「……アニアス」
「ん?」
「……ずっと、こうしていたいな」
半分眠った声で、彼女は呟いた。
「勇者とか、魔王とか、関係なく……ただのアニアスとリーズヴェルトとして……」
「……そうだな」
アニアスは優しく答えた。
「俺も、ここが好きだよ」
その言葉を聞いて安心したのか、リーズヴェルトは静かな寝息を立て始めた。
アニアスは自分の毛布を彼女の肩に掛けてやった。
無防備な寝顔を見つめながら、アニアスは思う。
この平穏な日々を、何としてでも守り抜こうと。
たとえ、国中の騎士団や、どんな強敵が相手でも。
この場所こそが、自分の本当の居場所なのだから。
魔王城の休日は、静かに、そして温かく暮れていった。




