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告発の夜に、妻は笑う  作者: マルコ


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第3章 協力者

 カフェの照明は、午後の日差しを散らすように柔らかかった。

 壁際の席で、佐伯俊がノートパソコンを開いたまま、短く「久しぶり」と言った。

 黒のスーツに、光沢を抑えたネクタイ。以前と変わらない控えめな印象だ。


 私はテーブルの上に封筒を置いた。

 クリアファイルに挟まれた資料。

 その表紙には、ただ一言「灰色」とラベルが貼られている。


「これが、例の?」

「ええ」

 彼はファイルを開き、目だけで中を追っていった。

 写真、投稿ログ、領収書のコピー。

 ページをめくるたび、紙が擦れる音が小さく鳴る。


「ここまで整理してあるなら、すぐ動ける」

「動く気はまだないわ」

「……そうか」

 彼の指先が止まり、視線がこちらに戻る。

「どうして僕に?」

「あなたが一番、感情を持ち込まないから」


 俊は小さく息を吐いた。

「褒め言葉として受け取るよ」


 私はカップに口をつけ、苦いコーヒーを一口飲む。

 頭の中で線を引く。

 ――法的処理の段階に入るのは、まだ先。

 だが、彼の助言があれば、告発の形を“作品”のように整えられる。


「会社への匿名通報も考えてる?」

「ええ。けど、最初は“火種”程度に留める」

「内部で炎上させる気か」

「ええ。人は、疑いの中で勝手に燃えるもの」


 俊は無表情のまま頷いた。

 画面に映る文字を打ちながら、淡々と尋ねた。

「目的は何だ? 復讐? 制裁?」

 私は少し考え、首を振った。

「違う。矯正よ」

「矯正?」

「彼が自分のしたことを、“社会的な構造”の中で理解するまで。

 私は、その仕組みを用意するだけ」


 俊の口元が僅かに動く。

「君らしい」

「それに……」

 私は少し間を置き、目を伏せた。

「彼に罰を与えたいんじゃない。

 “私を軽く見たこと”を、正しく測らせたいの」


 言葉にした瞬間、胸の奥に冷たい波が広がった。

 俊は頷き、ファイルを閉じた。

「じゃあ、段取りを組もう」


 ◇


 帰宅後、私は机に新しいノートを開いた。

 見出しには「作戦」とだけ書く。

 そこに、佐伯が話した三段階の流れを写す。


 第一段階:疑惑の種を撒く

 ――社内の匿名通報窓口へ、“営業部内での不適切な関係”を指摘。

 具体的な名は書かず、印象だけを残す。

 「最近残業時間が増えている社員」「頻繁な同行出張」。

 噂は、明確な証拠より速く伝播する。


 第二段階:情報の暴露

 ――SNS上で、裏アカと夫の行動が一致する“偶然”を拡散。

 匿名のアカウントから、「会社員Y氏、若手女性と不倫疑惑」と投稿。

 個人特定には至らないが、社内で見れば分かる程度の情報にする。


 第三段階:法的な突きつけ

 ――会社に調査委員会が設置され、当人たちが動揺した時点で、

 私が正式な弁護士を通じて離婚と慰謝料を提示。

 社会的にも、精神的にも“逃げ道”を消す。


 ノートの端に、私は小さく書き加えた。

 〈この戦いに怒りは不要。必要なのは構造〉


 ◇


 週明けの月曜、会社のウェブ通報フォームにアクセスした。

 通報文は三行。

 〈営業部の特定社員が、社内倫理に反する行為をしている可能性〉

 〈同部署内で不審な出張・残業が多発〉

 〈確認をお願いします〉

 送信ボタンを押すと、画面が淡く切り替わった。

 「ご協力ありがとうございました」の文字。

 その無機質な文面が、妙に心地よかった。


 翌日、夫の帰宅はいつもより早かった。

 「今日、上司から呼ばれたよ」

 「どうしたの?」

 「なんか営業部で通報があったらしい。内部調査だと」

 私は包丁を止め、穏やかに首を傾げた。

 「そうなの。物騒ね」

 「まったくだ。……俺には関係ないけど」

 その笑顔の薄さが、すでに関係を物語っていた。


 ◇


 三日後。

 社内SNSで、営業部の一部社員に対する“倫理調査”が行われているという噂が広がった。

 匿名掲示板でも「不倫で処分か」「誰だ?」という投稿が並ぶ。

 私は会社名を検索し、その波紋を確認する。

 コメントの一つに、「裏アカ特定されたっぽい」という文。

 タイムスタンプを見て、私は息を止めた。

 投稿時刻、22:45。結衣のストーリー投稿からわずか4分後。

 誰かがスクリーンショットを流出させたのだ。

 もしかすると、彼女の同僚。

 あるいは、佐伯が言っていた「炎上の予兆」。


 その夜、夫の表情は曇っていた。

 「……なんか、やばいことになってるらしい」

 「そう」

 「白川も呼ばれたって」

 私はテレビを見ながら、微笑んだ。

 ニュースのテロップには、「SNS炎上」の文字。

 それは、どこか遠くの話のように聞こえた。


 ◇


 深夜。

 夫が寝室に入ったあと、私はベランダに出た。

 雨が降っている。

 しとしとと、窓を打つ音が規則的だ。

 スマートフォンを取り出し、通知を確認する。

 ――佐伯から、短いメッセージ。

 〈第一段階、成功〉


 私は空を見上げた。

 街灯が雨粒を照らし、無数の線を描く。

 その線が、私の心に降り積もるようだった。


 復讐は、進行形だ。

 音もなく、確実に。

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