もう結婚してますが、何か?
ダンスレッスンのために武道館に集まった男子生徒達の視線を追うと、そこにミルドレッドがいた。
希少生物が男どもの視線を集めているのか……
まぁ、わからなくもない。
ミルドレッドは、美しく輝く銀色の髪に涼し気な紫色の瞳の美しい完全無欠なプリンセスで、その立ち姿は小柄ながらも凛として、気品に満ちている。
「ああ。あれが魔王の娘、ミルドレッド様か……」
「美しいな……」
「隷属するのにふさわしい相手だ……」
最後に何やらおかしな声が聞こえた気がする。本人に聞かれたら虫けらを見るような目で蔑まれる、ことはないか。
ミルは二重人格で、僕以外の前で本性を表すことはないからな。
虫けらのように蔑むことは間違いないが、その様子を蔑まれる本人が目にすることはないだろう。
「こほん」
男子生徒たちは、ミルドレッドの婚約者である僕の姿を認めてハッと口を噤んだ。
ミルドレッドは、実際には僕の「妻」だ。
学園入学前に既に婚姻は結ばれている。
政略上の理由で生まれた時から婚約者で、政略上の理由で本人達不在で婚姻が結ばれ、政略上の理由で表向きにはまだ婚約者だ。
で、まだ「手をつなぐ」までしか許されていない。
その「手をつなぐ」だって僕の拡大解釈で、政略上の理由で許されているのは「エスコート」までだ。
僕が手袋を付けた手を差し出し、ミルドレッドが手袋を付けた手を乗せるとか、僕が腕を貸し、ミルドレッドがそこに手を乗せるとか、そういうレベル感だ。
ふざけるな。
妻だぞ、妻。
おかしいだろ?
それで勝手に「指を絡めて手をつなぐ」まで拡大解釈して宮殿内の庭園を散策してみたが、今のところ注意を受けていない。
とにかく非常に複雑な政情を反映した非常に複雑な関係だ。
それでも正式な婚姻を結んだ歴とした僕の妻だ。
だからミルドレッドの代わりに僕が不埒な視線を送る男どもに渾身の蔑みの視線を浴びせておいた。
まさかこれが「はっ。アレのどこがいいんだか?」の蔑みだと解釈され、王立学園の入学からたった一週間でピーターバラ王子と魔王の娘の不仲説が深刻化することになるとは思ってもみなかった。
だいたい「深刻化」ってなんだよ。
そもそも不仲じゃねー(と思うよ)。
この時点で、王立学園内で一番注目を集めていたのは、聖女エアリーだった。
聖女はいにしえの昔、人族の勇者にパーティーを組ませて、魔族の領土を荒らしまくった。もっと具体的に言えば魔族を虐殺しまくった巨悪だった。
その頃は、「魔王の娘」が出陣して、聖女を無力化した。
その後、聖女は戦略を変えて、直接魔族領に生まれ、貴族子息を誑かすようになり、魔王の娘は、その被害を最小限に抑える調整役になった。
通称、悪役令嬢。
当代でいうと、我が妻、ミルドレッドだ。
だが、時代は変わった。
魔族は強くなり、魔石で聖女を聖女牢に封印できるようになった。
3代前の聖女は「悪い聖女」で、老齢となった今でも聖女牢に捉えられている。
先代聖女は「良い聖女」で、魔族の危機を救う「聖女の予言」をもたらし、穏やかに暮らしている。
ここピーターバラに生まれた当代聖女エアリーは、品行方正で、心優しく、思いやりに満ちた「良い聖女」だとすこぶる評判が良い。
そして、今年、聖女エアリーは活動期に入り、ここピーターバラの王立学園へ入学した。
聖女が出生国の王立学園に入学する際は、各国から貴族子女の留学希望が殺到する。
端的に言うと見物客だ。
その見物客たちは聖女の一挙一動を観察し、本国に報告する。
次は自国かもしれないからね。
国防のために情報を集めておかないとね?
この時、聖女が「良い聖女」の場合、憚るものがないので、何も隠す必要もなく、そのまま学園内の噂として蔓延する。
そういうわけで、当代聖女は入学時から絶えず視線を集め、たった一週間で大人気令嬢となった。
見た目は、ピンク色の髪に緑色の瞳で可愛らしい。
側近候補たちの話では、子供のようなあどけなさを残しつつ、神殿育ちで常識に欠けるところがあり支えてあげたくなるし、貴族風に行儀よくしようと努力している姿がキュンだとの事だ。
尚、宮殿で散歩中にミルドレッドにこの話をしたら、鼻で笑って「大丈夫ですよ。わたくしの見立てでは、この学園で一番の美人さんはジョナサンですわ。自信を持って」と言い放った。
違うだろ?
ヤキモチとか、ないの?
この朴念仁が……
あ、ジョナサンというのは、僕の名前だ。
そういえば、自己紹介をしていなかったが、僕はここピーターバラのジャニス女王の第3子ジョナサンだ。
よろしくな。
兎も角も、入学早々に大人気となった聖女とは対照的に、陰キャで学園に通いたくないミルドレッドは、淑女科に入ったのであまり人目に触れない。
男女の人数調整の関係で合同授業となったダンスレッスンの折に初めて近くで見ることができた男どもも多く、今この時ばかりは一身に注目を集めていた。
しかし、それはほんの短い時間のことで、この授業が終わるころには、男どもの視線は全て聖女に戻っていた。