第八話後編 ムラサキカガミ
ハルカの話の続きです。
ハルカは、次の日から学校に来なくなった。テストが始まっても、ハルカは姿を現さなかった。
先生もクラスメイトも、ハルカが来ない理由を私たちに尋ねた。でも、誰も答えることができなかった。そこから、私たちの間に何かトラブルがあったのだろうと噂が流れた。
私たちはみんな、ハルカにしたことが周りにばれるのを恐れていた。ハルカは誰にも言っていないようだったが、それでも、いつ告発するかわかったものではなかった。
小心者のリコは常にびくびくとしていたし、さすがのヒナタも、周りからの疑いの視線に辟易としていた。ユウマは、魂が抜けたようにぼうっとしていることが多くなった。
夏休みを控えたある日、噂を気にしたコウキから、様子を見に行ってこいと命令された。
「お前が一番仲いいだろ。家も近いんだし……」
今さら平気な顔で、ハルカと顔を合わせられるわけもない。嫌だったが、それよりもコウキが怖かった。あの日打った背中の痣は、しばらくの間消えなかった。
学校にいるうちに、ミナトを呼び出した。写真のデータについて尋ねるためだ。
写真はミナトのスマホでしか撮られていなかったから、ミナトが消去してしまえば拡散される恐れはない。それだけでも伝えて、ハルカに安心してもらいたかった。
ミナトはハルカに振られてしまったが、それからもずっとハルカのことが好きだった。だから、当然データを消してくれるだろうし、それどころか、もうすでに消去してしまっているかもしれない……などと思っていた。
しかし、ミナトはとんでもないことを口にした。
「消さないといけないの? でも俺、どこにもアップしたりしないよ」
「え、何言ってるの、消してあげてよ。あんなの、残ってたら嫌に決まってるでしょ」
「……だって、あのデータがないとさ……。ハルカは俺の言うことなんて聞いてくれないだろ……」
その言葉を聞いた途端、目の前のE山ミナトという男が、気味の悪い化け物のように感じられた。
「何考えてるのよ!」
そうミナトに吐き捨て、私は走って逃げた。
何だろう、あれは。ハルカはひどく傷ついてるに決まっているのに、あの生き物は、そんなことはどうでもいいらしい。
いや、ミナトだけではない。私たちは皆、自分のことしか考えていない化け物だ。いったいどうしたら、人間に戻れるのだろう。
学校が終わり、とぼとぼとハルカの家に向かった。門の前に着いたときには、絶望しかなかった。チャイムを鳴らすと、ハルカのお母さんが出てきた。
「アカリちゃん、来てくれたの」
ハルカとよく似た顔をしたお母さんは、憔悴した表情だったが、怒っているようではなかった。昔なじみが、心配して様子を見に来てくれたのだと思ってくれたようだった。
それを見て、私は正直ほっとした。
「ハルカは、どう……」
「あの子、何も話さないの。食事もあんまり食べないし……。アカリちゃん、何か知らない?」
「いえ……」
言えるわけがなかった。お母さんはがっかりした様子だったが、2階のハルカの部屋まで案内してくれた。
「ちょっと、話してやってくれる?」
お母さんは、私を置いて下に降りていった。私は、ハルカの部屋のドアをノックした。
「ハルカ……」
罵倒されるかと思ったが、ハルカは意外にも、すぐにドアを開けて私を迎え入れた。ノブを持つ手は細く、久しぶりに見るハルカは、学校で見たときよりもだいぶん痩せたようだった。
「ここ座って」
促されるまま、私がハルカのベッドに腰掛けると、ハルカはその隣に布団をかぶって縮こまった。部屋の中は締め切られて蒸し暑かったが、ハルカにはどうでもいいようだった。
ハルカは、そのままぽろぽろと涙をこぼした。
「私、あんな写真撮られて……」
ハルカは鼻をすすった。ずっと泣いていたらしい。傷ついているのはもちろんだが、やはりハルカは写真のことを気にしていた。
ミナトとのやりとりを言えるわけもなく、私は黙ったまま、ハルカの隣に座っていた。
まず私が、ハルカに謝るべきだ。そう思い、ハルカの方に身体を向けた。しかし、謝罪の言葉は喉まで出て、止まった。
「どうしよう、アカリ……」
涙で目が腫れ、鼻が赤くなり、パジャマ姿のやつれた姿でも、ハルカはまだ綺麗だった。ハルカの横顔に目を奪われ、私はなぜか無性に腹が立った。
(どうして、この子はずっと綺麗なの。どうして、この子ばかりが愛されるの)
何も、言わなければよかったのだ。
確かに今までも、ハルカに対して軽い嫉妬心を抱くことはあった。でもそれは容易に押し込めることができていたのだ。
しかしこの土壇場に来て、急にその蓋がはじけ飛んだ。私は、自分から人間を捨てた。
「ハルカが悪いんじゃん」
気がつけば、私はハルカを責めていた。
「え……」
「ユウマを盗ったんでしょ。みんなハルカが悪いって言ってるよ」
「違う、アカリ、知ってるでしょ」
「知らないよ。ハルカは……」
そのときの私は、鬼のような顔をしていたに違いない。蒸し暑い部屋で、身体は汗でじっとりと濡れていた。
「アカリ」
「あんな目に遭ったって当然なんだよ」
ハルカの顔を見る勇気はなかった。私はひどい言葉を吐き捨てたあと、ハルカの部屋を飛び出した。
階段を降りたとき、ハルカのお母さんが何か言ったような気もしたが、覚えていない。私はそのまま玄関を出て、自分の家まで走った。
ハルカの訃報を聞いたのは、その3日後だった。
葬儀は家族だけでひっそりと行われ、私たちが参列することはなかった。
葬儀から少し経って、ハルカのお母さんが家にやってきた。玄関先に私が出ると、ハルカのお母さんはつかみかかってきた。
「どうしてあの子は死んだの!」
「あの子に、何を言ったの。あなた、ハルカに何をしたの!」
お母さんは、わあわあと泣き叫びながら私を揺らした。私は、何も言えなかった。
近所の人たちがわらわらと出てきて、ハルカのお母さんを引き剥がしてくれた。近所の奥様たちに促され、ハルカのお母さんはいったん帰ったが、それからも度々家に来ては、ドアを叩き、「うちの子に何をしたんだ」と泣き叫んでいた。
最終的にはうちの親に通報され、ハルカのお母さんは入院になった。その後亡くなったと、噂で聞いた。
――どうしても、何も言えなかった。
親には当然、ハルカとの間に何があったのかを聞かれた。けれど言葉は出てこず、私はいくら親に叱られても黙ったままだった。
友人たちがやったことも、自分が言ってしまったことも、口にしたら逃げられない現実になってしまう気がした。
ハルカの家はいつの間にか売家になり、いたたまれなくなった我が家も引っ越しをした。
親は私の沈黙を後ろめたさのせいだととり、高校を出たら家を出て行くようにと言われた。親にとって私は、すでに犯罪者だった。
アカリはベッドの上で座ったまま、スマホに手を伸ばした。スマホの画面には、大量の着信と、留守電を知らせるメッセージが光っていた。
(ハルカも、こんな気持ちだったのかな)
どんなにつらかっただろう。どんなに心細かっただろう。
あのとき、どうして黙って肩を抱いてあげられる私じゃなかったんだろう。
(戻りたい、何も考えないですんだ頃に)
アカリの頭に、ハルカとの思い出が次々に蘇ってきた。美人で素直なハルカは、自慢の幼なじみで、親友だった。しかし、陽に照らされて影ができるように、アカリの中にはふつふつと嫉妬が生まれ、心の奥底に積もっていった。
(ハルカは、私のことも恨んでいるんだろうな)
アカリはハルカを傷つけた。ハルカがアカリを恨んでいないわけはない。
(……私も、死ぬのかな)
――コウキたちと同じように……。それとも、ハルカと同じように?
アカリは疲れ切っていた。
今となっては、バスにもう一度乗ってもいいと思うくらいだ。
(私は、どうして降ろされたんだろう……)
アカリだって、あの中の一人になっていたっておかしくはなかった。アカリは身体を縮め、きゅっと布団をかぶりなおした。
――私だけが、なんで生きているんだろう。
すると、耳元に誰かの息づかいを感じた。びくっとして身体をこわばらせると、バスで聞いた声が、アカリの耳に飛び込んできた。
『話して』
目の前が、急に明るくなった気がした。アカリは、バスの中で見た白い炎を思い出した。
(ああ、そうなのか)
思い出したのは、炎の明るさだけではなかった。この声の主を、アカリは知っていた。
「ハルカ」
(ハルカは、そうしてほしかったんだね)
――やっと、気づいた。
「分かったよ……。本当に、ごめんね……」
アカリの目から、次から次へと涙がこぼれてきた。失ったものが大きすぎて、胸が抉れるように痛んだ。
ただ、やるべきことは分かっていた。
ひとしきり泣いたあと、アカリはスマホを手に取り、ロックを開けた。
そして、着信のメッセージを一つ一つ丁寧に確認していった。
お読みいただいてありがとうございます。次は、朝葵たちの学校に舞台が移ります。引き続きお読みいただけると嬉しいです。