表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

第三話 小豆洗い

妖怪っぽいタイトルになってきました。

「あとは、さっきの『べとべとさん』のように、音だけが聞こえる怪異だな」


 桐人は、変わらない調子で話を続けた。2人が歩く道は暗く、民家の窓から漏れる明かりと、わずかにある街灯だけが頼りだ。


「音だけ……ですか」

「正体不明の音というのは、なんとなく怖いだろう?」

「確かに……」


 本当に音だけなら、無害なものだ。しかし、音というのは、警告でもある。

 普通の人間であれば、闇から聞こえる音を無視することはできないだろう。


「古典的なところでは、『小豆洗い』だ」

「あ、それ有名ですよね。小豆とごうか、人とって食おか……」

「そう、それだ。夜、水のそばを通ると、ザクザク・ショキショキと小豆を洗う音がする……」

「うわあ……。こんな夜に聞くと、よけいに不気味ですね」

「まあ、ここは川なんかはないから大丈夫だ」

「よかった」


 朝葵は、ほう、と息をついた。別に、小豆洗いが出てくることを本気で心配しているわけではない。桐人の『大丈夫』という言葉を、今の状況と重ね合わせたのだ。


「そう、心配するな」

「……はい。そうですね……」


 押し隠そうとしても、朝葵の不安は、桐人に伝わってしまっているのだろう。朝葵は、自分がひどく肩に力を入れていることに気づいた。


(……負けないから!)


 朝葵が緊張を振り切るように肩を回し始めると、桐人が驚いた口調で「急にどうした」と言った。


「あはは……。ちょっと、肩が凝って」


 嘘でもない。朝葵がそう言うと、桐人が息を漏らす音が聞こえた。どうやら、少し笑っているらしい。それを誤魔化すように、桐人はまた話し始めた。


「……そういえば、どうして小豆洗いが小豆を洗うのか、考えたことはあるか?」






 ――R松ユウマは、飲み会から家に帰る途中だった。


 繁華街で友人と飲んでいるときは楽しかったが、喧噪を抜け、最寄り駅から家路につくころになると、どうにも興ざめする。


(ずっと、酔っ払っていたいのにな)


 自分が、アルコール依存の範疇に入っているんじゃないかとは、薄々感じている。わずかな給料も、すぐに飲み会に使ってしまう。おかげで給料日前にはカツカツだ。


 しかし、やめられない。酒だけが、現実を自分から遠ざけてくれるのだから。


 職場で叱られるから、かろうじて仕事中は飲まない。仕事が終われば、水筒に入れたウイスキーを引っかけてから帰る。飲み会に誘われれば、借金してでも出る。

 家に独りでいるのは耐えられなくて、休みの日は朝から外に出る。金があれば店で、なければ公園で安い焼酎かウイスキーを飲んでいる。


 今日もこれから家に着いたら、4Lの焼酎ボトルを開けるのだ。


(早く、飲み直さなきゃ……)


 ぼんやりしたいのに、頭が冴えていく。ユウマは、家路を急いだ。


 川べりの細い道を、よろけた足取りで歩いて行く。暗い夜道に、川がさらさらと流れる音と、ユウマの足音だけが聞こえていた。


 ユウマが酒を飲み始めたのは、高校生の頃からだ。最初は、父親のビールをくすねるところから始まった。

 20歳を過ぎ、堂々と酒を買えるようになると、飲酒の量は加速した。家族の目がうるさかったから、安アパートで一人暮らしを始めた。


 そして、酒浸りの生活が続いている……。


「くそっ」


 静かすぎて耐えられなくなり、ユウマは立ち止まると、リュックの中からガサガサと水筒を出した。


「ちっ……」


 少しでも残ってないかと、水筒のボトルを口の上で振ってみたが、数滴が出てきただけだった。その数滴を舌で受けながら、ユウマはバンバンとボトルの底を叩いた。


「何だよ、足りねえよ」


 思ったより大きく、すさんだ声が出た。自分のその声にびっくりし、ユウマは我に返ってしまった。


 ――何なんだ、この姿は……


 家に帰るまでも酒を我慢できず、悪態をつく。自分のこんな卑しい姿に気づきたくない。かつての自分は、こんな情けないやつではなかったはずだ。


 ぶつぶつと独り言を言いながら、ユウマはまた歩き出した。すると、耳元で声が聞こえた。


『そうかしら?』


 誰の声だ?


『ユウマは、いつも口だけ』


 その声には聞き覚えがあった。


「ハルカ」


 高校の頃、付き合っていたハルカの声だ。


『私を好きだと言ったのも』


 川のせせらぎに混じるハルカの声は、悲しそうだった。


『口だけ』


 ユウマの頭の中に、高校の頃の光景が蘇った。仲良しのグループで、いつもバカみたいな話ばかりして過ごしていた。

 たった3年くらい前の話だ。ハルカも自分もその中で、将来の不安などないように笑っていた……。


「ハルカ、違う」


 自分は、本当にハルカのことが好きだった。付き合えて嬉しかった。

 それなのに……

 それなのに?


「ハルカ、どうして」


 ――どうして、お前の声が聞こえるんだ。


 ユウマは、いつの間にか橋の前まで来ていた。歩行者用の橋は細いが、下流であるため、わりに長さがある。ユウマの安アパートは、その橋を渡った先だ。


 ユウマは、キョロキョロと辺りを見回した。


「誰かいるのか」


 酒のせいで頭が働かない。ハルカがいるはずがないが、もしかして……。


『ユウマ』


 ユウマは、橋の上にぼんやりとした人影を見た。


「ハルカ」


 ユウマは、人影の方に駆け出していた。もし、ハルカと話せるなら謝りたい。ハルカが許してくれるなら、今のくだらない人生をやり直せる気がする……。


 人影を目指して走ってきたはずなのに、橋の中程まで来ても、誰もいなかった。女性の足で、ユウマが来るまでに橋を渡りきることはできないはずだ。ユウマは向こう岸の橋のたもとを見たが、人がいる様子はなかった。


(ハルカを、見つけなきゃ……)


 ユウマは欄干に手をかけ、上半身を乗り出して川を覗いた。水音は聞こえなかったが、橋の上にいた人物が落ちてしまった可能性もある。

 しかし、川は相変わらずさらさらと流れ、暗い中にも人が溺れているようには見えなかった。


 ユウマはほっとして、欄干から乗り出した身を引っ込めた。そして、辺りをもう一度見回した。


「ハルカ、どこだ」


 なんとしてでもハルカを見つけ出して、人生をやり直すのだ。


 ユウマは、橋の隅々まで探してやろうと、明かり取りのためにリュックからスマホを取り出した。

 そのとき、後ろから伸びた手がユウマの両肩を鷲掴みにし、ユウマは激しく後ろに引き倒された……。






「……小豆は、基本的にめでたいときに出てくるものだった。赤飯みたいにな」

「お赤飯! 私、大好きです」


 桐人と朝葵は、歩きながら小豆洗いの話を続けていた。


「うまいよな。今では、いつでもレトルトで食えるから助かる」

「ストックしてるんですか」

「……まあ、その話はいいだろう。」


 桐人は、咳払いをひとつした。


(私もストックしていると言おうとしたのに)


 今日のお礼は赤飯にしようと決め、朝葵は、桐人の話にまた耳を傾けた。


「小豆の赤は、邪気を払う魔除けの色だ。だから、小豆は神聖なものだったんだ」

「神聖なものだったら、どうして妖怪が洗うんでしょう」


 朝葵は疑問に思った。小豆が魔除けになるのなら、小豆洗いという妖怪は、小豆に触れないんじゃないのか。そう考えると、矛盾した妖怪だ。


「妖怪じゃないんだろうな」

「え」

「神聖なものを扱えるのは、選ばれた存在だ」

「小豆洗いが、選ばれた存在なんですか……? あれが……?」


 朝葵は、有名な小豆洗いの絵を思い浮かべた。川のそばで、小豆を洗いながらニンマリと笑っている、ギョロリとした目の小男は、いかにも何かを企んでいるようで気味が悪かった。


「吉良が今考えているのは、竹原(しゅん)(せん)のやつだろ。」

「そんな名前でしたっけね」


 竹原春泉は、江戸時代後期の画家である。彼の作品の中に、妖怪画で有名な本の一つである『絵本百物語』がある。朝葵が思い浮かべた『小豆洗い』の絵も、その中に描かれていた。

 朝葵は、桐人ほど妖怪に詳しくはない。桐人と話をするたびに、少しずつ知識が増えてはいるものの、いつも教えられることの方が多かった。


「あの絵には、話がついているのは知っているか? と、いうより、もともと挿絵なんだが……」

「いえ、そこまでは知らないです。どんな話なんでしょうか」

「ざっくり言うと、ある寺で住職にかわいがられていた小僧が、妬まれて別の僧に殺される話だ」

「ええ~……」


 朝葵は顔をしかめた。怪談とはいえ、気分の悪い話だ。


「その後味悪い話と小豆に、何の関係があるんですか」

「その小僧は利発な子で、小豆を洗っただけで、その数を当てることができたそうだ。だから、住職は後継ぎにしようと考えていた」

「ああ……」


 それなら意味は分かる。つまり小僧は元々、神聖な小豆を扱うことができる、優れた存在であったのだ。だから、同じ寺の者に妬まれた。


「死んだ後には、小僧の霊が寺の雨戸に小豆を投げつけたり、小川で小豆を洗っていたりしたと書いてある」

「じゃあ、あの絵は……」

「小川で小豆を洗う、小僧の姿だな。少し不気味に描いてあるのは、死後だからだろう」


 朝葵は、もう一度小豆洗いの絵を思い出してみた。それでは、あれは気味の悪い妖怪の絵ではなく、哀れな少年の霊の絵だ。そう思うと、大きな目も少し可愛く思えてきた。


「なるほど……。ところで、その話の中で、小僧を殺した犯人は捕まったんですか」

「ああ。結局村中に『あいつが犯人じゃないか』と噂が流れて、代官に捕らえられた」

「よかった」


 ハッピーエンドとはいかないが、ちゃんと罪が裁かれたことで、朝葵は安心した。犯人くらいは捕まってくれないと、小僧も化けて出た甲斐がない。


「でも、ひどい目に遭わされたのに、小豆の音を聞かせることしかできないのって、悔しいですね」

「霊は実体を持たないからな」

「ああ、そういうことかあ……」


 本来なら、被害者は自分の手で復讐を遂げたいだろう。しかし、実体がなければ、それは叶わない。霊は無念を音に乗せて、訴えることしかできないということだろうか。


 朝葵は、うーんと言いながら少し考えると、顔を上を向け、桐人に尋ねた。


「それなら、実体を持つ怪異というのはあるんでしょうか」

「ふうん、そうだな……」



お読みいただいてありがとうございます。次もまた、別の人間が出てきます。引き続きお読みいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ