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Leak -Think again-  作者: 冬野柊
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1.ランチタイムの悪夢

 ネットニュースで結婚詐欺の記事をよく見かける。愛を武器に人を騙すのはどんな気持ちなのだろう。結婚詐欺は、被害者側の意志でそれに加担してる場合も多く、立件されないケースも散見される。愛に溢れているはずの「結婚」がまったく愛の欠片(かけら)もない「詐欺」に覆われてしまうのであれば、一体何を信用すればいいのだろう。大勢のそんな独り言が届きもしない所でそんな愚行が行われている。それがこの世界の現実なのだ。

今日の空はそんな憂いを帯びてその中を雲は無関心に漂う。

この世界において、ほとんどの人間がこの雲同様なのだ。我関せず、自分には関係ないことと野放しにしてきたのだろう。

その結果が今の世の中であり、その制裁を受けるべき、という考えはさすがに飛躍しすぎているのかもしれない。

でも心のどこか隅で、誰かにそれが降りかかればいいのに、と願ってることも確かだ。嘘や裏切りにもっともっとリスクがあっていい。そう考える者も多数いるのではないだろうか。

つまりは、それを行動に移す人間が存在したとしても、何もおかしなことはない。

 「猫も杓子(しゃくし)も」とはこのことだろうか。


「ねぇ、このアプリ知ってる?Twitterとかでも話題なんだよ。」

「お前、これやってる?結構ハマるぞ?」

「そうだね。悪口専用Twitterみたいなものかな?」

「とりあえずやってみたらわかると思う!」

街中で、学校で、職場で。人の情報と言うのは、SNSが普及してさらに浸透しやすくなった。誰でも情報世界のその中にいて、SNSで情報を手にした人を経て、その情報を知らなかった人に伝わり、芋づる式に広まっていく。ソースがどこであるのか、そんなことはもはやどうだっていい。〇〇から聞いた、Twitterで見た、そうやってどこからともなく、そしてどこまでも、情報と言うものは流れていく。更には真偽や信憑性など当然の如く不確かである。最初の人から正しく最後まで伝わるわけもない。伝聞とはそう言うもので、歴史書に刻まれた史実もどこまでが真実なのかはわからない。SNSどころかインターネットも電話も無い時代の話だ。偽りの真実があっても不思議ではない。1973(昭和48)年には、女子高生の雑談から自然発生した「倒産するらしい」という噂が広まり、2週間弱で14億の預貯金が引き出されデマにも関わらず本当に銀行が倒産しかけたという、豊川信用金庫事件も発生している。真実がどこにあるのかなんてもうわからない。誰が真実を話し、誰が嘘を話しているのかも、わからない。そしてそれはアプリひとつ取ったって例に漏れず、瞬く間に広がっていく。それがどの様な実態で、自分にそして他人に、どんな悪影響を及ぼすのかなどと言うことよりは、目先の楽しさや、憂さ晴らしが優先される。そうやって面白半分に他人を(もてあそ)び、手に入れられるものなどたかが知れているのに。しかし、人間はどこまでも、いつまでも阿呆な生き物なのだ。自分達で常にそれを証明してきた。確かにそれが発展の一端だったかもしれないが、衰退を助長するものでもあったことだろう。それでも懲りずに人は人を嘲笑(あざわら)い、人を騙し陥れて、自らもその罠に(はま)っていたりする。なんとも奇妙な生き物なのである。今回も結局たったひとつ、小さな嘘。裏切り。本人も気にも留めない、そのレベルの。そんなものから始まってしまった愚かな物語だと思っていただければそれで相違はないだろう。



まずは半年前、2023年の1月に遡る。


--------鷺宮(さぎみや)柚諳(ゆあん)のクラスでも「今、このアプリがめっちゃ流行ってて!」「え?あんたもインストールした?」などという話題が今日も一斉を風靡しているけれど、それは特段、鷺宮柚諳にとって特別な事案ではなかった。いつだって人は流行に踊らされるからだ。()()を作っているのも人間で、それに踊らされるのも人間。総じて「踊ってる」という表現の方が正しいのではないだろうか。今日はこれ、明日にはこれって目まぐるしく変わる流行に必死に喰らいつく様は、なんとも滑稽(こっけい)だと感じていた。流行りに乗ること自体、悪いことと思ってる訳ではない。年頃の女の子だ。色々あるだろう。もっぱら、人と違うことをする、ということが絶対的悪と言う風習が(いにしえ)からこの国には根付いている。だからこそ、流行りに敏感になる事を安易に否定は出来ないが、それは強制されるものでもない。よって、鷺宮柚諳(しか)り、傍観者(ぼうかんしゃ)も増えていく。我関せずが1番傷つかない。それに、他人に必要以上に興味を持ち、感情移入しても良いことはない。人は簡単に嘘をつき、簡単に裏切るからだ。鷺宮柚諳はそれを痛感した過去がある。人間関係は面倒だ。深く関わる事は、自分をそれだけ(さら)け出すということだ。ましてや思春期の感情は雲のように、まだ決められた形を成さず、簡単に形を変えていく。その中でしっかりと形付いた関係を築く方が無理なお話なのだ。だから、無理に関わらなくて良い。同じクラスと言ったって、こちらの操作によりそうなったわけではない。学内イベントなど、致し方無く関わりを持つときはあるにせよ、それ以外は我関せずでいいのだ。鷲宮柚諳はそう考えていた。自分自身がもうこれ以上傷付かない為の予防線でもあった。そんな彼女にも、友人がいないわけではない。 

「柚諳!お昼食べよ!」

 同じ中学校からたまたま同じ高校へ進学し、同じクラスになった、美作(みまさか)紫栄(しえ)だ。鷺宮柚諳とは正反対の性格をしている美作紫栄。退け合いそうな両者ではあるが、互いが持ち合わせていないものを補い合える関係が鷺宮柚諳にとっては心地よかった。

「あのね、遊馬(あすま)くんに私もこのアプリオススメされたよ!」

 遊馬とは、美作紫栄の恋人である、遊馬(あすま)廉伍(れんご)のことであり、アプリは(くだん)のものであった。


「え、紫栄もそのアプリ始めたの?」

 あんたはまたそうやって流行りに乗ろうとして…と、母親の様な言葉を今にも口から漏らしてしまう様な、(いぶか)しむ顔つきで鷺宮柚諳は美作紫栄の顔を見る。「そんな顔する?」と言わんばかりの驚いた顔で答えた美作紫栄が言葉を繋ぐ。

「う、うん、登録してみたよ。まだユーザー情報登録しただけで実際に使用してないけど…。遊馬くんはもうやったみたい。」

へぇ、と、怪訝(けげん)そうな態度を変えぬまま、鷺宮柚諳はアプリ情報を確認した。そこには、「あなたのストレスをほんの少し解消」「あの人のちょっとした悪事を呟こう」と言った内容の英文が並び、「簡易制裁アプリ Leak」となんとも胡散臭(うさんくさ)い文字が嘲笑(あざわら)う様に踊っていた。

「なんかね!本当にちょっとした悪事を呟くんだよ。少しだけその言った相手の情報を入れてね。」

あっけらかんと美作紫栄は言うが、怪しさに怪しさを重ねてパレード状態になっているのがわからないのだろうか。と、鷺宮柚諳の頭上には怪しさ以上にクエスチョンマークが踊っていた。そして咄嗟に先ほどの美作紫栄の発言を思い出す。

「遊馬くんはもうやったって言った…?」

「うん、やったみたいだよ。」

確か、アプリの説明には「「その人」はポイント手に入れ、「何か」を受け取ることになる。」とあった。それに、そもそも簡易制裁アプリ…とも書かれていた。鷺宮柚諳は色んなことに察しがついてきた様子だった。

「これ、ポイントって言葉を使ってるけど、それって多分、罰を受ける…みたいなことなんじゃ?」

その言葉に美作紫栄は驚いた様な表情で鷺宮柚諳の方へ振り向いた。

「そんな物騒なものなの…?」

不安で青ざめた美作紫栄だったが、そんな彼女を他所(よそ)に、鷺宮柚諳は一心不乱にそのアプリをインストールした。さっきまで、胡散臭すぎて、手を出す気も起きなかったそのアプリを何の躊躇もなくインストールしたのは、彼女なりの正義感か、はたまた不安か何か。それが何なのかは彼女のみぞ知るものであるが、何かしらが彼女を駆り立てた。ユーザー情報を入力し鷺宮柚諳はそのアプリの説明やQ&Aを確認した。そこには


・裏切り行為を呟くには、まず簡単な相手のパーソナルデータを入力。本名も入力可能だが、必須ではない。

・呟いた本人のスマホデータ()()から洗い出し

・該当する人物に裏切り票=リークポイント(LP)が付与されていく。

・それを獲得したものはポイント数と獲得までの期間に応じてなんらかのペナルティが課せられる。

・週間得票精査と月間得票精査が設けられており、それに基づきペナルティが決まる。

・例えば、同じ10LPでも、1週間で得票した人間と、1ヶ月で得票した人間では、ペナルティの重さが変わる。


などと記されている。(おぞ)ましいその文章を、ユーザーはどれほど理解したのだろう。「ペナルティ」なるものがどの程度のものかはわかりかねる。だが、それに恐れ(おの)のかず、このアプリを利用してるのかと考えたら身の毛もよだつし、その人たちの方が悍ましいとさえ思った。こんなものを軽い気持ちで使ってしまったら…そんな鷺宮柚諳の、その不安は的中することになる。クラスメートのスマートフォンの通知音が一斉に鳴り響く。慌てて彼女は近くで音がしたクラスメートのスマートフォンを覗き込む。そこには

《月間得票精査》と表示されていた。つまり、ペナルティが決まる瞬間ということである。鷺宮柚諳は息を呑んだ。ごめん、と言うハンドジェスチャーをクラスメートに示して、そのスマートフォン画面を覗き込む。Leakのメイン画面には、!マークが表示されており、そこをタップすることで詳細が見られるようだ。特に何も気にしてないであろうクラスメートは躊躇することなくそれをタップした。そこには、おそらくこのクラスメートが知る範囲の中で票を集めた人物の名前と得票数が表示されていた。その内訳はこうだ。


1.美作紫栄 20

2.井関(いせぎ)蘭菜(らな) 14

3.雲出(くもず)天音(あまね) 12

4.雑賀崎(さいかざき)源都(げんと) 10

5.化野(あだしの)(こう) 7

6.栂尾(とがのお)来太(らいた) 4

7.唐櫃(からと)玲央(れお)宅原(えいばら)花奏(かなで)(よどみ)由良(ゆら)土渕(ひじうち)多絵(たえ) 2


全員クラスメートの名前だ。おそらく別の人物には別のランキングが表示される設定なのだろう。おそらくこれはデベロッパー側で操作しているに違いない。とは言え鷺宮柚諳が何より驚いているのは、最多の票を集めたのが美作紫栄だと言うことだった。自分自身含め誰かに恨まれてる可能性や知らずに何かをしてしまっている可能性はあるだろうと思っているものの、ここまでの票を集めているとは思ってもいなかった。しかし驚いている暇は全くなかった。すぐに画面の表示はペナルティ発表へと変わる。獲得票2票の4名は「文房具紛失」というなんともチープなものだった。次いで4票の栂尾来太には、「下校までスマートフォン没収」というペナルティが下る。思ってた以上にライトなペナルティに、鷺宮柚諳は安堵の表情を浮かべるが、7票の化野皇には「丸坊主」、10票の雑賀崎源都には「つき指」と、少しずつでもペナルティのレベルは上がっていく。いよいよTOP3のペナルティが発表される。鷺宮柚諳の心拍が早まる音がビートを刻むがそれ以上に顔面蒼白でその時を待つ美作紫栄の顔を、鷺宮柚諳は見ることが出来なかった。


 12票の雲出天音のペナルティが発表されようとするときだった。

「やっぱりほんの少し週間よりペナルティ重い?でもやっぱり得票数によるのかな?」

などと言う声が四方八方から上がってくる。みんな笑顔で話をしている。状況が飲み込めない鷺宮柚諳はこのクラスメートこと、宅原花奏に話を聞いた。

「あ、宅原さん、これってどういうこと??」

宅原花奏に話しかけたのは一体いつぶりだっけ。なんて考えていたが、宅原花奏は案外訝しむこともなく返答してきた。


「あれ?鷺宮さん、Leakやってないんだっけ?ちょっと前に流行り出したのは知ってるっしょ??みんな最初半信半疑でさ。だって相手の名前打つけど、そんなの特定無理じゃん?うちらも信じてなくて。でもやってみたらちゃんと特定されるし、アプリをまだインストールしてない子も対象になるの!得票数でペナルティのレベルも変わるみたいなんだけど、どれくらいのペナルティなのか気になって一斉に呟いてみたって感じかな?何回かやってみたけど、10票ぐらいまでは、そこまでのペナルティじゃないよねー。私も消しゴムどっかいっちゃっただけだし。皇くんの丸坊主はちょっとウケるけど。今回は月間だから少し重めの来るかも…なんて話してたんだけどね。」

こんなの、悪ふざけで使うものじゃ…と言いかけて飲み込んだ。この人達にそんなことを告げたところできっと意味も何もない。悪事を楽しんでいるだけ、いや、悪とも思ってないということだろう。つくづく人間は愚かだ。それにこの人達の肩を持つのだとすれば、人間が簡単に法に触れるわけもない。つまり、そのレベルのペナルティが課せられるとは到底考えつかないのであろう。そんなことを考えていたら、宅原花奏はさらに話を続けた。

「でも悪口…というか裏切りって言うか…それ自体は純粋にみんな呟いてるから。んーっとつまり、操作されて誰かに多く…ってことは無いと思うよ。まぁ…あくまで()()()()はね。私の2票も誰かわからない。そもそもこれはクラスで、そうしてみよ?っていうだけのもので、同時に投票(つぶやき)はされてるから、そこまでこっちは制御出来ないしね。」確かにその通りだが、だからと言ってクラスで面白半分に行っていいものでもないだろう、と怒りが込み上げてきた。しかし少しばかり宅原花奏の手は震えていた。もしかして残る3人の誰かの事を呟いたのだろうか。その罪の意識から震えているのか。

「宅原さん、もしかして…3人の誰かの裏切りを呟いた?」そう耳元で聞いてみると、震えながら首を縦に振った。鷺宮柚諳は深く溜息をついて、ハンドタオルを手渡す。宅原花奏の目には涙が溢れていたからである。そんな気持ちになるのであれば軽はずみに、クラスメートの提案を安請け合いしなければいいのに。呆れていた鷺宮柚諳は、とあることに気づく。どこを見渡して見ても美作紫栄が教室にいない。

「あれ?紫栄どこいった?」そう宅原花奏に問いかけていると、「あれ。さっきまでいたと思うけど…。ずっと鷺宮さんの隣にいた…よね?お手洗いでも行ったのかな?」嫌な予感に駆り立てられ慌てて教室を飛び出そうとする鷺宮柚諳の目にクラスメートのスマートフォンの画面が飛び込んでくる。そこには、12票の雲出天音のペナルティが「骨折」と表示されていた。雲出天音には申し訳ないが鷺宮柚諳にとってはそれどころではなかった。早く美作紫栄を見つけなければ大変なことになる…そんな予感だけが彼女の足を突き動かしていた。

「柚諳ちゃん!!第2校舎で美作さん見たって!!」

急に馴れ馴れしく名前を呼んできた声の主は宅原花奏だった。しかしもうそれはどうでもいい。それに彼女も、心配になって追いかけてきたということだろうか。それならそれは罪の意識だろうが、今は理由は何でもよかった。とにかく第2校舎に行くしかない。しかし、第二校舎は我々3年生の教室はひとつもなく、部活動で使われる教室などはない。主に1年生全クラスと、一部の2年生の教室と、今は使われていない旧音楽室(倉庫と化しているようだが)、後は新設された購買部と食堂があるが、我々はまさに昼食の瞬間だった。まもなく昼休みも終わると言うときに用はないだろう。一体、美作紫栄は第二校舎に何の用があったのだろう。

「花奏!さてはあんた、紫栄のこと呟いた…の?」

気付いたら"花奏"と呼び捨てにしていた。自分から少し、彼女への間合いを詰めていたのだ。こうして考えれば人間関係の構築はいとも簡単に見える。いや、簡単なのだ。だからこそ、崩れて行くのも簡単なのだ。人々はなかなかそれに気づかない。情だの、絆だの、愛だの恋だの、そう言った綺麗な言葉に飾られて見失っているだけで我々の作る関係など脆く崩れやすいジェンガみたいなものなのだ。誰かが下手な抜き方や積み方をすれば容易く崩れて行くような。それくらいのものなのだ。それなのに強固な物であると信じ切り、疑わず、騙されて、崩して、それでもまた…そんなスパイラルは本当に滑稽だ。信じてはならない。人を。全てを。鷺宮柚諳はまた、そう自分に言い聞かせるように呪文を唱えて、平常心を保っている。そして、鷺宮柚諳に問われた宅原花奏の顔は恐怖、後悔、悲哀…いろんな感情を織り交ぜた表情をしていたが、それでも確かに彼女は首を縦に振った。

「私も遊馬くんが好きだった。私の方が最初に仲良くなって。遊びにも行ったんだ…。毎日連絡も取ってて。でも、美作さんとあんまり話したことなかったから、そこまで仲良くなってるの知らなくて…。私は、遊馬くんも私を好きでいてくれてるって勘違いしちゃってた。だから悔しくて…。思わず。でも、すごく後悔して。もう遅いんだけど!!遅いのはわかってる。字の如く、後から悔やんでも仕方ないのはわかってるけど…。」

そう言いながら宅原花奏の頬を涙が伝う。それを、彼女と似て非なる表情で鷺宮柚諳は見つめていた。確実に怒りが(にじ)んでいるが、その全てを彼女にぶつけても仕方がない。とにかく今は体が嫌な予感に支配されている。何とか美作紫栄を見つけ出したい。そもそも見つけ出したところでおそらくペナルティは避けられない。(むし)ろ自分の目の前でそれが執行される可能性さえある。だけど、1人にしたくなかった。そしてまた、鷺宮柚諳は自分の思考とは反対方向へと舵を切る自分の感情に気付かされる。ああ。深く関わろうとしちゃってるじゃん…。懲りないな…と。宅原花奏に気づかれないようにそっと、あはは、と小さく笑った。自分の中に人間らしさがまだ残ってることへの喜びだろうか。友人が一大事かもしれないというのに、冷静に俯瞰(ふかん)し、客観的に自分を観察してる…そんな自分につくづく嫌気が差したがあゆみを止めることは無かった。そんな時、宅原花奏のスマートフォンの通知音が聞こえる。

「柚諳ちゃん、これ」

そこには、井関蘭菜のペナルティが表示されていた。内容は「感染」であった。2番目に重いペナルティということになる。しかし先ほどまで井関蘭菜は元気に授業を受けていた。それは言わずもがな全員そうなのだが…。

「そういえば、私が教室を出た時にちょうど雲出さんのペナルティが発表されてよね?花奏、消しゴムがないって言ってたけど…もうみんなペナルティを受けてるのかな?」

思い返せば消しゴムが無くなったという宅原花奏の発言は聞いたものの、「ペナルティ執行」の瞬間を、鷺宮柚諳はひとつも目撃していなかった。

「…天音までは執行されてる。雑賀崎くんのつき指と、皇くんの坊主は写真が送られてきたし、栂尾はさっき、廊下でふざけてTikTok撮影してたらスマホ取り上げられたって。ちょうど私が出る時に教室に戻ってきたよ。教室を出て、柚諳ちゃんを探してる時に、天音が階段踏み外して怪我したって、騒ぎになってたよ。」

つまりペナルティは即時執行されるということだ。(にわ)かに信じがたい状況ではあるが、これを偶然と考えるには無理がある。それくらい全員、課せられたペナルティと同じ事が本人達に降りかかっている。だからこそ、鷺宮柚諳は本当は悟っている。ここで仮に健全な状態の美作紫栄を見つけられたとしても、ペナルティから逃れることは不可能だと。結局のところ、見つけて自分が何をしたいのかわからずに探し続けている。ペナルティを止めることがもしかしたら出来るかも、と一縷(いちる)の望みを信じてるのかもしれない。それにしても、何処を探しても美作紫栄は一向に見つからない。もう第二校舎の全階隈なく探している。あとは…。

「もしかして屋上?」

2人が声と顔を揃えた。残り行ってない場所はもうそこしかない。2人は階段を1つ飛ばして駆け上り、屋上へ急いだ。鷺宮柚諳の中で、妙な胸騒ぎが強くなる。まだペナルティ発表の通知は来ない。まだ間に合う。そう思った。2人はとにかく全力で走った。陸上部にスカウトされるかもしれない。そんな冗談を言っている暇などある訳もないが。4階の一番西端の階段だけが屋上へ繋がっている。東端から上ってきた2人は全速力で校舎を駆け抜ける。間も無く春休みが終わる。下級生達が2人を不思議そうな目で見ている。しかし、2人に止まる理由も、下級生達に止める理由もない。とにかく2人は西端の階段へ急いだ。西端の階段に近づいた時、1人の男子学生がその階段を下るのが見えた。2人が通う、景星学院高校では、制服にクラス章を付ける。学年カラーにクラスのアルファベットが刻印されているもので、現在は3年が臙脂(えんじ)、2年が濃紺(のうこん)、1年が深緑(ふかみどり)となっている。ここは何度も言うが第2校舎。3年生の教室は1つもない。1年生と2年生のクラスしかない。しかし今、階段を降りて行った学生のクラス章が臙脂だったように見えた。気のせいだろうか。どっちにしても気にしている暇はない。2人は屋上までの階段を駆け上がる。もう扉が見えてる。その時だった。宅原花奏のスマートフォンの通知音が鳴り響く。無論、Leakからの通知である。このタイミングでの通知、美作紫栄のペナルティ発表しかないだろうと2人は嫌でも察していた。そして同時に鷺宮柚諳は気が狂いそうな程の悪寒、眩暈(めまい)、そして動悸(どうき)に襲われた。きっとこれを覆すことは自分達には出来るわけがない。でも止めたい。そんな葛藤が心の中で(うごめ)いている。これが夢ならどんなにいいか。早く覚めてくれたらそれでいい。白昼夢よろしく想像の中の話であってくれ。そう願っていながら、歩みを止めないのはこれが白昼夢などではないということを本質では理解しているからなのだろう。とにかく2人は屋上の扉を開けた。しかし、見渡す限りではそこに美作紫栄の姿は無かった。呼吸を何とか整えながら、宅原花奏は通知を確認した。その通知は2人を絶望へと突き落としなお、余りあるほどのものだった。







「転落」






宅原花奏のスマートフォンには、美作紫栄へのペナルティは、そう表示されていた。ほどなくして地上から悲鳴のような金切声(かなきりごえ)霹靂(へきれき)の如く響いてきたが、そんなものはもう、鷺宮柚諳の耳にはまるで届くことはなかった。それでも何が起きたかは頭では理解しているつもりだ。しかし、理解したくない、受け入れたくない。飲み込むことのできない鉱物(こうぶつ)の様な真実が彼女たちの目の前にはっきりと横たわっていた。その現実の凍てつく様な冷たい残酷さを前に彼女達はまるで夢から覚めたようにただ状況を一切、咀嚼(そしゃく)出来ずに、立ち尽くす他無かった。

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