試験当日 追憶の塔-後編
「ロイド!」
「レグ?!」
現れた白い犬獣人――ロイドはレグを見て、目を丸くしながら駆け寄ってきた。それから嬉しそうに笑う。さっきまで逆立っていた白い毛は大人しくなり、眉間の皺は無くなっていた。
「なんだ、一緒だったのかよ!」
「助けてくれてありがとう! 死ぬとこだった!」
「気にするな! しかし、ほんとにソロなんだな……」
レグは少々ムッとした。
「冗談だ! 銃使ってるってことは、遠距離攻撃が出来る様になったんだろ?」
遠くからのチクチク攻撃は最強だぜ、とロイドが言い、レグは苦笑いした。
この場所で、気心知れている友人がいるのは心強い。ロイドも同じだったようで、二人は一緒に探索することになった。レグはロイドに、新しい武器について軽く説明することにした。ただ、レグのヒールの話をすると背景が大変ややこしくなるため、それは脱出してから話すことにして、『弾の種を入れると攻撃が出る、そのほかにもいろいろ秘密があるんだよ』とだけ伝えた。
二人は城の奥に進んでいった。出てくる魔物はロイドが引き受け、レグは主に魔法石の探索を担った。
レグがある一室に入ると、そこは書庫だった。壁一面の棚に整然と本が並んでいる。背表面に宝石が埋め込まれている本や、魔力の込められた本もある。
魔法石が隠されていないかと見回していると、床に大きな焦げ跡を見つけた。廊下の絵画を思い出して、背筋に冷たいものが走り、足を止める。
「魔法石あったか?」
後ろからかけられたロイドの声に、レグははっとした。振り返ると、魔物を片付けたロイドが部屋を覗き込んでいる。心強い味方に、レグはふっと息を吐いた。
「ない。ちょっと、焼け跡が気になって……」
「なんだろうな。ま……チョコレートでも食って落ち着け」
ガサゴソとポケットから包みを取り出し、ロイドは棒状のチョコを取り出した。パキンと半分に折って、レグに差し出してくる。
レグは礼を言って受け取った。口に含むと、チョコの甘さが心に染み渡る。
「いつも思ってたけど、ロイドのチョコはちょっと違う味がするね」
「そうか? 故郷の味だからな……都会人には貧乏くさい味だってさ……母ちゃん……」
「ち、違う違う、美味しいよ!」
レグが慌てて否定すると、ロイドがげらげら笑った。
■■
魔法石が見つからないまま、時間だけが過ぎていった。ほとんどの部屋が荒れていて、探すのも一苦労だったのだ。二人は焦りを感じながら、次の扉を開いた。
そこは大きな聖堂だった。広いホールにベンチが並んでいて、中央奥に祭壇とパイプオルガンがある。
「城に聖堂まで作っちゃうんだ……」
「すげえ金かかってるな」
ロイドが中を見回しながら言った。ベンチは金で装飾されており、床は大理石だ。周囲に並ぶオブジェは金剛石で作られ、キラキラ輝いていた。
「見ろよ、魔法石だ」
ロイドが奥を指さした。祭壇の上に魔法石が二つ、青白く光っていた。
「あれだ! やっと見つけた!」
「実はガラス玉だったらどうするよ」
「何言ってるんだよまったく……」
ロイドの茶々にあきれ顔をしながら、レグは聖堂の奥に進もうとした。
その時、黒い霧があたりに広がった。霧は中央に集まり、濃くなっていく。
やがて、その霧から銀色の騎士が出てきた。
頭から足の先まで銀の鎧で覆っており、微光を放つ剣を両手で構えている。鎧の隙間から黒い魔力が漏れ出しており、ただの人間ではなさそうだ。
(あの紋章……)
レグが騎士を見つめていると、ロイドが抜刀した。彼は普段、素手で戦うスタイルでピンチの時にしか武器を使わないから、それだけ危険な相手という事なのだろう。
歯をむき出してうなりながら、じりじりと騎士に近づく。
「援護頼む!」
騎士も間合いを取りながら、ロイドと対峙した。白い毛が揺れ、ロイドが先に地を蹴った。
首を狙った一撃目ははじかれた。騎士が素早く動き、腹に突きを入れてくる。間一髪、体をひねってその剣を爪で受け止めながら、大きな斬撃で反撃した。それは騎士の腕を切り落とした。ガシャンガシャンッと鎧が床に落ちる。
だが、血が噴き出すはずの騎士の体からは、黒い霧が立ち上るだけだった。床に転がったのも、鎧だけ。
「おい、こりゃあ……!」
「怨霊……! 闇の力だ!」
死んだ人間の魔力が現世にとどまったまま年月が経つと、魔力の心臓ができ、実体のない魔物に変化する。それは悪霊と呼ばれ、生きた人間に危害を加えるため恐れられていた。
驚いて一瞬止まったロイドに、騎士の剣が襲いかかる。レグは騎士の剣を狙撃した。種から電撃が走って騎士が後退した隙に、ロイドがレグの隣に避難してくる。
「やっぱそう簡単じゃねえよな! レグ、俺が気を引き付けるから、魔法石を回収してくれ!」
「わかった!」
正面対決では勝てないという事だ。レグは脇目も振らずに、魔法石に向かって走った。ロイドならきっと大丈夫だ、と当たり前のように思った。
「うおおおおお!!!」
ロイドは近くのオブジェを片手で脇に抱えると、豪快に騎士に突撃した。オブジェをぶん回し、騎士の腰にぶつけて吹き飛ばす。壁に激突した騎士を、そのまま押さえつける。
騎士も負けじと抵抗した。剣の柄で、ロイドの肩口や腹を強打する。だがロイドは筋肉を肥大化させ、ますます押さえつけた。
ロイドはちらりと祭壇の方を見た。ちょうどレグが魔法石に手を伸ばしていた。
瞬間、騎士が何かを唱え、剣が炎をおびた。ピンとした緊張が、聖堂に漂う。
レグが魔法石を掴んだ瞬間、ロイドを跳ね飛ばした騎士が剣を高く掲げた。剣から火柱が上がり、膨張する。そして――爆発と共に、炎が聖堂内を駆け巡った。
「ぐっ!」
風と炎に吹き飛ばされ、レグは床に転がった。火傷をした全身が酷く痛む。手早くヒールをかけ、慌てて腕の中を確認する。
魔法石は 一つだけ無事だった。もう一つは、粉々のガラスのように割れて床に散らばっていた。
「ロイド!ロイド!」
聖堂は破壊されて、大きな瓦礫がそこらじゅう山になっていた。熱い床から立ち上がって、レグは声を上げる。騎士の近距離にいたロイドが平気だとは思えなかった。
――ふらりと、こちらに近づいてくる影が見えた。あの姿は、ロイドだ。
「ロイド!」
急いで駆け寄ろうとして、レグははっとした。
ロイドの背から黒い霧が立ち上っている。目は真っ赤に充血して、ぎらぎらと光っていた。フーフーッと荒い息遣いがやけにはっきりと聞こえる。
「……なに……まさか!」
レグは後ずさった。
ロイドが剣を持った腕を振り上げた。剣から火が立ち上り、レグは嫌な予感が的中したことを知った。
(憑りつかれたんだっ!)
強い悪霊は、生き物に憑りつくことができる。体を乗っ取るのだ。
「た、助けなきゃ」
しかし、運動神経のいい獣人の体を乗っ取った悪霊である。一人で相手にするなど不可能だ。そう思った瞬間、一気に間合いを詰められた。空気が避ける音がした。
死ぬ――そう直感して、レグは顔を腕で覆った。
しかし、剣が静止した。
戸惑いながら顔を上げる。ロイドの体は相変わらず霧に包まれている。しかし振り上げられたその腕は、ぶるぶると震えながら硬直していた。
「はや……くっ逃げ……ろっ!」
全身震えはじめたロイドの喉から、絞り出すような声がした。
「魔法石持って……クリアしろ……!」
「ロ、ロイド」
「早くっ!」
ロイドが吼え、剣が燃え盛った。レグは迷いを振り払うように駆け出した。
■■
城の中を一心不乱に走る。
ふと、レグは、自分が出口に向かっていないことに気付いた。まるでクリアすることを望んでいないようで、彼は立ち止まった。
近くに怨霊の気配はない。
(これは、試験で……実戦じゃない、から……ロイドが死んだりとか、ないよね……)
そう思おうとしたレグの頭に、スレイの言葉が蘇ってきた。
『試験といえど、死は等しく隣にある』
冷たい言葉が、頭を駆け巡る。もし、あの言葉が本当なら、ロイドはどうなるのだろうか。
彼を助ける方法はある。祓い魔術を使って、悪霊を引き離すのだ。だがあの悪霊を祓うには、レグの魔力では足りない。
(俺があれに勝つのは無理だ。でもロイドから祓うだけなら、魔法石の魔力で補えばできる。……祓ったら、魔法石はただの石になって失格だ)
ロイドも、クリアしろと言っていたのだ。罪悪感を感じる必要はないのだろう。だが――
決められないままでいると、ふっと何かの香りがして、レグは立ち止まった。桜の匂いだ。そちらを見ると、何やら豪華な扉があった。
「ここは……?」
扉を開け、中に入る。
どうやら誰かの私室のようだ。書斎机やベッドなど家具が置いてある。不思議なことに、それら全部が銀で出来ていた。
「銀の部屋……? あっ、早く出ないと……」
踵を返そうとして、また桜の香りがした。それと、近くの壁になにか彫られているのに気付く。レグは部屋の鍵を閉めて、それに近づいた。手でほこりを払う。
『だれも信じるな』そう書かれていた。
レグはぐっと手を握りしめ、扉を振り返った。
■■
ロイドはぼんやりした意識の中にいた。体は自由に動かず、勝手に動く視界を意識が眺めているだけだ。
(俺の体勝手に使いやがって……)
伝わるかと思い罵倒してみるが、怨霊から反応はない。ロイドはムッとした。
怨霊はロイドの体で歩き回っていた。レグを探しているのである。
(はっ、今頃はもうクリアしてるよ。……そうであってくれ)
怨霊はいくつか部屋を見て回っていた。そうして、ある部屋で立ち止まった。扉を開く。
(なんだ? 銀……?)
怨霊が、部屋に足を踏み入れた時――扉の影から、人影と青い光が飛び込んできた。
レグは魔法石をロイドに叩きつけると、魔術を唱えた。青い石が真っ二つに割れて、中から鎖が現れる。それはロイドに絡まり、締め付けた。
耳をつんざくような悲鳴が上がった。黒い霧がロイドから離れ、どこかへ逃げていく。上手く祓えたようだ。
鎖が消え、彼の体から力が抜けた。レグは慌てて、床に倒れかかった体を支えた。
「……はっ! レグ?!」
「よかった! 平気?」
「あ、ああ……俺憑りつかれて……なんだこの部屋……」
辺りを見回し、首をひねる。それから割れた石ころを見て、眉根を寄せた。
「これ……クリアしろって言っただろうが! なんで使ったんだよ!」
レグはかぶりを振った。吹っ切れたように立ち上がる。
「さっき助けてくれただろ」
「それは、その……そんなの気にするんじゃねえよ」
ロイドはばつが悪そうに目を逸らした。人差し指で頬をかく。
「それに、俺はヒーラーだよ。前衛を助けるのが仕事だろ」
「……はあ、しゃあねえな。また来年だ」
「うん。でも、このまま失格なんて癪だ。ロイド、あいつに一発仕返ししてやろうよ」
ロイドは目を見張った
「仕返し?」
「さっき戦ってた時に、あの悪霊の、魔力の心臓の場所分かったんじゃないかと思ってさ。それを壊せば、消滅させられるだろ」
「ああ、まあな。あの鎧に入ってるときは、頭の真ん中にあるようだ。うーん、そりゃ攻撃できればいいが、当然向こうも弱点を分かってる。そう簡単に隙を見せねえよ」
「もしかしたら、隙を作れるかもしれない」
「どうやって?」
「これは、憶測だけど。毒を使うんだ」
「毒? どうして?」
「この部屋だよ」
ロイドは再び部屋を見回した。
「落ち着かねえ部屋だが……どれも銀でできてるのか」
「この城の持ち主は、毒殺を恐れてたんだと思う」
「銀が毒で変色するからか。しかし、食器だけじゃなく家具までとは……病的だな」
レグは頷いた。それから、机に掘られた文字を示す。
「この文字、城の主が彫ったんだよ。暗殺を恐れて、誰も信じてなかったんだ。入口の隣にあった墓石の名前はきっと、廊下の絵画に書いてあった女性と子供。あれが火で燃やされていたから、城の主はおそらく……」
妻子を殺した。レグはみなまで言わず、口を閉じた。
「あの騎士の持ってる剣の紋章、絵画と同じものだったから、怨霊になったのは、城の主の魔力だと思う。怨霊が生前の思考に影響を受けているなら、毒には過剰反応するはずだ。隙を作れるかもしれない」
「なるほどな。怨念になっても銀の鎧を付けるぐらいだし、あり得るな」
「でも、賭けだよ。リスクがあるのは分かってる。このまま時間を稼げば、タイムアップで戻れるはずだ。戦いに行けば、死ぬかもしれない」
「今更そんなこと言うなよ。さっき怨霊を祓った時点で、やるって決めてたんだろ。俺も一緒にやるさ。
それで、レグは毒持ってるのか? 俺は持ってないぞ」
「いや、持ってない」
「ええ?! 持ってなかったら意味ないぜ!」
「大丈夫、考えがあるんだ」
■■
騎士が廊下を歩いている。何を追うでもなく、いつもの作業のように淡々と進む。
近くの部屋に潜んだレグは銃を構えていた。潜んだ扉の隙間から銃口を出し、狙いを定める。
敵が扉の前を横切る瞬間、レグは発砲した。
騎士のすぐ近くにあった花瓶がバリンッと割れた。中から液体が噴き出し、騎士に降りかかる。途端に、鎧が真っ黒に染まった。ぎょっとしたように動きが止まり、鎧の頭部から黒い霧が漏れ出す。
「ロイド!」
「ああ!」
言うが早いか、張り付いていた天井からロイドが飛び降りた。同時に繰り出した一撃は、鎧の右肩を切りつけた。レグは気を逸らすために騎士に発砲し続ける。着地したロイドに、騎士が攻撃を繰り出した。だが、軸がぶれたような鈍い斬撃だった。
「憑りつくんじゃなかったな! 全部見切ってんだよ!!」
ロイドはばねのように飛んで全てをかわすと、腕に力を込めて突撃した。
ドンッ、と一直線に剣が頭部を貫いた。
刃の突き出た後頭部から、黒い霧が勢いよく吹き出す。鎧が力を失って床に落ちた。破裂するような音がして、粉々に砕け散る。
黒い霧があたりに漂い、力なく薄くなっていった。
■■
少し前――
銀の部屋で、レグはロイドに言った。
「毒はない。でも、毒じゃなくていいんだ。銀は確かに、毒に反応して黒ずむ。でも実際は、毒の中の硫黄に反応してるだけで毒と関係ないんだよ。だから、変色させて毒だと誤解させればいい」
「硫黄か……」
「入口にいたトカゲと戦った時、硫黄の独特なにおいがした。試してみなきゃ分からないけど、トカゲの吐く唾液を使えば、変色させられるかもしれない」
「よし、やってみよう。しかし、騎士と鉢合わせせずに行けるか? 俺がおとりになろうか」
「大丈夫。騎士はそこまで来ないよ」
「どうして?」
「探索した時に気付いたんだけど、荒れた部屋と綺麗なままの部屋があるんだ。荒れた部屋は、金目の物は奪われてた。でもこの部屋や、聖堂、書庫とかは全部残ったままだ。そこに盗人が入っても、騎士と遭遇して殺されてたんだと思う。廊下の荒れ具合と、部屋の配置で、騎士の通るルートは予想可できる。もちろん、全部調べたわけじゃないから正確じゃないけど……」
「なるほど。暗殺を恐れて伯爵が引きこもってて、怨霊が生前の影響を受けているなら、決まった部屋にしか行かないのはあり得るかもな。
……あー、だからこの部屋に奴が来るってわかったのか。それで待ち伏せてたんだな」
レグは頷いた。
■■
黒い霧がすっかり霧散した。何かがコロンと落ちて、レグの足元に転がってきた。
拾い上げると、まばゆいほどの青い光を放っていた。
「魔法石……?!」
「おめでとう」
背後から声がして、レグは振り向いた。
視界に入ってきた風景は、城の中ではなかった。どこまでも続く空と、足元に広がる水面。静止した雲と、そして、水面にたたずむローブの男。あるものはそれだけだった。
「スレイさん?!」
「一次試験突破だ。よかったな」
「え?! あっ、ロイドは?!」
「別の空間でもうクリアしたよ。こっちにいたのは、幻術で私が作り出した幻覚だ。とはいえ、ほぼ本物クオリティと言って過言ではないな」
自画自賛しながら、スレイはうんうんと頷いている。なぜか大変機嫌がよさそうだ。
レグは付いていけずに顔をしかめた。まあ、よく分からないが、自分は試験をクリアして、ロイドは無事らしい、と思った。
体から力が抜け、へなへなと座り込む。
「合格、したんですか……いやちょっと聞きたいことが多すぎて……」
「遠慮することはない、何でも聞きたまえよ」
「ええっと、それじゃあまず、なんで幻術でロイドをわざわざ?」
「条件を同じにするためだ。君の課題は、冒険者になった私が初めて行ったダンジョンだ。私はいろいろなギルドを渡り歩いてたから、ざっと200年ほど前のことだ」
「200年?!」
レグが素っ頓狂な声を出すと、声を上げて魔導士は笑った。
「初老と偽っていたが、実は老老なのさ。魔法石の魔力で体を保っているんだ」
とん、と杖で地面を突き、スレイは言った。杖にはめ込まれた魔法石のヒビは、ずいぶん大きくなっていた。
「もしかして、追憶の塔って名前は、今までのダンジョンを再現したからですか?」
「そうだ。今回の試練は全部、私が過去に突破したダンジョンを再現した。ま、ヒントは追加したがね。
私はただ、見たかったんだよ。……昔あの場所で、君と同じように、私の仲間は怨霊に憑りつかれた。私は仲間を殺した。私は助けなかった。仲間は死に、悪霊は強力な魔法石を残して消えた。仲間と引き換えに、膨大な魔力を手に入れたんだ」
スレイは杖を見つめた。
「それが、間違った判断だとは思っていない。ギルドに所属している間、私は沢山の任務を達成し貢献したからな。だが――ただね、別の答えを見てみたかった。
だからこの舞台を用意したんだ。そして君は、見事に示した。最後に、君の選択を見られてよかった」
「最後……? まさか、魔法石の魔力が尽きたら……」
レグの問いに、スレイは頷いた。
「S級の枠が開くな。立候補してみたらどうだ?」
「え?! いや俺には……」
「はは、冗談だ」
スレイはクククと肩を震わせた。
「これは最後の魔術だった。もう私は世界から消える。今日は……いやもうずっと前からだな。たくさんの若い可能性を見た。俺の頃とは違う選択を見た。俺のような奴はもういないんだろうと、安心している……」
スレイは顔を上げた。杖を一振りする。
「すまないな、年を取ると独り言が長くなるんだ。
レグホーン、後ろの扉から外に出られる。胸を張って2次試験に進め」
レグは後ろを振り返った。いつの間にか扉が出現していた。
それっきりスレイは何も言わなかった。レグは戸惑いながら、扉に手を掛けた。それからふとスレイに向き直る。
「あ、あの、一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「桜の香り……あれもヒントですか?」
「……いや。何の話だ?」
「そうですか……いえ、あれだけ直接に誘導するような感じだったので……なんでもないです」
レグは扉に向き直り、先に進むために扉を開いた。中から真っ白い光が差し込んで、彼を包んだ。
――扉が閉まった。水面に波紋が広がる。
静寂の中に、ぱきん、と乾いた音がして、2つの魔法石が割れた。落ちて、ただのガラス玉のように砕ける。杖がきらきらと輝いて消え、空っぽになった手をスレイはそっと握り締めた。
ふわりと桜の香りがして、スレイは顔を上げた。懐かしい香りだ。
「今日は、そうかあの日か。向こうからわざわざ罵倒しに来たのか?」
呟きに返答はない。ただ優しい香りが漂っているだけ。
「迎えに来たんだと、思っていいのか」
背景に溶けるように彼の体は薄くなって、やがて消えた。
■■
扉の先は、会場に続いていた。すでに塔はなく、フィールドはぽっかりと空いていた。
祭壇の上には、ギルドマスター一人だけがいた。マスターが手を掲げると、一次試験終了の鐘が鳴った。中央の大きな水晶玉に、合格者の名前が浮かび上がる。レグは自分とロイドの名前があることに息を吐いた。
死者はおらず、怪我した冒険者も塔から出たら治ったらしい。あの言葉はやはり脅しだったようだ。
レグは安堵して、控室に戻った。
2次試験まではまだ1時間ほどある。あれが幻術とは分かっているが、ロイドに会って無事を確認したかった。
控室の中を見て回ると、ロイドはベンチに座って休んでいた。
「ロイド!」
「レグ」
ロイドはのろのろと顔を上げた。どこか顔色が悪いように見え、レグは眉根を寄せた。
「体調悪いのか? ヒールかけようか?」
「……いや、いい。健康だ。ただ気が重いっていうか精神的にちょっとな。あーほら、あの一次試験のダンジョンがな」
「一体どんなダンジョンだったんだよ……医療室で少し休ませてもらったら? 霧が出たら困るし……」
「霧……? まあ、そうする。2次試験まで時間があるしな」
レグはロイドを医務室まで連れて行った。始まったら呼びに来るよ、と言い残し、会場に戻る。
2次試験はトーナメント制だ。前衛ポジション、後衛ポジションに分かれる。参加者同士がライバルだ。みんな少し緊張した面持ちで、それぞれ練習をしていた。
休憩時間という事で、観客席も空いている。外の屋台は大盛況に違いない。
レグも持ち物を確認し、二次試験の準備を始める。
そんな会場に、半乱狂の男が飛び込んできた。全身に汗をかきながら取り乱している。
「大変だ!!大変だ!!」
なんだなんだと冒険者たちが男の周りに集まって、落ち着く様に言った。男は首をちぎれそうなほど振って、叫んだ。
「サイクロプスがこっちに! 大群で押し寄せてきてる!!」