第1話『全ての始まり・未来の源泉』
「ふぅ……」
私は電話を切ってから、深くため息を吐いた。
だんだん慣れてきたとは言え、普段使わないような敬語のおかげで精神力が極端に削られる。
まぁ、それも仕事上仕方ないんだけど。
私の仕事は【カーネーション】を売ることだ。
1本5000円もする私の【カーネーション】には、もちろん秘密がある。
麻薬。
まだ見つかってないから、薬の方が良いのかもしれないけど。
どっちにしても、見つかれば確実に麻薬に分類されるだろう薬が、【カーネーション】の茎の中に仕込まれているのだ。
その薬自体が見つかっていなくて麻薬にも分類されていない今は、それを売るのを犯罪と呼ぶのは難しいだろう。
それに、見つかったとしても、薬事法違反で課せられる罰金が精一杯だと思う。
合法とも非合法とも言えないこの【カーネーション】が見つかっていないのは、それを売っているのが私だけだからというのが大きいだろう。
逃げ道はいくつも用意しているし、切り札もある。
だから私は、この2年間捕まったことはなかった。
そして、それはこれからも変わらない。
2年前。
私がまだ高校生になって間もない5月。
科学探求部という変な名前の部活に所属していた私は、その中で花の配合を行っていた。
そのとき、私はこの麻薬の作り方を知ったのだ。
偶然という言葉が当てはまる。……そんな発見だった。
どの花を配合させたのか、なんていう液体を使ったのかは企業秘密ってことで伏せるけど、たまたま出来たものだった。
「珍しいのが出来たじゃないか」
よくやったな、と言って笑いながら私の頭を撫でてくれたその先輩が、最初の犠牲者だった。
その真っ赤になった花を持ち上げて、眺めたり、香りを楽しんでいた。
そのとき。
「……ぅ……ぁ……っ!? ……うあぁぁぁあぁぁっ!?」
小さく呻いたと思うと、次の瞬間に叫び声をあげた。
そのまま倒れて、床の上を叫びながらのたうちまわる。
このときは休日で、部室にいたのは私と先輩だけ。
私は、ただ混乱するしかなかった。
何が起こったのかわからなくて、ただおろおろとしながら歩き回った。
どれくらいそんなことが続いたのか分からない。
私が気付くと、教室は静けさを取り戻していて、先輩は気を失っていた。
そのおかげかは分からないけど、落ち着きを取り戻していた私は、先輩の手に握られている花の存在に気付いた。
真っ赤な、思わず血を連想してしまうような色をした、そんな花。
その花の香りを嗅いだ先輩が、おかしくなってしまったのだ。
それはつまり。
「……私の、せい……?」
ズキンッ。
胸が苦しい。
「私が作った花のせいで、先輩は……」
ズキンッ。
息が荒くなっていくのが自分でも分かるほどだ。
「私が……せん……ぱいを……」
ズキンッ。
胸を押さえながら後ずさる。
ズキンッ。
この場所から逃げ出すように。
ズキンッ。
現実から目を背けるように。
ズキンッ。
その後、先輩はすぐに目を覚ましけど、忘れちゃってた。
その日、何が起きたのか。
今までに何があったのか。
私のことも、自分のことも。
何も、覚えていなかった。
すべて、忘れちゃってた。
私はそれからすぐに救急車を呼んで、先輩を病院に運んでもらって、色々な検査をしてもらったけど、原因不明の記憶喪失なのだということだけ、告げられた。
私が花のことを言っても取り合ってもらえず、先輩はそのまま入院した。
花のことを誰に話しても無駄だった。
そんなことがあるはずがない、と一蹴されるか、お前のせいじゃない、と勝手に同情されて慰められるかのどちらかだった。
医者も警察も探偵も、学校のみんなや先輩の家族も。
誰も真剣に聞いてくれなかった。
誰もアテになんて出来ないのだから、自分でやるしかないのだ、と。
自分で調べて、先輩を治すのだ、と。
そう思った。
先輩を治すために手段を選ばないことを決めた。
先輩を助けるための最短距離を進むことを決めた。
だから私は、【カーネーション】を作って売り始めた。
そして、それを使った人の様子を観察しながら、少しずつ改良していった。
そのおかげで、最初の頃とは違って一回ですべてを忘れる人はいなくなった。
それどころか、今では一週間単位で消せる記憶の幅を調節できるようになった。
そして、消した記憶を戻す方法も、少しずつだけど分かってきている。
もうすぐだ。
もうすぐ先輩の記憶を取り戻せる。
そうしたらきっと、今まで犠牲にしてきた人の記憶もちゃんと治すから。
だからね、先輩。
全部がちゃんと終わったら、私のこと、許してくれる?
また、いつもみたいに笑ってくれる?
今までみたいにほめてくれる?
私は先輩が好きだった。
だから先輩に戻ってきてほしい。
それがワガママなのは分かってるつもりだ。
だけど、それはおかしいことなの?
好きな人と一緒にいたいと思うのは、そんなに変なことかな?
私はそうは思わない。
だから私は、今までこの仕事を続けてこれたのだから。
悪いことは忘れてしまえばいい。
そんな考えを持った人を犠牲にしてこれたのだから。
あと少し……。
もうすぐ先輩を治すことが出来る。
だから、私は捕まったりはしない。
せめて、先輩を治すまでは……。
時計を見ると、もうすでに夜の11時を過ぎていた。
そろそろ寝よう。
明日も仕事があるのだから。