第二部1話『彼の事故・振り返る事実』
あの交通事故から二ヶ月がたった。
あのあと、救急車で病院に運び込まれた俺は、なんとか一命を取り留めた。
しかし、トラックに轢かれて五体満足、という都合の良い結果にはならなかった。
別に、四肢のどれかがちぎれたとかそういうことではなく、医者から告げられたのは、下半身の麻痺――それはつまり、一生の車椅子生活の宣告だ。
リハビリをしても治る見込みは無いということだった。
もちろん、それに対して絶望しないほど楽観的でもポジティブでもない。
それでも実際のところ、トラックに轢かれて生きているというだけでも奇跡と言えるのは分かるつもりだし、彼女に俺の死というモノを背負わせなかったことに、安堵があったのも確かだった。
しかし、彼女はそうは思わなかったらしい。
自分が悪いんだ、自分が俺をこんな風にした、と自分を責めた――らしい。
最初の頃は、俺の前では気丈に笑って見せていたから――あまりにも当然のように、養ってあげる、なんてことを冗談混じりに言って笑い、今までと変わらないように接していたから、俺はその彼女の異変に気付くのが、遅れてしまった。
もちろんそれは、彼女の異変に気づけなかった自分に対する言い訳ではあるが。
いや、言い訳でしかないんだけど。
だけど、俺が気づいたのは、その笑顔も少しずつ無くなっていった頃だった。
この思いに気づいたのは――いや、気付かされたのは、そんなに前のことではない。
だけどそれは、ただ気付いていなかっただけで、大分前から抱いていたらしい。
もちろん、ずっと大切な人だとは思っていたけど、それもただ友達の――親友のそれだと、そう思っていた。
ただ、それだけのこと。
幸せそうに笑う、彼女の笑顔が好きだった。
拗ねたようにいじける彼女を、かわいいと思った。
悲しそうに歪む泣き顔は、見たくないと思った。
ころころと変わる表情は、見ているだけで楽しかった。
率直でも気遣いを忘れない彼女に憧れた。
人懐っこい性格に――そうしてほとんどの人に好かれる彼女に、少しだけ、嫉妬した。
そうしている内に、惹かれていたのだと、そう思う。
色々あったけど、それに気づいて、後押しされて――想いを、伝えた。
断られると思ったそれは、だけど受け入れられて。
そうして今の関係に――恋人という関係に、落ち着いた。
あの日、寝坊してしまった俺は、目覚まし時計を見て、頭が真っ白になった。
待ち合わせ時間をとっくに過ぎた時刻を指すそれを眺め、信じたくない気持ちに後押しされ、携帯電話を開いて――呆然としてしまった。
そこに表示されていたのは、すごい数の着信履歴とメールの受信履歴。
そのすべてが待ち合わせ相手である彼女からだった。
急いで電話を掛けて謝り倒しながら準備をしていた俺は、ちょっとした罰を宣言されたあと、天気も悪いから、今日は出かけるの止めよう、と言われて初めてその天気に――結構すごい雨が降っていることに、気づいた。
そうして電話を切られて――だけど俺は家を飛び出すように出て、待ち合わせ場所に急いだ。
嫌な予感がした、なんて訳ではない。
ただ、彼女に直接会って謝りたかった。
そうじゃないと、自分が納得できなかった。
走って向かっている途中で見つけた彼女の姿に――近づいて、声をかけようとして――ようやく、気付いた。
薄暗い中を、光が――彼女を照らし出していることを。
俯いていた彼女が、ようやく状況を知ったらしいことを。
頭が理解するよりも早く、体が動いてくれたらしい。
そのまま速度を上げ、彼女を道路の隅へと、突き飛ばしていた。
そうして、気が付けば病院のベッドの上だった。
ただ、それだけのこと。
聞かされた話でしか分からないけど、どうやら一命を取り留めたことと、彼女も無傷とは言えないものの、軽い擦り傷や打撲、捻挫といった怪我ですんだということ、そして――俺はこの先、走ることはおろか、歩くことも出来ないだろう、ということだった。
今にして思えば、あの時から彼女の心は少しずつ壊れ始めていたのかもしれないと、そう思う。
あの時は気づけなかったけれど、結果が出た今は想像することが出来る。
そして、結果が出た今になってようやく――思い知った。
俺は彼女を助けることが出来ていなかったことを。
体は守れても、心を護れていなかったことを。
目の前に――ずっと傍にいながら、こうなる前に気付くこともなく、だからこそ救うことも出来なかったことを。
そして、後悔しながら――思い出した。
前に聞いた――噂話を。
人の記憶を消すことが出来るという薬――【カーネーション】の存在を。
そしてそのときに知ることの出来た、唯一の売人の電話番号を、自分の携帯電話に登録していたことを……。