2cm感覚
「先輩!まだ入っちゃダメですか!?」
扉の向こうから田中の甲高い声が聞こえる。なぜ集合時間より2時間も前に来たのか理解し難い。私の計画はこの女のおかげで水の泡になりかけている。
「そろそろ入れてくれませんか?」
入れる訳がないのだ。2時間前だ。この女はとうとう時計も読めなくなってしまったのだろうか。少し頭の悪いところがあるように思えたが、私が感じるより遥かに重症のようだ。
「散らかってても気にしないんで!」
この女は何も分かっていないようだ。逆だ。真逆だ。私は今、玄関マットから窓まで。この家の隅から隅まで散らかしているのだ。
それは果てしなく。広大であり偉大。先人達が築き上げた規則に乗っ取り行われる。
「あ、鍵開いてるじゃん。」
私、一生の不覚であった。ロブスターの散歩から帰宅した際に施錠し忘れたのだろう。
総作業時間5時間半。残り30分で完成。1時間で片付け、田中と山田、そして佐藤を招き入れる予定だった。しかし予定より2時間も早く田中が押し掛けて来たのだ。田中を恨まず、誰を恨めというのか。
「もう入りますよー!」
ドアノブを回す音が聞こえた。閉め切った家の中に、外の冷たい風が勢いよく入り込む。そしてすぐ、私の思いを打ち砕くように「カタン」という音が家中に鳴り響いた。それはとても小さな音のはずだった。
終わってしまった。いや、始まったと言うべきだろうか。スタートもゴールも当初の予定とは全く違うものになってしまった。だが、やはり美しい。猛烈な速さで崩れ去るその姿は私の求めた理想そのものだった。
全てが崩壊するまで、田中は静かにそれを見つめていた。自分の犯した罪をようやく認識したのだろう。私の家でこんな事が行われていようとは想像もしていなかったはずだ。
田中は、再び訪れた静寂を破りこう言った。
「先輩またドミノですか」