蟻
何てザマだろう…
そうして私はまた君を置き去りにする
「こんにちは」
「あぁ、君のルームメイトはそこに…」
始まりなんてものは印象に薄く、勉強に追われるだけで精一杯の私には視界にも入りえなかった
特にどこにでもいるような平凡な面をした彼には
ルームメイトなんてのは無理矢理人との繋がりを作るだけのもので私にはとても目障りなものだった
新しいルームメイトはやたら私に話しかけてくる。
普通といえば普通で特にこれといった特徴もない平凡な男
「毎朝コーヒー飲むんだ……苦くない」
「目が覚める」
「でもいつも残すよね。何で」
どうだっていいだろう。どうしてそこまで知りたがるのか
「記憶にはないね。きっと習慣みたいなものなんだよ」
「でもやっぱりその分無駄だよ。」
私は彼の小さい目を見る。人の話しを聞く時は目を見る。常識だ。
彼は続ける
「そうやって残された人間のごみが自然に流れ着くんだ。お前にエコ精神はないのか」
久しぶりに青く暖かいこんな朝くらい気持ちの良いものにしてほしい
ただでさえ暑苦しい思考の彼に頭を痛める朝を迎えてからもうどれくらいたつんだろう
私はカップに入った少しのコーヒーに目を落としながら言った
「今度からは気をつけるよ」
そういう答えも何時ものこと、私の気持ちは言葉に乗せられることはなく、空気の中へと溶けていった
彼も予感はしていたんだと思う。相変わらず困ったような諦めたような複雑な顔をしている
私もそうなるとわかっていた。それもいつも通りだから
私はいつからだったかその彼の目を避けることを覚えた
どこがどう嫌と言われれば返答に迷う
でもきっと彼の暗い暗いあの瞳が嫌だったんだと思う
全てを飲み込んで夢に引きずり落とすような瞳が
見たくなかったんだ
彼の目に映った、くだらない悪夢にうなされる子供のような自分の顔を
知りたくなかった
夢を見ることを覚えた時の快感ともとらえがたい難しい心境を
だからエスケープ
お前なんか知らない
ルームメイトでさえなかったらお前は虫同様だ
お前は新しい人間のくせをして周りに馴染みすぎた。私にはお前らの見分けなんかつかない
だから虫。当然だ
「おい見てくれこれ」
虫が人間同様巧みに話しかけてきた
避けても避けても奴らはいくらでもいる
どこから湧いてでたのか
壁のわずかな隙間からでも湧いてでたのだろうか
「何」
この虫は潰すべきなのか
「俺生物でA+取ったんだーお前は」
虫だもん当然といえば当然か…
「…A」A+の虫は小さな瞳で巧みに笑った
ルームメイトだ
毎朝私に不快な説教を食らわすあのルームメイトだ
まさか彼に気がつかないなんて
いくら虫だといってもこれにはショックを受けるしかなかった
「俺の勝ちー。A+だもんねー」私の心境など知るよしもないルームメイトは誇らしげな笑顔と共に飛んでいった
ふと私は思う
彼の目はあんなに明るかっただろうか
あんなにも光を吸収していただろうか
どこまでも深い光があったなんて
今の今まで私は彼の非凡なその瞳を知らなかった。何でだろう
いつだって目を見ていたのに
彼の目の中の私はいつだって…
悲しい夢の中にいた
私が彼の深い瞳を避けるのを覚えてからか、私には自分の危険を守ることしか頭に入らずに、彼の異常なほどの変化を見てとることは出来なかった
一番近くにいたのに
変わることは、恐い
こうやって思いにふけるだけでも刻々と自分が変わっていってるのがわかるから
でも彼の変わり様はどうだ
特別明るい光を持った今の彼の瞳は
私は今日も彼の光に起こされる
外は雨
気分は青く暖かい
コーヒーもいらない
春の陽射しもいらない
今は曇り空に隠れた明るい光より
その光より明るく柔らかい彼の瞳さえあれば
私はまた授業も委員会もいくらでも掛け持ちできる気がした
私は何よりも春のような明るい光が欲しかったらしい
春の光は全ての生きものを優しく起こす
だから私には必要なのだ
誰よりも働きものの私には
無駄に休むことなんて許されないのだ
「最近何か明るくなったね」
ルームメイトが言った
「おかげさまで」
彼は笑った。きっと意味はわかっていないだろう
でもそんなことはどうだっていい
私には君の光があればいいから
何もかもを吸収して何よりも明るく光る君の瞳が羨ましいと思う
彼の瞳にはどこまでも続く光があった
でもそこに映るはずの私は深い光のもやに消されていた
あぁ―やっぱり
私は気づくのが遅すぎた
同じ時はもう一度となく、彼も変わっていった
私はそれをひたすら恐れていた
だからコーヒーを全て飲むことさえできなったかったんだ
同じことでもその一瞬一瞬は全て違ったのにね
時間は変わり果て、君にとって私は興味の対象ではなくなった
私が君を虫と言っていた時と同様君には私がちっぽけな蟻に見えるんだろう
きっと今の君には私と他人の見分けはつかないんだろう
ルームメイトであるということだけが唯一の繋がり
それはそれでいい
私はどこへ行っても君を見つけだすだろう
働き蟻の私には帰る場所がある
目をつむっていたって君の光を探せる
君はただ待っていればいい
私は卵の世話をして、餌を捜し、子供に餌を与える為に帰って来る
君の光だけが頼り
そうしているうちに
君は飽きるだろう
退屈な巣の中の生活に
そしたら
光を消せばいい
君は自由だ
私の期待にも答える必要はなくなる
都合のいい話しだろう
「明かり消すよ」
夜―夢はまだ見ない
悪夢も見ない
「ん」
暗い暗いもやの中―何も見えない
目が慣れないせいだ
「話しがあるんだけど」
働き蟻が言うんだ
「明日からひとつ上の寮行くから」
置き去りにされるのは趣味じゃない
「飛び級」
働きものを舐めないでくれ
ここまで読んで頂いて光栄です。ありがとうごさいました。
他の方々の小説も是非読んで下さい。きっと素敵な時間になると思います。ではまたいつか会ったら