表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

バレンタインチロル

作者: 結原華凜

■チロル1


ラブホテルの一室の前に立つ。僕は深呼吸した。レイナに、緊張しているのを気づかれたかもしれない。

扉を開けてレイナを中に入れる。彼女は丁寧にコートから腕を抜き、やさしく持ち上げてハンガーにかける。レイナは何でも丁寧に扱う。不思議に、とろいわけじゃなく、てきぱきこなすからむしろ早いくらいだ。クラスのやつらは、シャツから透ける下着の色とか、胸の大きさとか香水で、レイナを大人っぽいと言う。だけど、母親みたいな大人っぽさもあるんだな、これが。まぁいい。レイナのこういう魅力を知るのには、やつらは幼すぎるのだ。

普段どおりの落ち着いた動きは、僕を遠ざける。さっき言ってた言葉がウソじゃなければレイナも初めてのはずだけど、慣れてる感じが。そんなこともできないの、あなた下手ね、ぎこちないじゃない、そんなセリフが浮かんで怖くなった。

そんな、緊張だか怯えだか、を悟られたくなくて、レイナが振り返った瞬間、僕は彼女を引き寄せた。彼女は僕の背に手をまわすこともせず、硬直している。しまった、ちょうど心臓の音が聞こえるのかもしれない。心の中で、嘲笑しているのだろうか。もういい、開き直って、腕に力をかける。ぎゅっ、と体が密着する。レイナの鼓動が伝わってくる。意外なことに、むちゃくちゃ早い。なんだ、やっぱり緊張してたんだ。ずっと無言だったのも落ち着いて見えたのもこういうことだったんだ、と安心し、彼女の頭をかき抱くようにする。すると固まっていた体が動き出し、ようやく背中に手がまわる。僕の心臓も早鐘を打っていたけれど、だんだんペースダウンしてきて、かわりに、胸になにか温かいものが広がっていくような気がしていた。不思議な満足感で、たぶん僕は笑顔だろう。少しだけ冷静になったら、なんでもできるような気分になって、キスをしようと思いつく。頭と肩をゆっくり離していくと、レイナは、マラソンでもしてきたみたいに真っ赤な顔をしていた。たまらず笑いだすと、

「な、によ。どうして笑うのよぉ。」

高い、若干うわずった声だった。どうだ、あの大人なレイナが、今、僕の腕の中でこんなになっている。


 キスをするとそこからは早かった。僕もレイナも、ほとんど何も考えないで欲望のままに動いた。さっきまで扉の前で制服のまま抱き合っていたのに、気づいたら裸で二人、シーツに包まっている。記憶があまりなくて、覚えていることといえば、のけぞった首筋の白さと、耳にかかる熱い息と、真っ赤なペディキュアくらいだ。そうそう、制服は、キスをしながら、ベッドに向かいながら、絡み合いながら、お互いに脱がせ合っていたと思ったけれど、僕のはともかく、レイナのは、シャツもスカートも簡単にたたまれてベッドの側に置いてあった。こっちはキスだけで手いっぱいだったのに、あいつはそんなこともしていたのか。てかやっぱ、レイナだなぁ。

 レイナは仰向けになって、息を弾ませながら、ありがと、とだけ呟いた。なにが、と訊くと、間があって、よかった、と。まあな、と言いたいところだったけど、そこで得意げなところを見せたらかっこわるい、と我慢。

「いま何時?」

レイナ、ずっと天井を見つめっぱなしだ。

「あと二時間くらいは大丈夫。」

「それなら、単純計算であと二回はできるね。」

えっ、と驚く間もなく、レイナは僕の上に跨った。そしていきなり、足の間に顔をうずめる。そこまでさせちゃマズイだろ、とは思ったが、何せその動きも速かったから、止められなかった。なんて、言い訳かもな。僕は正直、未知の快感に溺れてもみたかった。そしてそれは、想像を超えるものだった。やわらかく赤い舌が妙に扇情的。時折、口を離し、どう、と問いかけるように挑戦的に見つめられる。本当ならそこで逆に押し倒したかったが、そのときの僕はすっかりレイナにやられていた。そして完全にペースを握られる。最後までレイナの下、与えられる快感に身をゆだねるだけだった。敗北感。だけど確かに気持ちよかったし、奇妙な優越感も得ていた。自分だけが見ることを許された、レイナの姿。可哀相に、レイナ、お前は観られないんだな。凶暴で、やわらかく、そしておそろしいほど美しい、景色。


 結局そのあとにも一回、全部で三回もした。レイナの体が心配だったのだが、痛みは全くなかったらしい。そして僕も彼女も、非常に満足していた。

 駅で別れて、帰りの電車をホームで待つ。一人になると、途端に疲れと空腹が襲ってきた。あ、と思い出し、かばんの中を探る。カラフルな塊はすぐに見つかった。レイナにもらった、チロルチヨコ。透明なビニールに三十個くらい、ハッピーバレンタイン、と素っ気無く渡された。変なやつ。照れてそっけないってのは、今なら分かる。だけどチロルじゃなくても……。背に腹は代えられないので、いくつか取ってポケットに突っ込む。今すぐにでも食べたいのに、いやに丁寧に包装を剥く自分がそこにいた。そして気づく。あぁ、僕はレイナに惚れている、と。




■チロル2

 抱きしめられると、心臓の音が聞こえた。あたしだけじゃない、こいつも恋してるみたいになってる。ふふふ、やっぱりね。愛してくれとは言わないから、お願い、一回だけ。こんな言葉だったと思うけど。ふっふっふ。もうすぐ、心まで手に入る、かも。

 ところで、今あたしの鞄には二種類のチョコレートが入ってる。バレンタインだもの。ひとつは、ゴディバ。おいしいし貰ったら嬉しいだろうけど、ありきたりだし、記憶には残らなさそうな高級ショコラ。終わって、確かに一回でいいや、って思ったらこっちを渡す。もうひとつは、チロルチョコ三十五個の詰め合わせ。いやいや、バレンタインは値段じゃないから、愛だから。それにね、何種類も入ってるんだから嬉しいでしょ。チロルって個包装なのよ、だから剥くのに時間がかかるわけ。だからきっと、食べ終わるまでにかかる時間、つまりあたしに想いを馳せる時間、はゴディバよりずっと長いはずよね。だからこっちは、またシタイな、って思ったら渡す。ちなみにね、買ったのは四十個なんだ。ほら、あたしも味見はしておかないと、えへ。バレンタインって、女の子にとっては大変頭を使う行事なのですよ。

 キスをすると、彼の舌は熱かった。ずっと上を向いてるもんだから首はかなり疲れたんだけど、それでもいいやって思えるくらい、素敵だった。彼がそうするようにあたしも頭を抱え込みたかったんだけど、全然届かない。しょうがないからシャツのボタンを外してく。あたしの欲しかった肌が出てくると思ったら、中にTシャツなんか着てるからおあずけになった。これを脱がすためには唇を離さなきゃいけないじゃない。あたしだって寒いの我慢して、今日はキャミソール着てくるのやめたのに。脱がしあいながら、いつ、彼の唇が首筋に降りてくるかなぁと思って待ってた。だけどなっかなか来ないのよね。どうも、かがむのがイヤみたい。あたしの背がもうちょっと高かったらなー。まあいいや、ベッドに着いてからで。

 最初は様子見。雑誌に書いてあった通りにぬかりなく。マグロにはならず、バレバレの声もいらない、そうそう、終わってから見たときに彼が幻滅しちゃうから、服もたたむ。ちょっと笑い出しそうになった。だって、キスしながらシャツ拾い上げて、たたんで、また下に置くの。やつはもう余裕がないみたいで、まるっきり気づかないし。

 願っていたものが目の前にある。首の薄い皮膚の下、なめらかに動くのどぼとけ。形のいい耳、その横から短く刈られた髪、首筋に繋がるその曲線が、全くもう、狂いそうになるくらいに甘美。一度、こうして触れたかったんだ。広い肩とか長い腕とか、すっと、だけど適度に骨っぽい指。ひょっとしたら、あたしは彼を食べつくしてしまうかも。撫でたり舐めたりじゃ、足りないの。完全にあたしのものにしたいんだ。だから食べちゃいたい。

恋ってビョーキだっていうでしょ、今、実感してる。

 でも、悲しいことに、きっと彼のほうはそうではないのよね。結局、たぶん今でもあたしの片想いだし。今ここにいるのは、お情けなのか、その場の雰囲気に圧されてなのか、あたしの迫り方がよっぽど怖かったのか定かではないけれど、彼は恋焦がれてはいないはず。分かっちゃうんだ。だってあたし、誰よりも彼を見てるもの。彼に特別に好きな人がいないだけよかったかな。

 思ってた以上に相性が良く、もうそろそろ、ダメかもしれないとあたしが思ったとき、彼は小さい声で、愛してる、と呟いた。息の混ざった、本当に小さな声だったけど、耳元だったからはっきり聞こえた。今までのどんなときよりも、男っぽくて、色っぽくて、体内に響いた。思い出したくなかったけど、雑誌の文が浮かんだ。最中のそういった言葉はほとんど反射的なもので、覚えてない。面倒な女だなんて思われるのは絶対に避けたいから、聞かなかったことにしておこう。でも嬉しい。こいつも心のどこかではそう感じてるってことだもん。あたしと同じくらいに照れやさんなんだもーん、うはぁ、ありがと。

 終わってすぐ、や、最中もだったけど、彼はあたしの体の心配をしてくれた。大丈夫だって言ってるのに、何回も聞かれた。そしてその度、やっぱりこいつはこうでなきゃ、って、笑顔になる。知ってるよ。なんだかんだ言ってるけど、あんた結局やさしいんだよね。


 途中から、あたしは何かに憑かれていたみたいだ。理性、というものを奪われて、彼曰く獣のようだと。そう言いながら顔赤くして微笑んでいたから、かなり満足していたみたいだけどね。結果オーライかな。あなたが幸せならあたしも幸せっ、みたいなね。あ、でも、いくつかはしっかり脳に焼きついてるの。望んだとおりに腰骨がごつごつしてて、うあぁ、ヤバイ今あたしの目、輝いてるよーって思ったのとか、彼の目が細められて、あたしが嬉しくなってじーっと見てたら急にしっかり目が開いて、すっごく幸せそうに笑ったのとか。大事に大事に、あたしの脳のジュエリーボックスにしまっておこう。


 ところで、今あたしの鞄にはゴディバのチョコレートが入ってる。でもねぇ、これ、あんまり好きじゃないホワイトチョコなのよねぇ。あたしはね、苦くて濃厚なのが好きなの。お酒とか生クリームが入ってるのも好き。だからってこのチョコ食べないわけじゃないよ。おうちに着いたら、あたしも、彼のこと考えながら食べるんだ。バレンタインって、悪くないね。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ