第5話
●平井城、出陣!
評定から十四日後・・・
いよいよ、出陣の日である。
憲政は、虚ろな表情で馬に乗り平井城に帰ってきた。
「殿!お久しぶりです!」
「殿!」
と、下士たちが掛け寄るも・・・
「うっ!!臭っっ!!!」
全員が後ずさりするほどの臭気であった。
身なりもどこかの落ち武者かと思えるほど、汚らしくみすぼらしい姿である。
十四日間、ずっと風呂に入っていない・・・だけでない独特の臭いだ。
今の憲政を見て、誰が関東管領だと思おうか。
城内ではすぐに、”憲政がひどい臭気を放っている”ことが火のように伝わり、我先にと憲政の臭いを嗅ぎに来たが、誰もが八尺以内に近づこうとはしなかった。
武将や兵士の間では、
「この臭気では敵兵も近づけぬ!さすが太田殿の知略だ!」
と、恰好の談笑のネタとなっていた。
平井城に戻り、早速憲政は出陣の準備を始めた。
下士たちが、せき込みながら、
「殿、まずは湯殿に入りお召し物を新しくしてから、甲冑でございますね。」
と、一応確認をとったが仰天する答えが返ってきた。
「いや、このまま甲冑を付けてくれ。」
「かしこまりました、では湯殿に・・・って、え?」
一瞬の沈黙の後、すぐに甲冑装備の準備に取り掛かった。
甲冑を装備し、外に出ると既に400の軍勢の準備は整っていた。
最終確認をしている太田資正が、そこにいた。
「おお、殿!準備は整いましたか。
今回は、私が副将を務めましょうぞ!」
資正だけは、この臭気に慣れているようで、いつもと変わらない。
「殿、手はず通り、出陣後に我が屋敷に寄りまするぞ。
よし、出陣だ!
ほら貝を・・・鳴らすほどの人数ではないな。」
●沼田城 評定
沼田家の当主でもある沼田城主は、沼田顕泰である。
突然、慌ただしい足音が城内に響いた。
「急報!急報!上杉軍と長野軍が、我が沼田城に向けて進軍したと物見より連絡が入りました!」
「何!?軍勢の数は?」
「総大将は、上杉憲政!軍勢は400!他、長野業正が3000を率いています!」
「ふむ、すぐに家臣を集めよ!」
一刻程で、家臣が集まった。
「長尾は、元山内上杉の家臣であったな。」
「はっ。左様でございます。
当主の憲政は、戦下手で家臣全員に愛想をつかされた凡将・・・いや、それ以下の愚将です。
最近は、かの太田資正が家臣になったようですが、400では話になりません。」
「長野業正は、厄介じゃな・・・」
「確かに厄介ではございますが、長野は援軍です。
戦は総大将を討てば、そこまででございます。
ここは一気に、野戦で決着をつけるべきかと。」
「ふむ・・・3400と正面からでは、不利だのう。」
「沼田は山間、夜襲で一気に片付けましょうぞ!」
「よし、長尾よ。それでは、1700の兵を与える。
上杉憲政の首をとってまいれ!」
「はっ!承知いたしました!」
●上杉軍、道中
「夜襲が来るでしょうなあ。」
沼田城まで、あと三里のところで資正が突然口を開いた。
「私だったら、夜襲をかけます。
沼田は劣勢、相手の総大将は、わずか400人の軍勢。
総大将の首を獲ってくれと、言わんばかりの状況です。」
憲政は青ざめた表情で固まった。
「して、いかにする?
・・・ああ!足にまとわりつくな!!
未だに好きにはなれぬぞ。これは・・・。」
「殿、沼田の戦が終わるころには、共に寝所に入りたいと思うほど愛しい存在になっていまするぞ。
私なんぞ・・・」
「もうよい!その話は・・・
して、いかにするのじゃ。」
資正は、懐から上野の地図を取り出した。
「現在地は、こちらでございます。
長野の軍勢との合流場所がここ。
今夜中に合流を果たし、明日の朝より沼田に進軍する手はずとなっております。
これは、常道ですので、沼田軍も存じておりましょう。」
「ふむ、だとしたら真夜中に夜討ちを仕掛けてくるであろうか。」
「その通りです。
長野は恐らく、夜襲を判っていながら、こちらに忠告に来ません。
我ら上杉が先陣のため、沼田により近い場所に陣所を張ります。
その状況を逆に利用しましょう。
つまり・・・」
「・・・・なるほど。
相、分かった。たしかにそれならば、約定に相違はない。」
●沼田城攻略戦、前夜
長野業正は、日が沈みかけ薄暗くなる頃に着陣した。
「今夜はここで休み、明日は朝から進軍だの。
おそらく夜襲が来るじゃろう。
準備を怠るな!」
「はっ!かしこまりました!」
「それと・・・夜襲を受けた場合、絶対に後ろに下がるな。
そして、上杉殿の陣を下がらせるな。
前方の圧力に対応できる布陣にしておくのじゃ。
諸将に伝えよ!」
業正は、上杉軍の陣所を眺めた。
「もう、寝とるのか・・・。篝火ひとつも焚いていないのう・・・
まあ、明日は早い。
戦にとって、絶好の体調こそが肝心よの。」
夜襲を受けるためには、篝火を消し、休んでいるように見せなければならない。
「そこの者、諸将に出来る限り早めに準備をさせ、篝火を消すように伝えよ!」
「はっ!」
こうして、両陣営の火は消され、夜は深まるのだった。
●沼田軍、夜襲!
「伝令!申し上げます!沼田軍の夜襲です!」
ついに来たか!と業正は思った。
長かった、このまま憲政は討たれ、沼田軍を壊滅させ、沼田城を陥落させる。
これで北条も、長野家の上野一国支配を認めるほかないだろう。
北条に手土産が増えるのう。と思い、ほくそ笑んだ。
「殿!上杉殿の陣が、沼田軍に踏み込まれています!」
「まだ動くな!敵襲をしっかり見極めねば、同士討ちになるぞ!
少数の敵襲のかく乱ではないか、物見に状況を確認させろ!」
「かしこまりました!」
しばらく経ち、上杉の陣と夜襲部隊の状況がおかしいことに気が付いた。
物音は聞こえるが、人の声が一切聞こえない。
合戦では刀で切られた時の断末魔など、特に夜襲が成功した場合は大きな声が聞こえるものだ。
「・・・どうした?何があった?」
「未だ、物見より報告はございません!」
「何をしておる、早く状況を確認せぬか!」
業正は、上杉陣の異変に一抹の不安を感じていた。
「伝令!申し上げます!沼田軍がわが軍に、向かってきます!」
早い。
少ないと言っても400人、なで斬りにするには、もっと時間がかかるはずだ。
「伝令!上杉の陣所は、人ひとり居なかったようです!」
「なっ!なんじゃと!!!
すぐに応戦準備をし、迎撃じゃ!
準備はしてあるのだ、打ち逃すでないぞ!」
上杉軍が、夜に忽然と消えた。
一体、どこに消えたのだ・・・。
業正の頭の中には、上野すべての地形、道が頭に入っている。
「ま・・・まさかっ!あり得ぬ!
この道を通って、長野軍より先に沼田城に着くことは、あり得ぬ!
しかし、その方法しか考えられないのだ。」
●山中行軍
「走れ!もっと早く!全力で走れ!」
資正は、何度も兵に声を掛けた。
憲政は、もう走れないとばかりに、その場に座り込んだ。
「殿!あ奴らをご覧ください!あれだけ走っても、走り足りない顔をしておりますぞ!」
「あれは、人では無いではないか!
はあ・・・はあ・・・馬!馬使おう!」
「このような山道、馬など走れましょうか!
人の足で、走るしかござりません!
長野が先に沼田城に着いたとあっては、約定違反です。
城攻めの先陣は、我が上杉軍でなくてはなりません。
今後も、毎朝あ奴らと走ってくだされ!
体に良いですぞ!」
「今頃、長野の陣はどうなっていようか。」
「ご安心ください!
長野は、夜襲を見抜いているはずです。
夜襲は備えをされた場合、相手は壊滅的な打撃を受けます。
槍を構えている所に、己から突っ込むようなものです。
まあ、長野が負けていたら、我が軍は挟撃され殲滅ですが・・・。」
憲政は背筋が凍った。
とにかく今は、夜明けまでに沼田城にたどり着くほかない。
※注釈(実際には、約42キロの距離がある。
フルマラソンと同様の距離と考えると、一晩で駆け抜けられない距離ではない。)
「さあ、無駄話はここまでですぞ!走りましょう!
我々が最後尾!巻き返しますぞ!」
●沼田城攻略戦
薄明、日の出少し前の空がやや光の拡散を始めたころ、上杉軍は沼田城の目前に到着した。
「ふむ、予想通りですな。」
「予想・・・どおり・・・とは・・・?」
憲政は、もう動けないと言わんばかりに大の字になっていた。
「沼田城の南は備えが厚いですが、北はかなり薄いです。
恐らく、敵が南から来ることを予想した布陣です。」
「そうか・・・それは何よりじゃ・・・後は頼むぞ・・・」
「殿!ご安心くだされ!思いのほか早くつきましたので、一刻程は休憩できますぞ!
さあ、水でもお飲みくだされ!」
「しかし、兵糧は三日分とは思い切った量じゃの。」
「走るには邪魔ですからな。
何、勝てば沼田城の兵糧が有りますゆえ・・・」
「兵たちも、よくぞ付いてきたものじゃ。」
「400人ではございますが、先の戦の生き残りと考えれば、精鋭中の精鋭!
健脚ばかりでござりましたな!」
そんな掛け合いをしているうちに、さらに夜空に日の光が入ってきた。
「体を冷やしてはなりません。さあ、攻めかかりましょうぞ!」
「長野の援軍は、待たずとも良いのか!?」
「今、長野は相当・・・憤慨しているでしょうなあ。
すぐに殺されますぞ。
到着前に、大勢を決しておきましょう。
敵兵は300人程度、こちらの兵力だけでも急襲が成功すれば、本丸までは攻め入ることが出来ましょう。
沼田を手に入れるには、殿が戦功第一になるほかございません。
でなければ、長野に城を奪われます。」
「相分かった!者ども、参るぞ!後ろを見るな!
前の敵のみに集中し、本丸を目指せ!」
「ははっ!」
●変わって沼田城内
沼田顕泰はまだ、眠っていた。
夜襲が失敗するなど、露ほどにも思っていなかった。
「伝令!伝令!敵の急襲です!沼田城北より、敵兵多数!」
「北!?北から敵が来るなどあり得ぬ!何かの間違えではないか!?」
「いえ、確かに敵兵です!
旗印は・・・上杉!上杉軍です!」
おかしい。
仮に夜襲が失敗したとしても、この時間に到着するはずはない。
早くても昼頃だ。
一体、何が起こったのか理解が出来なかった。
「南の城兵を北に回せ!」
「伝令!敵の勢いを抑え込めませぬ!」
●沼田城城門前、上杉軍
「ひるむな!敵兵が少ない今が好機ぞ!」
憲政は、何度も声を出し、兵を鼓舞した。
「あと、出来ることは、力で押すのみですな。
何としても長野が来るまでに、大勢を決しなければなりません。」
資正が弓を射ながら、憲政に言った。
「伝令!城門、突破しました!」
「よし!進め!次は二の丸の城門ぞ!」
憲政は、すぐに兵に指示を出した。
上杉軍は、足が棒のようになってはいたが、命をかけた勝負の最中。
誰もが気付かず、迅速に城内を駆け回っていた。
二の丸の城門を突破し、占拠。
本丸の城門に差し掛かったころ、長野軍が到着した。
●長野軍、沼田城に到着
長野軍は、ようやく沼田城に到着した。
沼田の長尾率いる夜襲部隊を軽く蹴散らし、態勢を整え直し、進軍した。
結果的に、沼田のほぼ全軍を、長野軍が引き受けたことになった。
「主力は北側に回り込み、小幡の1000は南の敵を足止めしろ!」
「はっ!かしこまりました!」
「それと・・・馬廻り隊を呼べ!」
馬廻り隊は、すぐに業正の前に集まった。
「お呼びでございますか!業正様!」
「うむ・・・者どもに密命がある。近こう寄れ・・・」
「・・・殿!本気でございますか!?
まずは、上杉の旗を奪うのですね!」
「しっ!声がでかい!
よいか、上杉軍は400人だ。
おそらく憲政も先頭で指揮を執って、乱戦の中に居るいるはずだ。
その中に、上杉の旗を背負い近づき、小さな懐刀を忍ばせ刺せば、誰が下手人かは判らぬじゃろう。」
「はっ!かしこまりました!
それでは、早速まいります!」
●もうひとつの援軍
「憲政様!敵軍の抵抗が強くなってまいりました!」
どこかの兵が、憲政に言った。
確かに抵抗が強くなってきている。
「殿、いよいよ長野軍が到着しましたぞ。」
資正が近寄り、耳元でつぶやいた。
憲政は、一気に恐怖で体が硬くなった。
「ご安心なされませ!あ奴らがおります。
殿は、前のみを見ていれば良いのです。
兵の力を1点に集め、本丸を陥落させることだけをお考えくだされ。
私ではなく、殿が自ら城を落とさねば上杉は今後も蔑まされたままですぞ!」
兵士が1人、憲政の前に駆け込んできた。
「伝令!本丸の城門、まもなく突破します!」
「相分かった、突入の準備をせよ!
あと一歩じゃ!
恩賞は、はずむぞ!
平井城に帰って、全員で祝杯をあげようぞ!」
「おおーーーーー!」
400人の兵たちは、一斉に鬨の声をあげた。
城門が開いた瞬間、100人ほどの敵兵が一気になだれ込んできた。
「急襲!敵兵多し!敵兵・・・」
途中で兵が討たれたようだ。
「狙うは憲政の首ぞ!おおおーー!!!」
100人の敵兵が奇襲をかけた状況では、さすがの上杉軍もすぐに対応は出来なかった。
もう、憲政のすぐ目の前まで、敵兵が近づいてきている。
1人、また1人と兵が討たれ、敵兵との距離が近くなる。
憲政が足を後ろに引いたその時、
「引いてはなりません!憲政様!」
資正は大声で呼びかけた。
見れば、刀を持って敵兵と応戦している。
「今引いては、背後が危のうございます!」
その通りだ、前だけに進むしかない。
前に進んだ先に、今まで自分がつかめなかった”何か”があるはずだ。
ここで引いては、過去の自分に逆戻りだ。
もうあの頃のどうしようもなく、ふがいない自分には戻りたくない。
憲政は、自らの過去を払しょくするかのように足を踏ん張り、刀を抜き前方の敵兵を見据えた。
いよいよ、敵兵が憲政の前までやってきた。
上杉軍の兵士が必死に引きはがすが、勢いは抑えられない。
長野の馬廻り隊が扮した、偽上杉軍も今を逃す手はない。
「殿!ご無事でしょうか!」
と、偽上杉軍が憲政に近づいた瞬間・・・
「ワン!ワン!ワン!」
突然犬がどこからか現れ、偽上杉軍に噛みついた。
「そやつは間者じゃ!犬が攻撃したものは、すべて討ちとれい!」
素早く資正が大声で指示を出した。
犬たちは、前面の敵兵にも飛びかかった。
突然、足や手などをかまれ狼狽した敵兵たちは総崩れとなり、すべて上杉兵に打ち取られた。
そう、憲政はこの犬たちと十四日間暮らしていたのだ。
餌をやり、共に遊び、共に寝た。
出陣前、憲政は資正にひとつの小さな笛を渡された。
「殿、これは刀より大事なものでございます。
殿に危機が迫るであろう時に、一度だけお使いください。
ただし、一度だけです。
ご自身のお命が危ない時のみ、お使いください。
あ奴らが殿を守ってくれます。」
間一髪だったが、犬たちが憲政の命を守ってくれたのだ。
資正は、上杉軍400人分の鎧に人ではわからない特殊な臭いのする素材を染み込ませていた。
また、その中でも憲政とすぐにわかるように、十四日間犬たちが慣れ親しみ、臭いのしみ込んだ服を甲冑の下に着させたのだ。
「伝令!沼田城主、沼田顕泰!我が上杉軍に、降伏しました!」
「わあああ!おおおお!」
上杉軍の兵たちから、歓声が沸き上がった。
資正が、刀を納めながらそばに寄ってきた。
「殿・・・ようやりました。
どこの誰の目から見ても、今回の戦功第一は殿でございます。
沼田城は、殿の城にございます!
さあ、勝鬨をあげなされ!」
「えっと・・・こんな感じで良いのか?」
憲政は、右腕を空に挙げた。
「おおおおおーーーーー!」
兵たちの大きな声が上がった。
(そうか、この人は勝ったことが無いんだった・・・
ましてや前回は、家臣も居なかったな)
「殿、このようにやればよいのです。」
資正は小声で、兵に悟られぬように憲政に伝えた。
「よし!皆の衆!よくやってくれた!
えい、えい、おー!」
「おーーーー!!!!」
沼田城は、わずか400人とは思えない歓声で埋め尽くされたのだった。