第3話
1551年8月 小田原城
「上杉憲政様、友好のため7日後に到着するとの書状が届いております。」
氏康は、ため息をついた。
初めて面会した4月から、ひと月に1度は小田原に来る。
その度に、もてなしの宴会でたらふく酒を飲み、1晩泊まっては上野に帰る。
往路復路も入れると、1週間の日程だ。
一体憲政は、いつ政務をしているのか。
北条には、旧上杉家臣が多い。
諸将が小田原に評定で集まった日に重なった時など、
「息災かの?もう、嫁御は貰ったのか?」
と、気さくに旧家臣に声を掛けていた。
旧臣たちは氏康に、
「あれは、たまりませぬ。
攻めろと言われても、あれだけ顔を見てしまうと、攻められませぬぞ。」
と、直訴するほどであった。
8月のある日、憲政は氏康に面会を求めた。
「前に約束した援軍だが、そろそろお願いしても、よろしいじゃろうか?」
「相分かった。しかしながら、わが北条家も各所に抑えを配置しておる都合上、2000の兵しか出せぬのじゃ。」
氏康は、気が向かない様子で答えた。
「それだけ援軍をいただければ上々でござる。
至急、平井城に戻り準備いたしますので、十日後に出兵の手はずをお願いいたす。」
憲政はお構いなしに、万弁の笑みで頭を下げた。
憲政が北条家に通ったのには、もうひとつ大きな理由があった。
北条家の外交状況を把握するためだ。
宴席で酔った重臣の一人が、口を滑らせた。
今のところ婚姻関係はなく、他家と長期間の同盟も無いようだ。
岩付城攻略戦
岩付城の太田資正は、元扇谷上杉家の家臣である。
主家が滅亡したことで独立し、北条家とも何度か戦をしたが、ことごとく退け、岩付の地に独立勢力として君臨していた。
「岩付城、1500に対して我が上杉が全軍集めて・・・1000か。」
憲政はため息をつきながら、自ら兵の陣分けをしていた。
北条の援軍をもってしても、数が足りない。
おそらく籠城戦になるだろう。
その場合、約3倍の4500は欲しいところだ。
「金蔵を開き浪人を雇い入れよ!金に糸目はつけん!」
憲政は、一世一代の大勝負に出ようとしていた。
関東中に名門上杉家が浪人を募集しているとうわさが流れ、その報酬の良さからすぐに人が集まった。
「して、何人あつまったかの?」
「追加で600ほど集まり申した。」
600人でも、居ないよりは良い。貴重な戦力だ。
「憲政様!急報です。岩付城ですが、2000に兵が増えております。」
正面から攻めると6000は必要な計算となる。
対して、1600+北条軍2000、3600。
まずは、野戦に引きずり込む他ない。
ほら貝を吹き、上杉全軍が平井城を出陣した。
忍城を過ぎたころ、物見から
「この先の武蔵鴻巣付近で、太田資正が布陣しております!兵数は2000!」
と急報が入った。
1600の兵で2000を相手にするには、分が悪い。
「よし、我が隊は迂回しよう。先に北条の援軍と接触するように行軍速度を下げよ!」
いよいよ、北条軍と太田軍が激突した。
上杉援軍の北条軍を率いるは、名将・多目元忠だ。
太田軍の決死の突撃に、多目軍は総崩れとなり退却した。
だが効果は絶大で、太田軍の残兵力は500程となった。
これなら、憲政にも勝機はある。
野戦で勝ち目がないと悟ったのか、太田軍は籠城戦を選択した。
「全軍、総攻撃!向かう者は、すべて応戦せよ。逃げる者にはかまうな!上杉の存亡は、この一戦にかかっておるぞ!
矢を射れ!休むな!あと一歩だ!恩賞は思うがままぞ!」
憲政は、この日のために考えに考え抜いた鼓舞の言葉を大声で叫んだ。
上杉軍1600に対し、太田軍は500である。
圧倒的に思えるが、指揮官の能力を考慮すると危ない戦だ。
現に上杉軍は、太田軍の倍以上の損害が出ている。
「さすがは名将太田資正だ。」
憲政は小さくつぶやき、自らの武将としての力の無さを痛感した。
「全軍よく聞け!これが太田軍の最後の抵抗ぞ!
最後こそ、一番大きな抵抗があるだろう。
気を引き締めてかかれ!」
旗を見るに、太田資正ほか3名の武将が兵を率いている。
憲政は太田資正が全軍を率いているわけではなく、胸をなでおろした。
各個撃破であれば、まだ勝機はある。
挟撃は受けるが、落ち着いて各個撃破に徹すれば問題ない。
「弓隊!落ち着いて狙いを定めよ!」
遠距離攻撃を駆使し、何とか二の丸の3部隊を敗走させ、最後の敵、太田資正の部隊を残すのみとなった。
本丸の城門前に到着すると、ひとりの鎧武者が仁王立ちで見下ろしていた。
「我が名は太田資正!上杉殿のお手並み、しかと拝見させていただく!」
大声で口上を終えると、一斉に城門の攻防戦が開始された。
上杉軍560対太田軍130。
4倍の兵力ではあるが、上杉軍の兵の減りが早い。
憲政は、あまりの自軍の被害の多さに一瞬貧血気味となったが、何とか踏みとどまり兵を鼓舞した。
「あと、もう一歩じゃ!ひるむな!我らの・・・上杉の明日のために、踏ん張るのじゃ!」
上杉軍決死の突撃により、太田資正の岩付城は陥落した。
憲政、生涯で初めての勝ち戦となった。
「殿、太田資正はじめ武将3名を捕らえました。
いかがいたしましょうか。」
憲政は、そりゃもう家臣にしたい・・・と、のどまで声が出かかったが、
「どれ、案内せい。」
と、冷静を装い下士に命令した。
本丸に入ると、縄に繋がれひざまずいた4人の武将が目に入った。
「お久しゅうござりますな、上杉様。
川越の夜戦以来でござるな。
昔と違い、随分と強くなられた。」
資正が顔をあげ、憲政を見つめた。
「資正よ・・・。あの頃は、この憲政に慢心があった。
戦は数があれば勝てると思っていた。
どこからでも頼られれば、応じるべきが関東管領かと思っていた。
家臣の諫言を一切聞かず、やりたい放題だった。
ひとりになってみて、ようやくわかったのじゃ。
戦に勝たなくては、家臣、人々、他家からも蔑んだ眼で見られることを。
・・・誰からも、相手にされぬことを。
すまなかった。そちの主君である、扇谷上杉殿を死なせてしまって・・・」
憲政は、はばからず涙を流していた。
そんな憲政の顔を見て、資正は覚悟を決めた顔で話を始めた。
「冥途の土産に上杉殿の成長を、一目見れて良かった。
まさか、"あの"上杉殿に攻められるとは、夢にも思いませなんだ。
あの世で、我が扇谷の殿にいい土産話が出来申した。
これで思い残すことなく・・・」
「待て!資正。
上杉はもうひとつある。わが山内上杉家だ。
もう一度、上杉に仕えてもらえんだろうか。
上杉に仁義を立て戦うのであれば、今生きている上杉に力を貸してはくれまいか。
今は無き扇谷上杉のために岩付城で戦うなんぞ・・・死に場所を探しているようにしか思えん。
死に場所ではなく、共に生きる場所を作っていってはくれまいか。
実は今、人手不足でな・・・。」
「古今東西、歴史上、家臣に見捨てられ、たったひとりになったのは上杉殿ぐらいでしょうな!」
「笑うでない、資正!しかし、なぜ知っておる!?」
「武蔵周辺では、噂になっておりまするぞ!
上杉家の家臣は、皆きれいに離散したと・・・。
・・・わかり申した。今後は身命を賭して、山内上杉家にお仕えいたしまする!
良いな!皆の衆!」
「ははっ!」
こうして上杉家は岩付城を手に入れ、太田資正以下3人が新たに家臣となり、ようやく小勢力と呼べる規模となった。
後に天下を平定する大将とその軍師が邂逅した歴史的瞬間であるが、今はまだ誰もその事実を知らない。
所変わり、小田原城
「何!まことか!?上杉が岩付城を陥落させたと!?
誤報ではあるまいか?」
戦目付の報告に、氏康は、あさげの粥を吹き出しそうになった。
「して、太田資正は切腹か?」
「それが・・・太田資正を含む武将4名、上杉家臣になり申した。」
「なんだと!?あの資正が・・・。
至急、内応に応じそうか調査をせい!
あの男は、城・・・いや、一国を任せられるほどの男じゃ。
わが北条に、是非招き入れたい。」
「はっ!かしこまりました。風魔衆に至急調査させます。」
して、太田資正・・・
この氏康が、常陸切り取り次第でも、一国安堵でも動かなかった男。
知行地もない上杉が、どう口説き落としたのだ。
「よもや、上杉は無視できぬな。」
突然現れた幻庵は、氏康の考えを見透かしたように話しかけた。
「とはいっても、未だ小大名。状況は、何も変わっておりませぬ。」
「おぬしの”趣味”とやらで、先々北条が痛い目に合わなければ良いがの。」
幻庵は、遠慮など無しにつぶやき、早々とどこかへ立ち去ってしまった。