第2話
外交状況の確認
弱小勢力が食うか食われるかの戦国時代で生き残るには、富国強兵以上に「外交」が重要である。
そこそこの大勢力でも、 合従連衡で包囲網を形成されてしまっては手も足も出ない。
すべてを味方にしても、すべてを敵にしても、領土と勢力を拡大することはできないのだ。
戦国時代において、誰と組み、誰と戦うかの取捨選択にすべての命運がかかっていたといっても過言ではない。
憲政が生き残るには、外交政策を駆使するほかなかった。
二枚舌、三枚舌と言われようとも、生きる残るための手段は他にはなかった。
ここで、外交状況を確認してみよう。
長尾家、長野家と5年間の同盟がある。
長野家は、武田領と接して箕輪城、国峯城が上杉の平井城の防波堤になっている。
長尾家は、かの長尾景虎(上杉謙信)が当主だが、如何せん本拠地の春日山城は遠い。
迅速な援軍は期待できないだろう。
以上のことから、平井城の北の敵におびえる必要はない。
問題は南、北条家だ。
武蔵をほぼ手中に収めている氏康が、上野を狙っていることは明白だ。
北条全軍をもってすれば、数日で上野は陥落するだろう。
だが、北条も東に佐竹、西に今川、北西には武田と構えている。
おそらくだが、北条が現在上野に向けられる兵力で、上杉と長野の援軍を撃破するのは難しいだろう。
今川、武田、北条と三国同盟なんぞ結ばれ、武田・北条と同時に戦争するとなったら、たまったものではないが・・・
上杉家外交戦略
以上のことから、上杉家が生き残るには、気持ち的には長野の援軍をもって北条と戦いたいところではあるが・・・北条と友好関係を結び、周辺の小勢力を併呑し、力を付けることが当面の目標である。
そして・・・家臣が欲しい。
上杉下士と憲政
「まずは、北条と友好関係を築かなければならぬな。」
小姓は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、目をパチパチしながら、
「当家に武将はおりません・・・。北条への外交となると、それなりに名の通った人物でなければ・・・。また、過去のいさかいもございますれば・・・」
と、視線を左下に落としながら、言いにくそうに答えた。
北条とは、川越夜戦をはじめ、何度も戦をした犬猿の仲である。
「武将・・・であれば、居るではないか。ひとり、この関東管領である上杉憲政が!」
憲政は、笑顔で言い放った。
「殿!おやめくだされ!これぞとばかりに北条に討たれたら、いかがいたします!また、留守の間に何かあったら・・・平井城の指揮をとれる武将は居ません!城兵のみでは戦えませんぞ!仮にも大名が自ら敵地に出向き外交など、聞いたことがありませぬ!」
下士たちは我先にと、憲政に諫言をした。
不思議と昔から上杉家中は、関東管領である憲政がいながら、明るい雰囲気だった。
憲政は夕飯時になると炊事場にやってきて今晩の品を確認したり、共に庭作業をしたりなど、下士たちと共に汗を流し、声を掛けたりしていたのだ。
下士たちも、そういえば、この人は関東管領なんだよな。
と言うような関係だった。
「まあまあ、聞いてくれ!皆の衆!」
憲政は、下士たちを押しのけ、一度黙らせた。
「今、当面の敵は北条のみじゃ。その北条と友好を高めに行くのじゃ!北条が攻めてこない限り、その他の敵(武田)は長野が同盟に基づき撃退する手はずとなっておる。平井城が攻められ、最悪の事態を回避するためじゃ。」
憲政の言葉に下士たちは安心したようで、ようやく下士の協力のもと、北条行きの準備が開始された。
憲政、小田原へ出立
1週間後、準備が整ったので、北条の居城である小田原城に向けて出立した。
「本当に、このお召し物で良かったのですか?これでは、関東管領とは一目でわかりませんぞ。」
下士は、今回で何度目かわからない確認をした。
「よいよい、これで良いのじゃ!」
憲政は、遠出する子供のようにはしゃいでいた。
道中、初めて見る海、鶴岡八幡宮の参拝に、憲政は心躍らせた。
生涯で、海が見れただけでも幸せだと感慨深くたたずみ、しばらく浜辺を動かなかった。
いよいよ、小田原城に到着した。
「でっけえ城だなあ~。」
本丸を見ながら憲政はつい、心の声が出てしまった。
下士が小声で、
「憲政様、外交に来たのですぞ!それも関東管領、上杉家の外交の使者として・・・」
「すまなんだ。ついつい・・・これほどの居城は見たことが無くての。これを陥落するのは難しいのぅ。」
本丸の1室に通される、しばらく待つとふすまが空き、初老の武将が目に入った。
「拙者、北条幻庵と申します。して、上杉家の方々、今回のご用向きは・・・」
憲政は、しばらく考え
「当主、氏康様にお会いしたい。取り次いでいただけませんでしょうか。」
幻庵は、平井城一城で家臣が離反した上杉家が、ついに降伏しに来たと考えた。
みたところ、使者はどこぞの誰とも知らぬ若侍である。
今後の処遇もあるので、当主氏康と直々に話がしたいのだろう。
「かしこまり申した。ただいま取り次いでみます故、今しばらくお待ちくだされ。」
憲政、頭を下げる
再びふすまが空くと、小姓が案内すると申し出た。
案内された先は、豪華絢爛な装飾に彩られた大きな謁見の間であった。
しばらく待つと、上座のふすまが開き、人が入ってくる気配がした。
憲政は同時に、顔を伏せ礼をした。
「面を上げよ。」
広い謁見の間に、低い声が響き渡った。
見上げてみると、そこには顔に傷のある険しい表情の男が座っていた。
大柄ではないが、引き締まった身体で日々鍛錬を積んでいることが伝わる。
この男こそが、北条氏康である。
「して、今回のご用向きは。」
憲政は、その模範的ともゆうべき戦国大名の姿に気を押されかけたが、一度深呼吸をして腹に力を込めた。
「この度は当主氏康様にお目通りが叶い、恐悦至極でございます。本日は、北条家と我ら上杉家で友好関係を結ぶことが出来ればと思い、はるばる小田原まで参りました。過去のことは水に流し、共に手を携えこの時代を乗り切ることが出来ないでしょうか。」
氏康は考えた。
降伏しに来たのではないのか。
たった一城、武将もほぼ離散したと聞く。
そんな弱小大名家と同盟を組むことは、北条家にとって戦略上何の得もない。
すぐにでも長野家を取り込み、平井城を攻めることで上野は手中に収めることが出来る。
「ご用向きは、それだけでござろうか。」
憲政は、手ごたえを感じていなかった。
関東管領として、関東一円に北条包囲網をひき、切り取り次第でと檄文を・・・と言いたいところだが、この男には通用しないだろう。
むしろ、包囲網上等と言いそうな体である。
そもそも、一度川越野戦で連合を打ち破られている。
そんな時、平井城の下士たちの顔を思い出した。
彼らの人生が行く末が、自分の双肩に掛かっている。
ここで、ただ小田原に行ってきました。で帰るわけにはいかない。
「お顔の傷は、川越夜戦で受けたものでしょうか。あの戦は、敵ながらお見事でしたぞ。」
そばに控える北条家臣が、
「無礼であろう!」
と、間髪入れず怒鳴った。
氏康は家臣をなだめ、
「そなたも参陣しておったのか。」
「命からがら逃げかえりました。あれから大変でしたぞ、重臣も多く失いました。ですが、人生勝つことより、負けることから学ぶ事が多いものです。良い人生の糧てとなり申した。」
大して面白みのない話である。
氏康は、早々と切り上げたくなり、最後に名ぐらいは聞いてやろうと思った。
「ところでそなた、名は何という?」
「上杉兵部少輔憲政と申します。」
周りが一気に、ざわついた。
誰がこの若者を、上杉家当主である上杉憲政だと思っただろう。
どこから見ても、経験豊富の重臣が皆無で人材不足の上杉家が、取っ手付けで作法を教え込ませた若侍にしか見えなかったので、幻庵もあえて名を聞かなかったのだ。
ここで、北条としては致命的なミスが生じた。
形骸化してはいるが、関東管領である。
本来であれば、一番地位の高い憲政が上座なのである。
また、北条の今までの一連の作法は、関東管領が相手と考えると、失礼この上ない流れだ。
氏康は、慌てて下座に行こうとしたが、憲政は制止し、
「この度は、我が家臣、及び万民のために、北条氏康様にお願いにあがったのです。今、北条家に攻められたとあっては、当家は滅亡してしまいます。どうか、友好関係を結んでいただけないでしょうか。」
上杉には、すでに下士しかいないはずだ。
いつも書簡で数字でしか見ない城兵、名も把握していない下士、そのためにこの男はここまで頭を下げに来たのか。
氏康は、ため息交じりに、
「関東管領殿直々に、ここまでご足労頂いたことには感謝しております。しかしながら・・・」
憲政は、氏康が言い終わる前に、
「今回は、手土産がございます。」
「この憲政が道半ばで死した場合、関東管領は北条氏康殿にお譲り致す。
これから、たったひとりで戦に出なければなりません。
もし、討ち死にした場合、他家に責められ滅亡した場合は、北条殿が関東管領になってくだされ。こちらに・・・起請文もございます。」
氏康は、起請文を確認しながら言った。
「関東管領の職が手土産とは、聞いたことが無い。」
確認を終えた氏康は、
「よかろう。北条家は、今までの一切を水に流し、上杉と友好関係を結ぼう。
但し、不戦条約で、物資援助や援軍は送らぬ。」
「氏康殿、概ね問題ないが、1度だけ援軍をいただけないだろうか。」
今一度、憲政は深く頭を下げた。
「管領殿!頭をあげてくだされ。して、どちらに出兵を?」
「岩付城、太田資正でござる。あれには、北条殿も手を焼いているご様子。
この憲政が関東の秩序のため、討伐致そう。」
「相分かった。では、1度だけ援軍を出そう。」
「氏康殿、これからも友好のため、小田原を訪れてもよろしゅうござろうか?」
「そ・・・それは、もちろんのこと!いつでも、お越しくだされ。」
北条の目算
謁見後、幻庵は氏康に、
「相模の虎にしては、甘い条件ではないか?」
と、鋭い目つきでささやいた。
「大叔父上殿、北条にとっては最高の条件ですぞ。
これで北条は関東管領を手に入れたと同じです。
関東管領はそれだけで、他国に侵攻する免罪符となります。
第一、一度も戦に勝ったことのない人間が、たったひとりで何が出来るか・・・。
あれだけ有能な重臣に囲まれながらも、大敗を続けた男ですぞ。
戦上手の太田資正相手に、たった一人で挑んで勝てると思いますか?
今回で戦死し、関東管領は北条の物になるかもしれませぬ。
乗り切ったとしても、長野、武田が数年のうちに攻め滅ぼしましょう。
実際長野は、交渉の最終段階で、もうすぐ我らに降る予定ですぞ。」
「もし、しぶとく生き残ったらどうする?
暗殺するべきじゃな。風魔衆に・・・。」
幻庵は、険しい表情で氏康を見つめた。
「いや、まってくれ大叔父上殿。
個人的な趣味になるが、あの関東管領殿がどこまでやれるか、見てみたいのじゃ。
なに、いつでも潰すことは出来る。
面白いではないか。はたからみてるとあの男。
たったひとりで、何がなせようか・・・。」
こうして上杉家は、北条と友好関係を結ぶことに成功した。
この盟約で、上杉は当面生きながらえる見通しがついたのだった。
次回、いよいよ憲政出陣!