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第4話 〈成人の儀〉前夜

 夕食には、いつもどおりの質素な献立が並んだ。脂身の多い竜肉のバラ煮込みは、リアナの嫌いなメニューだった。鼻に皺を寄せて皿を遠ざけようとすると、メナが「こら」と叱った。

「まったく、明日には成人の儀っていう娘のやることじゃないね。先が思いやられるよ」と、首をふりふり言う。


 リアナは「おばさん」と呼んでいるが、メナは、養父のイニがこの隠れ里に流れ着いたころからお世話になっている隣人の女性だった。個人的にイニに恩義を感じているらしく、こうやって彼が不在の間もリアナの面倒を見てくれているのはいいが、なにかと口うるさく、気が合わない。


「いいかげん、料理くらい覚えなさいよ」

 一緒に食卓を囲んでいる、メナの娘、アミが言った。リアより三歳年上で、成人の儀を済ませてからは結婚相手を探しているが、なかなかいい男が見つからないといつもぼやいている。

「アミだっていつも料理しないくせに」バラ煮込みから苦労して野菜だけをよりわけながら、リアナが言い返す。

「あたしはいいのよ。いろいろやることあるんだから、あんたと違って」

「わたしだってやることあるもん。竜舎に行くし……」

「へーえ」


「どっちだって構やしないよ」メナがため息をつく。「明日はどっちが水くみに行ってくれるんだい? いろいろ忙しいお嬢様がたは?」

「ねえそれよりリア、宣誓はどうするのよ? まさかまだライダーになりたいなんて言ってないわよね?」母親の言うことを聞かないそぶりで、アミが煮込みにレモンを絞りながら言う。

おくれは黙ってなさいよ」言い返すと、レモン汁が飛んできた。「あーっ! 目に入った!」

「食べ物で遊ぶんじゃないよ!」と、メナ。


「ケヴァンと結婚しちゃえばいいのよ、子どもみたいなことばっかり言ってないで」

 アミはレモンを持った手をを指示棒のように動かした。

「知ってんのよ、あんたがあのソバカス男を追っかけまわしてんのくらい」

「追っかけまわしてなんかないもん」

「まー、いいんじゃない? あんたの取り柄なんて顔くらいなんだから。結婚してやったら? ライダーの妻になれるわよ」

「ケヴァンは〈乗り手(ライダー)〉じゃなくて単に竜乗りってだけよ。それに、ライダーの妻じゃなくて、わたしはライダーになりたいの!」

「結婚して、とっとと出て行ってくれないと、部屋があかなくて困るわ」肉を口いっぱいにほおばりながら、アミは行儀悪くしゃべり続ける。

「それはあんたも同じだよ」メナが呆れたように口を挟んだ。

「サンナがお産で帰ってくるんだから、来月からはあんたたち、同じ部屋で寝るんだよ」

「ええーっ」二人の娘が同時に叫んだ。

「絶対やだ! こんなやつと」これも、ほぼ同時。


 ♢♦♢


 自室に戻ると、リアナはハニのところから持って帰ってきた荷物を開けた。

 〈成人の儀〉のドレスは、案の定、リアナにまったく似合っていなかった。五色の糸を使って織られた豪勢な布で、黒髪に黒い瞳のアミには良いのだろうが、全体として色素の薄い彼女にはけばけばしすぎる。まあいいや、と思ってドレスをベッドの上に放り投げた。儀式のあとのダンスには興味がないし、服なんてふだんからたいして気にもしていない。そういう態度が、またアミの気に障るのもわかってはいるのだが。


 ドレスの横に自分も倒れこみ、部屋をぼんやりと眺めた。家具はどれも養父が作ってくれたもので、木目の並びなどよく考えられていて、ケイエの大工にも負けない仕上がりだった。持ち物が少ないせいで雑然とした印象はないが、年頃の女性にしては片付いていない。イニは整理整頓が行き届いたタイプなのだが、養女にはそれを強制しないので、自然とこうなってしまった。もっとも、竜の飼育に使う道具だけは別で、専用の行李こうりにきちんと整理して入れていた。


 自分はいま十六歳。明日、〈成人の儀〉を迎えれば、竜族でも人間でも、一人前と見なされる年だ。これから、自分はどうやって生きていくのだろう、と考えてみる。

 イニはこれまで、彼女の進路について口を出したことはなかった。ライダーになりたいという願望についても、「〈成人の儀〉がすんだら考えよう」と言って、むやみに否定することはなかったのだ。メナはそれが不満らしかった。年頃の娘に、かないもしない期待を持たせて残酷だ、というような台詞を口にしたことがある。


 ――でも、イニは嘘をついたりしない。

 ちょっと風変わりなところもあるが、けっしてその場しのぎの作り話や嘘は言わない老人だ。それは養女のリアナが一番よくわかっている。

 「誰かがやれと言ったことではなく、自分がやるべきことをやりなさい」といつも言っている。結婚がいやなわけではないし、いつか素敵な男性を見つけて結婚したいという思いもあるにせよ、リアナには、誰かの妻や母になることは、誰かの庇護の下で生きていくことのようにも思えるのだった。かりにイニが自分の元に戻らず、一人で生きていくことになったとしても、自分のことを自分で決められもしないような人生は嫌だと思った。

「どうしたらいいんだろう……」


 ♢♦♢


 星がちらちらと瞬く、肌寒い夜だった。一着しかないオーバーコートはサイズが小さくなりすぎてしまったので、首から肩までを覆うケープをしっかりと巻きつけなおす。灰色のニットと茶色の革でできたケープは、彼女の持ち物のなかではもっとも上等な品といってよかった。

(でも、そろそろコートを仕立ててもらわないと)

 結局、リアナは外に出ている。


 このままイニが帰ってこなければ、手持ちのお金で冬を越さなければならない。誰か、男の子用のコートのお下がりでも売ってもらえればいいなと彼女は空想した。毛皮の裏打ちがある暖かいもの。首や肩に風あてがついた、ライダー用のコートだったら素敵だろうな。ケヴァンがつけているみたいな穴あきの手袋も。もしそんなコートがあったら、ワンピースなんか着ないで、革のズボンを履いて、よく磨いたぴかぴかの黒いブーツも……。竜に乗って空を駆ける自分の空想が続いていく。

 月が明るいので、カンテラは持ってきていなかった。明日の〈成人の儀〉はいい天気のなかで行われるだろう。田舎の里だからたいした催しはないが、集会所では里長の訓示があって、若衆たちは誓いの言葉を述べる。それから、女衆たちが作ってくれた祭料理を食べて、夜中まで飲んで踊って。成人を迎えた少年少女も、それ以外の里人たちもみな楽しみにしている行事だ。

 リアにとって特に大切なのは、誓いの言葉だった。

 竜族は人間よりもかなり長命だが、成人とされる年齢はほぼ同じで、オンブリアのどの地域でも十六歳とされている。男性なら、ここで自分の職業をあらためて宣言し、生涯にわたっての献身を誓う。女性でも、仕事を持っていれば宣誓してよいが、竜族の貞淑な娘であることを宣言するほうが一般的だ。もっとも、結婚ができるのは、成人の次の繁殖期シーズンからと決まっているので、田舎の娘なら成人の儀を迎えてすぐ婚約することも多い。

 だが、それよりも前に大切な宣言がある。それは、自分が竜族であることの宣言と、そして自分が竜といかなる関係を築けるかの申請だ。

 竜族は子どもをとても大切にするから、たとえ人間との混血であっても、成人の儀で誓いを立てれば正式な竜族として扱われる。そのために、竜族であることの宣言があるのだ。しかし、竜との関係については自己申告だけでは成立しない。自分が〈聞き手(リスナー)〉、〈呼び手(コーラー)〉、〈乗り手(ライダー)〉のいずれに属するのかを、里長とその竜が判断するのだ。

 儀式の場には古竜がいて、新成人たちと対話をする。その際、竜を支配できるほど強い力の持ち主、つまりライダーであるかどうかは、熟練した〈乗り手(ライダー)〉にはすぐにわかる。もっとも、わざわざ竜を用意しなくても、里長には子どもたちがどの階級か、普段の生活のなかでだいたいわかっているらしい。

 リアナには、自分が〈乗り手(ライダー)〉だという、強い確信があった。小さいころから飼育人をしていれば、竜が自分の言いつけに従うかどうかはわかるようになる。

(ぜったいに、まちがいないんだから)

 里長にもぶしつけに訊いたこともある。もっとも、渋い顔をして答えをはぐらかされただけだったが。

(飼育人なら、〈呼び手(コーラー)〉だって悪い階級じゃない。王都には専門職の〈呼び手(コーラー)〉の女の人がたくさんいるっていうし。……もし〈聞き手(リスナー)〉だったら最悪!)

 リアナは顔をしかめた。小さな里のなかではほとんどの住人が〈聞き手(リスナー)〉で、〈呼び手(コーラー)〉のほうがめずらしい。まして、〈乗り手(ライダー)〉とあっては……。この里では里長だけが〈乗り手(ライダー)〉だった。確率で言えば、この里にはもう〈乗り手(ライダー)〉はいないほうが当たり前なのだが、リアナは少女らしい楽観さで、自分の階級を疑っていない。

 

(でも、もし、〈ハートレス〉だったら……)


 知らないうちに考えてしまって、背中が寒くなった。

 竜の心臓を、体内に持たずに生まれたもの――俗に言う〈ハートレス〉だ。その存在は、〈乗り手(ライダー)〉と同じくらい珍しいが、その価値は真逆で、人間との混血よりもずっと差別されてきた。なぜなら、彼らは「竜の声を聴くことさえできない」と言われているからだ。竜の心臓を持たない、ということは、人間と同じ心臓がひとつだけ、という意味で、それはほとんど、人間と同じだから、竜族であって竜族ではないようなものとみなされる。子どもたちにとって、絶対にそうはなりたくない存在だ。里にはいないから、リアナは出会ったことはない。もしかしたら、デーグルモールと同じように、子どもを怖がらせるためのおとぎ話のような存在なのかもしれなかった。

(そんなはずない。ぜったい大丈夫だもん)

 首を大きく振って、足を速めた。

 考え事をしているうちに、里長の家はもう、目の前だった。



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