第1話 〈隠れ里〉の少女
<挿絵>
<本文>
キュルキュル……ガッガッ……ギオーッ、ギオーッ……
朝もやにかすむ〈隠れ里〉に、にぎやかな鳴き声が響いている。
切り立った崖に囲まれるようにして、イトスギのまっすぐな巨木が立ちならんでおり、そのまわりを数羽のセキレイがゆったりと旋回していた。巨木を囲む崖には、よく見ると、ひとの手で穿たれたとみえるような洞窟がそこここに見える。その、ひとつの洞窟から、少女がひょいと顔を出した。
ゆるくカールした茶まじりの金髪にスミレ色の虹彩がめずらしい、なかなかかわいらしい顔だちの少女だ。このあたりの里人がよくしているような、草色のワンピースにエプロン、柔らかな革のブーツといった格好をしている。肩に、大人の手のひらほどの大きさのトカゲのようなものが乗っかっていた。少女が踊るように洞窟から出てくると、風にスカートがふわりと舞った。
「いい風」
頬に当たる風は松葉と秋の匂いがする。「でも、小型竜が騒がしいような」
上空では、小さな生き物の鳴き声と羽音が、いつもより大きく聞こえた。明け方から昼にかけては静かな生き物なのだが、木の上ではなにか異変があるのだろうか。それとも、もっと上空の……
「リアナ!」
洞窟の奥から、少女を呼ぶ声がした。少女の肩がびくりと動き、そーっと背後を振り返った。
「あんたまた、朝から発着場に行くつもりだね!?」
中年女性らしい、よく通る声がするが、姿は見えない。まだ早朝なので、自室で休んでいるか、身づくろいでもしているのだろうと思われた。
「朝からふらふらして、余計なこと、すんじゃないよ。ロッタのところでパンでも買っておいで」
「はーい」
リアナと呼ばれた少女は生返事をして、洞窟を出た。
「おかみに明日のドレスのこと聞くの、忘れるんじゃないよ! あんたのやつなんだから」背後から声が追ってくる。
早朝の冷たい空気が、少女のまるい頬を撫でていく。
洞窟の入口はリアナの背丈より少し大きい程度だが、中は想像するよりも広く、ここで三~五世帯ほどが共に生活している。岩壁の深いくぼみは、それぞれが一軒の家ほどの広さがある。それぞれの世帯をくぎるために、光をよく通す荒織の薄い布がかかって、あちこちに鮮やかな色味を添えていた。今は秋なので、中には近隣の農地で収穫された作物が運び込まれて、洞窟内の倉庫をいっぱいにしているはずだった。
そういった人工の洞窟や大きな岩場のあいだを、岩を削ってできた道や、巨木から伸びる通路がつないでいる。縄の手すりがついているだけの簡素な道は、下を見れば一面が森。大人でも恐れをなしそうな光景だが、里の住人はみな慣れている。リアナはスカートをひるがえしながら軽やかに道を渡り、ところどころにある縄ばしごを器用に上った。肩の上のお供は、喜んで彼女より先をちょろちょろと這いすすんでいく。首まわりが白の羽毛でぼわぼわと膨らんではいるが、見た目はトカゲそのものだ。この国には「まだ尻尾に殻をつけたような」という言いまわしがあるが、まさにその慣用句どおりの幼竜なので、なにはなくとも「グエッ、グエッ」とかわいらしく鳴く。
発着場、と呼ばれている数列の岩棚の上によじ登って、すくっと立つ。人ではなく竜が降りたつための場所なので、手すりもなく、見下ろすと恐ろしいほど高い。とはいえ、高いのは、まったく怖くなかった。どのような階級に属する者であれ、竜の子どもならば高さを怖がることはない、という、なかば自己暗示にも似た訓練のたまものかもしれない。
発着場の上から、里を一望に眺める。
真下に深い森を抱えるようにして、三方の崖の岩場に小屋がいくつも立てられている。森の一番高い部分も村の一部になっていて、やはり縄梯子と板で連結されていた。ツバメの巣のような高所の集落だ。
うっすらと煮炊きの煙が上がっていて、里は目ざめようとしていた。さらに目を上げれば、真北に竜の国の最南端の都市、フロンテラ領ケイエが見える。赤い竜に守護された冶金と工業の中心地だ。山の上から見ると、城塞に囲まれた円形の大きな都市は、まるで地味なガウンに留められた宝石つきブローチのようで、リアナはいつもうっとりと見てしまう。里は国境沿いの山中にあり、地図にはないが、いちおうは竜の国に属していた。
「イニー!」
岩場の真ん中から、名前を呼ぶ。近くの岩棚で休んでいた荷運び竜が、その声にぴくりと首を起こした。敷き藁が数葉、大きな頭からぱらりと落ちる。人や荷物を乗せて岩棚の間を跳躍することができる竜で、もっとも小型のセキレイと比べればかなり大きいが、竜のなかでは中型だ。
「……」
「……」
竜と目が合った。
「……わかってるわよ? でも、もしかして、と思って」
言いわけするようにそう呟くと、竜のほうはくるりと頭をひねって、また寝る姿勢になった。やれやれ、とでも言いたげな仕草だった。
ぴい、と肩口で竜が鳴いた。
「……ルル」
まったく幼竜そのものの鳴き声に、無意識に足を止める。
「……やっぱり、まだ帰ってこないのかぁ」
独り言のようにそう呟くと、幼竜の背中を拳でこすってやった。白い幼竜は黒目がちの目を細めて体をぐいぐい押しつけてきた。
朝の静けさのなか、うっすらと煮炊きの煙が漂ってくるのにリアナは鼻を動かした。
「そろそろパンを買いに行かないと、おばさんに怒られるな」
里で一番大きな岩棚は、それぞれ里に一軒ずつしかないパン屋と小間物屋があるため、一番賑やかな場所と言っていい。小間物屋のほうはまだ閉まっていたが、パン屋はもちろん開いていた。ロッタの店は、間口が広いというだけで他は普通の家と変わらない造りだが、大きめに抜かれた窓から焼きたてのパンの匂いとともに店内を物色する里の女衆が見えている。
「おじさん! 今日のパン、何?」
リアナは店内には入らず、窓の近くに立っていた店主に話しかけた。
「白パンと、くるみとマーシュベリーの入ったライ麦パンがあるよ。どっちにするかい?」
店主のロッタが、指さしながら答えた。小さな集落なので、パンはいつも二種類だけを丁寧に焼いているが、里人のひいき目でみても上等のパンだし、妻が作る惣菜も人気がある。店主はパン屋にしてはなかなか体格がよく、さらにとびきりの男前なので、用もないのに女衆が近くをうろつくとよく囃したてられている。が、当人は女あしらいが苦手で、たいてい妻がうまくさばいているようだ。
「白パンにする」
リアナが持ってきた籠に、ロッタが見た目よりも繊細な手つきでパンをつめてくれる。
「ほらよ。ハムはおまけな」
「わあ、ありがとう」リアナは笑顔で籠をのぞいた。「でも、いいのに、毎日……」
「いいって。あんたの養い親には世話になってるからな」
毎朝、売り物のハムの切れ端やら、自分の家の夕飯の残りやらをおまけしてくれて、毎朝、同じ台詞だ。
「ちょっと変わり者だけど、竜の扱いじゃ里長も一目置いてるくらいだし。薬草にも詳しいしなぁ。ちょっと変わり者だけど」
変わり者変わり者と繰り返されるイニも哀れだが、薬草に詳しいのは事実で、医者も薬草医もいない小集落において親子が歓迎されているゆえんでもあった。職業柄、腰痛になりやすいロッタは、イニの処方する湿布薬がなければ朝も起きられないと苦笑しながら教えてくれたことがある。
「あら、リア!」二人の声が聞こえたのか、奥の戸を開けておかみが出てきた。
「ちょうどよかったよ。あんたの成人の儀のドレスが仕上がってるんだ」
「ほんとに?」リアナは笑顔になった。
「霜が降りてから頼んだから、もう間に合わないかと思ってた。ハニさん忙しいし……」
「アミのお下がりを、サイズ直ししただけだからねぇ。仕事が終わってからやったって、三日もかかりゃしないさ」おかみは軽く肩をすくめる。
「でも、よかった。わたしはお裁縫ぜんぜんダメだし」
「あんたのは『裁縫も』だろ。男の子みたいに竜に夢中になって、朝から晩まで竜舎のなかをうろうろしてさ。……まあいいよ、昼過ぎに取りにおいで。そのころなら手がすくから」
「うん。ありがとう」
パンを並べていた手つきを一瞬止めて、おかみは「イニがいればねえ」と呟く。「あんたにお下がりを着せるなんてことはなかったはずだけど。あれはいい生地だけど、あんたにもっと似合う柄があったとあたしは思うんだよね」
「いないものはしようがないわよ」リアナは肩をすくめる。
「それに成人の儀なんて一日だけのことだし。形がそろえばなんだっていいんでしょ。あんがいイニもそう言うかもよ」
それを聞いたおかみは笑って、パイ生地の端っこで作った子ども用のおやつを持たせてくれた。もう里人も数えるのをやめてしまった何人目かの子どもが、またお腹に入っている。タルトは子どもたちのおやつのおすそ分けだろう。甘くておいしいし、日持ちするタルトはうれしいおまけだった。イニがいれば、お礼に妊婦用特製栄養ドリンクを作ってあげられるのだが。
「うん、いないものは、しょうがない」
もう一度、自分に言い聞かせるようにそう言った。
帰り道の途中で、ふと空が気になったリアナは顔をあげた。縄ばしごをつかむ手を休めて見つめる。朝もやがすっきりと晴れだした東の空に小さく、一匹の竜の影がはっきりと見えた。
「誰か戻ってきたわ!」
パンを持っていることも忘れて、ふたたび勢いよく発着場のほうへ登りだした。
縄ばしごをあがっていると、肩の上からルルが跳ねて、トカゲのように器用に岩を登りだした。ところどころ、危なっかしく前脚をばたつかせているが、リアナは気にせずに登りつづける。慣れていることもあるし、竜は頑丈な生き物なのだ。そう教えてくれた養父がふらりといなくなって、そろそろ半年近くが経とうとしている。決まりに縛られない自由人といえば聞こえはいいが、もはや、気ままな放浪とばかりも言っていられなくなってきた。口の悪い里人のなかには、イニは邪魔になる娘を捨てて出ていったのだなどと言うものもいて、言い返せない自分に歯がゆい思いをすることもあった。
ただ、おかみにはああ言ったが、リアナは自分の成人の儀には養父が帰ってくるのではないかとひそかに期待もしていた。発着場につい足が向いてしまうのは、そのせいだった。
初出:2018年5月9日(カクヨム:『リアナ1 呼ばいあう王冠』)作者:西フロイデ