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08

テトラトル国の令嬢、リリーナ・フレイムミルが住む屋敷はアレクサンドライトの予想をはるかに超え広く優美だった。

貴族街の中心地に位置するその屋敷はまず庭から広く、門から扉までを歩く間、手入れをしつくされ華麗に咲く薔薇や一寸も狂わず均等に立ち並ぶ庭木に圧倒された。

執事にドアを開けて貰い案内された邸内。エントランスの天井の高さとそこにぶら下がっているシャンデリアのきらめきに息をのみ、当たりに飾ってある調度品を自分の巨躯が触れて壊さないかと怯える。物の価値などわからないアレクサンドライトだが、置いてある壺や絵が自分たちにはとても手の出ない金額のものだということだけは理解できた。理解できなくてはおかしいくらいにそこは上等な空気が漂っていた。


「こちらへ。今お茶をご用意しますね」


この邸内にふさわしい足取りで歩くリリーナの後ろを、がちがちに緊張した二人はついて行く。やがて案内されたのは、庭の薔薇を見渡すことの出来るテラスのついた応接間だった。

この応接間も広く、品のいいいかにも高価そうな調度品たちに囲まれており、アレクサンドライトはとてもくつろげねえな、と心の中で呟く。見れば隣にいるティリも額に脂汗を浮かべて何か壊さないかひやひやしている様子だった。

一人優雅な令嬢に席を進められ、二人は部屋の中央に足の低いテーブルとともに置かれているソファに腰かける。汚さないかな、汚したら素直に謝ろう、と小声で会話をしながら柔らかすぎるクッションに体重を預けていると、向かい側に座ったリリーナが二人に向かってゆっくりと頭を下げた。


「改めてお礼を…。本当にありがとうございました」

「い、いえ。私たちは何もしていません。その助け起こしただけで…」

「いいえ、貴方がたが間に入ってく出さったおかげで、取り乱さずにすみました。あの時は…わたくしも冷静ではありませんでしたから」


粛々とした態度の令嬢に、こちらも思わず背筋を正して礼をしてしまう。アレクサンドライトとティリ、体格差のある二人が同時にぺこりと頭を下げたのが面白かったのか、リリーナがくすりと口元に笑みを浮かべる。控えめな、花がほころぶかのような微笑だった。

それでわずかに部屋の空気が和み安定したところに、座ったからか落ち着いたティリが言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。


「ええと、あの…。失礼でなければ、どうしてあんなところにいたのかお聞きしてもいいですか?」


問いかけに、リリーナは拒絶することなく一つ頷いた。彼女のような貴族のご令嬢が、あまり品の良くない花街に一人いたことを疑問に思うのは当然である。リリーナ自身、尋ねられることは想像していたのだろう。

少し目を伏せてからひざ元できゅっと手を握り、リリーナは静かな声で語り出す。


「ロイロット・ウインドマリー様…ウインドマリー辺境伯を探しておりました…」

「…と、言うと、貴女のご婚約者であらせられる…」

「はい。五年前に初めて顔合わせをしまして、それからよく両国を行き来しておりました。…ですが先日からずっとお姿が見えず、ご自宅にも戻られていない様子でしたので心配で」


彼女は伏せていた目を開けて、今度は握りしめている手元を見つめながら告げた。

その姿があまりにも小さく頼りなく見えて、アレクサンドライトは優しい言葉をかけて慰めるべきではないかという考えが一瞬頭を過る。隣に座るティリも同情を寄せたようで、金色の眉がくっと垂れ下がったのを見た。

しかし哀れげにそう語るリリーナの婚約者、ロイロット・ウインドマリーの行動と一言のせいで自分たちが奔走しているのも事実。色々と聞きたいことや確認したいこともある。

彼女に寄せる憐憫の情を一旦抑え、アレクサンドライトはティリと目を合わせて、恐る恐る口を開いた。


「あの、よ…その、辺境伯…さま、のことなんだがよ…」

「失礼ですが…最近行動が目に余ると、ゴードンさんから聞きました。その…私たちは機械工トストの家族で」

「まあ、では貴方たちがアレクサンドライトさまとティリさま?」


すみれ色の目をしばたたかせてこちらの名を呼んだリリーナに、二人は慌てた。ここ最近、自分たちの名を混同させて妙な言いがかりをつけてくる手合いが多すぎる。ここでリリーナが動揺し、騒ぎになってしまったらと考えてしまった。

だが自分たちの焦りをよそに、深窓の令嬢は申し訳なさそうに眉を垂れ下げて、神妙な顔でぺこりと頭を下げる。あれ?と二人が思った瞬間、リリーナは「申し訳ございませんでした」と謝罪した。


「先日はゴードンやエリウットさまが勘違いから貴方たちに失礼なことを…。すべて聞いております」

「あ、え…?」

「その、えーと…」

「アレクサンドライトという名前だけで判断するというあまりにも軽率な行動、貴族として恥ずべきことです。お怒りになられるのもごもっとも…。どんなお言葉も受けるつもりです」


深々と頭を下げ続ける彼女に、アレクサンドライトもティリも困惑する。

そもそも自分たちをロイロットの不貞の相手だと罵ったのは彼女ではないし、ゴードンはともかくエリウットからは謝罪を受けている。リリーナからの誠心誠意の言葉を、二人はどう受け止めていいのか判断がつかなかった。

しかし、その疑惑がいつの間にか貴族街に広がり、トストの仕事に影が指しているのも事実…アレクサンドライトよりも先に返すべき言葉を見つけたらしいティリが、すっと背筋を正してリリーナを見つめた。


「謝罪は、受け入れます。ですが、『時計塔のアレクサンドライト』の話が他の貴族街の方に伝わっているようなんです。何か知りませんか?」

「え…?」


リリーナがぱっと顔を上げてティリを見る。その美しいかんばせには疑問と戸惑いが浮かんでおり、すっと眉間にしわを寄せて彼女は小さく唸った。


「わたくしたちの婚約破棄のことと『時計塔のアレクサンドライト』のことはまだ誰にも漏らすなと、皆にもきつく言い含めておりますが…。もちろん使用人たちにも」

「そう、ですよね…。もし漏れたとするならば誰から、何処からという心当たりはありませんか?」

「ていうかよ、そもそも『時計塔のアレクサンドライト』が女の名前でそれがティリだなんて、誰が言い始めたんだ?」


矢継ぎ早の質問に、リリーナはまごつくことなく深く考え始める。しばらく彼女は首を捻っていたが、やがて難しい顔のまま真っ直ぐに自分たちの顔を見て口を開いた。


「ウインドマリー家の使用人の方たちは皆長く仕えてくださる方たちばかり…。簡単にロイロットさまのことを口外するとは思えません」

「…」

「それから『アレクサンドライト』のことですが…エリウットさまが最初に、どなたからお聞きになったのだと記憶しています」

「弟様が?いったい誰から?」


リリーナはまたしばらく考え、首を横に振る。


「それはお話しになっておりませんでした。わたくしも、深くは聞かなかったもので…」


申し訳ございません、と再び謝罪と頭を下げるリリーナに、アレクサンドライトとティリは再び慌てた。

か弱い外見とは裏腹に、凛としっかりした受け答えをしているが、よく謝る娘だとアレクサンドライトは思った。もしかしたら婚約者の突然の放蕩にショックを受けている故かもしれない。

無意識に謝ってしまう癖になっている―――そう考えると、やはり哀れである。

何とも言えない面持ちでアレクサンドライトは、ゆっくりと頭を上げるリリーナを見つめた。瞬間、にわかに応接室の扉をノックするものがあった。


「リリーナ様。お茶をお持ちしました」

「ああ、ゲルダ。入って」


柔らかく、人の好さげな声がドアの外から響き、やがて入室してきたのはその声をそのまま人の形にしたかのような老年の婦人。ティーワゴンを引いてきた彼女は、にこにこと笑みを浮かべながらアレクサンドライトとティリを見ていた。品がよく動きやすそうな服とエプロンをつけているので、ゲルダと呼ばれたこの女性がメイドだろうということがわかる。

彼女は明らかに主人とは身分の違う自分たちに嫌悪を示すことなく、てきぱきと茶と茶菓子を用意してくれた。


「あ、あの…ありがとうございます。その、お気遣いなく…」

「いえいえ、せっかくのお客様ですからね。どうぞどうぞ、辺境伯様の別荘地でとれたお花のお茶なんですよ、ご堪能ください」

「はあ…」


恐縮するティリの前に置かれたティーカップに、ゲルダはゆっくりと茶を注ぐ。暖かい湯気とともにこぽこぽと流れ落ちる液体は琥珀色…ではない。

その茶の色を見て、アレクサンドライトはぎょっと視覚センサーを点滅させた。


「なんだこりゃ?青いな!」

「ええ、ええ、マロウブルーというお茶なんですよ。この通り、色が少し珍しいんです」

「マロウブルー…名前は聞いたことがあります…」


ティリも驚きに目を見開いて、真っ白なカップの中に漂う鮮やかな青色の茶を見つめていた。

アレクサンドライトはこれは飲めるのかと半信半疑だったが、ティリは注ぎ終わった茶をどうぞと勧められ、「いただきます」とためらいなく口に運ぶ。こくり、と彼女の喉が液体を嚥下するのをじっと見つめた。

途端に、ぱっとティリの顔が明るく染まる。


「あ、美味しい」

「マジか」

「あら良かった!さあ、リリーナ様もどうぞ」

「ええ、いただきます」


途端に和んだ空気の中、リリーナもティリにならって注がれた青い茶を飲む。生クリームをたっぷり使った茶菓子のケーキもじつに可愛らしくで、アレクサンドライトは自分に食事機能がついていないことを恨まずにはいられなかった。

その後穏やかな空気を作り出したゲルダと言うメイドをリリーナが引き留めて、話を聞かせて貰えることになった。こちらの事情を説明しても老メイドは狼狽することなく、むしろ二人に同情する様子さえ見せた。


「まあ、そうでしたか…。あの噂のせいでそんな目に…。それは、御辛かったでしょう」

「ねえゲルダ。この話がウインドマリー家から外に漏れるとしたら、どこかしら?」


問われ、ゲルダは頬に手を当てながら「そうですねえ」と唸る。


「私もこちらで雇われて五年になりますが…。そのような口の軽い使用人はいないかと。ゴードン様も厳しい方ですし」

「五年…、というとリリーナ様の?」


先ほどの会話にも出てきたが、五年前というとロイロットとリリーナの婚約が決まったときだ。

彼女の専属としてフレイムミルからついてきたのだろうかと思ったが、ゲルダは優しく微笑んで「いいえ、違うんですよ」とゆっくり首を横に振る。


「私は職が無くて困っていたところを先代辺境伯様に温情を頂いたのです。先の大戦で片足を無くしてしまいまして…」

「あし、を…?」


アレクサンドライトが思わずゲルダの言葉を復唱すると、老メイドは少しだけ悲しそうに頷いたあと、「失礼」と言って長いスカートをふくらはぎのあたりまでまくり上げる。

厚手の生地の下から覗いたのは、鈍く光りを反射する金属で作られたがっしりとした右足。明らかに生身のものでは無い鋼色に、アレクサンドライトはもちろんティリも息をのむ。

これはウインドマリーの職人街で専門家が作り上げた特製の義足だと、ゲルダは語った。


「ろくな仕事が無い中、先代様は私に足を与え、仕事を与えてくださいました。このご恩は感謝してもしきれないのです」


少しだけ涙が混じった声で静かだが穏やかにそう言ったゲルダは、言葉を失うアレクサンドライトとティリを慰めるように微笑みかけた。そしてリリーナに視線を向けると慈愛に満ちた瞳で言った。


「きっとロイロット様はリリーナ様の言葉を聞いてくれるはずです。だってあの先代様の息子なのですから」


祈るような彼女にしかしリリーナが、優しく笑うだけで何も返さなかったのがアレクサンドライトには印象的であった。

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