06
本来は馬車や車が通る場所であるというのに、ただ立って道を占領しているのは非常識だと言わざるを得ない。
その証拠に彼らの脇を通る人々は、何事かと眉根を寄せて横目でその様子を見ている。野次馬でさえ流石に迷惑を顧みて、道のそばや店先から店主とともに覗いているというありさまだった。
問題の中心人物である老職人は通行人と同じような顔をして口を開いておらず、彼と向かい合っている男たちは酷く神経質な様子で何事か怒鳴っている。野次馬たちは老人が幾度も場所を変えようと言ったが聞き入れられなかった場面を目撃していた。
「おじいちゃん!」
「おい、トスト!どうしたってんだよ!」
アレクサンドライトとティリは、バイクを路肩に停車させて往来をせき止めている真ん中へ飛び込む。唐突に声をかけられて厳しい顔をわずかに緩めた老職人…二人の家族トストは「帰ってきたのか」と呟いたあと、視線をゆっくりとこちらに向けた。
「先に家に戻っていなさい、二人とも。この方たちはどうやら私に話があるようだ」
「で、でも、おじいちゃん…!?」
「いったい何があったんだよ!」
彼が自分たちを騒動から遠ざけようとしているのは明白で、アレクサンドライトはトストの厳しい顔と眼前に立ちふさがる男たちの間で視線を行き来させる。
二人の乱入に目を白黒させた彼らは、やはり上等の衣服を着こみ髪も肌も手入れがされている、上流階級の人間のようだ。人数は五人。年齢は全員中年に差し掛かったくらいだろうが、老年であるトストよりも威厳と迫力は無かった。
アレクサンドライトがトストを守るように前へ出ると、驚いていた男たちは気を取り直したのか、再び顔を歪めて怒鳴るように言った。
「そこをどけ、機械人!私たちはそこのジジイに用があるのだ?」
「そ、その通り!部外者は引っ込んでいてもらおう!さあ、あっちに行け!」
「ああ?部外者じゃねえよ、てめえら、うちの家主様に何の用だ?」
成人男性よりも大きな体格を駆使して男たちに凄んでみせると、彼らはわかりやすくうろたえた。お前が行け、いやお前がとでも言いたげに視線を交わす彼らに、先日の辺境伯の弟君の方が度胸はあったなと苛立ちの外で考える。まごつくばかりの彼らにもうひと睨みくれてやると、怯えた男たちの一人がそれでも胸をはりながら一歩前に進み出てきた。
「貴様は、このジジイと一緒に住んでいるのか?と、言うことはそっちの娘がアレクサンドライト…?」
「ああん?アレクサンドライトは俺の名前だよ。こっちはトストの孫娘、ティリだ」
騒動の真ん中からトストをこっそりと避難させようとしていたティリに視線を向けた男が呼んだ名前に、アレクサンドライトは嫌な予感を抱えながらも「で、お前らは誰だ?」と低く唸る。
ぶしゅうと噴き出た怒りの蒸気とがたがた鳴る歯車の音に男たちは再度怯えたが、何とか気力を振り絞ったらしく挑むように言った。
「我々は貴族街に住む者だ!機械工トストの孫娘が辺境伯様と不埒な関係にあることを抗議しに来た!」
「その通り、噂になっておる!辺境伯ロイロット様は機械工のトストの孫、アレクサンドライトという娘と不貞関係にあると!」
「トストは責任をとって時計塔の管理者を降りて貰いたい!我々貴族街の人間にも関わるな!」
「なんだって!?」
予感が当たったことの動揺を怒りに乗せたアレクサンドライトの声と、見守る職人街のたちの驚きがざわつきになって道路を満たす。最悪の形で広まってしまったことに焦燥を覚えながらも「ここにアレクサンドライトなんて『娘』はいないぜ」と眼光鋭くにじり寄る。
「てめえらが何を聞き間違えてきたのか知らねえが、職人街にいる『アレクサンドライト』は俺一人だ!同じ名前の奴どころか似た名前の奴だって聞いたことないぜ!なあ!」
実際は職人街に住む全員のことを知っているわけではなかったのだが、アレクサンドライトは啖呵を切って近くで様子をうかがっていた機械工の一人に同意を求めた。
腕を組んで傍観を決め込んでいたひげ面の職人は「確かにお前以外に知らんな」と同調する。まわりを囲む職人街の連中も知ってるか?知らない、と目配せし合ってアレクサンドライトの言葉に頷いていた。
こちらに同調する空気にわずかに尻込みした男たちに、畳みかけるように叫ぶ。
「だいたい辺境伯様がこんなところに来てたら、とっくに話題になっちまってるだろ?もうちっとよく考えたらどうだ?変な言いがかりつけてんじゃねえぞ!」
「そりゃそうだ!」
「いいぞ、アレクサンドライト!」
ほとんど勢い任せの言葉だったが、これで野次馬の同情は完全にこちらへ流れてきている。だいたい一介の機械工と辺境伯がお近づきになるという可能性など、恋愛小説でなければありえないほどに現実味がないのだ。ありがたいことに男たちの言葉を信じた者たちはいないようで、職人街の人間は唐突に突飛すぎるクレームを入れた男たちに非難の目を向けている。
これで彼らは、完全に気おくれしてしまったようだ。最初にアレクサンドライトの前に出てきた男がもごもごと口を動かし、やがてぎろり、とこちらを睨みあげる。
「必ず証拠を見つけてみせるぞ…。お前たち一家を追い出してやる」
苦し紛れにそれだけ言って、今度は強い視線を路肩に避けたティリに向けた。勝気な娘は負けずに睨み返したが男たちは意に介すことなく、むしろ忌々しげに彼女を見つめて去って行く。
謝りもしないその態度に、アレクサンドライトはぶしゅう!と大きく蒸気を吐き出した。
職人街に似合わない上物の服を着た背中が完全に見えなくなって、見つめていた野次馬も騒動の中にいたアレクサンドライトたちも、ようやく肩の力を抜いた。戸惑いながらも日常へ戻っていく職人街の者たちは「大変だったな」「何だったんだ、あいつら」とこちらに同情しながら去って行った。
その言葉に軽く頭を下げながら、ティリが固い顔でこちらに駆け寄ってくる。
「ありがとう、アレク。大丈夫だった?」
「あんな奴らどうってことねえよ。それより…」
「うん…」
ちらりとセンサーをティリへと向けると、彼女はぎゅっと唇を噛んでうつむく。不安を抑えきれない仕草に、アレクサンドライトは「なんなんだろうな」とそれを拭い去るように静かな声で呟いた。
「執事か弟の野郎が、誰かにもらしたかな?」
「辺境伯様のことはウインドマリー家でも醜聞だもの。下手に誰かに言うわけないと思うけどな」
「まあ、そうだな…」
恐らくウインドマリー家では辺境伯の婚約破棄騒動と『時計塔のアレクサンドライト』のことは箝口令を強いているはずだ。無論それは使用人に対してもそうだろうし、もし知れ渡ったとなれば口外したものの解雇は免れない。
だが先ほどの男たちは…都合のいいように湾曲はされているようだが、ロイロットの浮気とアレクサンドライトのことを知っていた。これはウインドマリー家からではないと伝わらない噂だろう。
ほどけない疑問の糸に二人が唸っていると、背後からトストが恐ろしく冷静な声を出した。
「お前たち、何か良くないことに関わろうとはしてないか?」
釘を刺すようなその言葉に二人はぎくり、と身を強張らせて、恐る恐る老職人を振り返る。気配無く後ろに立っていたトストは、レンズの奥に冷たい目を光らせて厳しい顔でこちらを見ていた。
その目に酷く責められているような気がして、アレクサンドライトは困ったように蒸気を吐き出しながら「あのよお…」と声を出す。
「トストだって気になるだろ。この前から変な言いがかりつけられて…。変な噂流した奴とっちめてやろうと思わねーのか?」
「まあ、一理あるな。このままでは仕事にも支障が出そうだ」
「だろ?」
僅かに声のトーンが上がった己をたしなめるように視線を強くしてトストは、毅然とした口調と態度でアレクサンドライトに告げた。
「だがとっちめると言うのはよろしくない。それにこの件は私が知り合いに探りを入れてみよう。お前たちは首を突っ込むんじゃないぞ」
「…」
やる気をくじくような言い方をして老職人は歩き出すと、二人を通り越して自宅のある方へと帰っていく。その背中を見つめながらアレクサンドライトは「頑固ジジイめ」と悪態をついた。
老職人のそのぶっきらぼうさは自分たちを危険から遠ざけようとする不器用な優しさだとはわかってはいるが、まるで頼りないと烙印を押されたようでいやになってしまう。
ティリは今年で16だし、アレクサンドライトも製造されて同じ年月が経つ。少なからず彼の力になることは出来ると思うのだが…。
そこまで考えて、ふと隣にいるはずのティリが先ほどから何も喋らないことを不思議に思った。どうかしたのかと顔をのぞいて「ティリ?」と名前を呼べば、彼女はパッと顔を上げてアレクサンドライトを見上げる。
「ねえ、アレク。おじいちゃんの仕事、大丈夫かなあ?」
「は…?」
「さっきの人たち、貴族では無いと思うけど…。裕福層の人たちだよ。クラスタインさんもこの話知ってたのかな?知ってて何も言わないでくれてたのかな…?」
言いながら再び視線を俯かせてしまったティリに、アレクサンドライトもそうだ、と思いつく。
先ほどの男たちは貴族街から来たと自分たちで言っていた。貴族なのか成り上がり者なのかはわからない、だが彼らの身なりからしてもそれは嘘ではないだろう。それは貴族街に『時計塔のアレクサンドライト』の話が悪意をもって伝わっているという証明でもある。
見た目こそ穏やかなクラスタイン氏であるが、その正体は一代で成り上がった敏腕商人。彼ほどの男がその噂を知らないはずがなく、つまり今はそれについて追求する気はないということなのだろう。
「でもそんなのは多分今だけ…もっと噂が大きくなったらクラスタインさんも私たちとは距離を取るようになると思う…」
「それは…!」
違う、とは言い切れずアレクサンドライトの言葉は発生回路の奥へと押しやられていく。
トストとは昔からの縁があるクラスタインはそれゆえ自分たちには商売を抜きにして甘いが、醜聞を持つ一家と長く付き合えるかと言われればNOだろう。
彼とて自分の家庭と商いがある。多少であれば噂を払拭することにも協力はしてくれるだろうが、もし今日のようなことが幾度もあれば…。それに他の貴族街の人間も乗る可能性がある…―――。
その予感を体内の回路が訴え、アレクサンドライトはぶるりと装甲を震わせて、去っていくトストに視線を向けた。
老職人は自分たちが話している間に既に遠くに行ってしまい、その背中は小さく、人ごみに紛れている。その距離感に不安を掻き立てられて、アレクサンドライトは「トスト…」と小さく呟いた。
「せめて、誤解を解けないかな?みんなにわかってもらえればこんなこと…」
「噂がどっから出たのか、確かめたほうがいいのかもな…」
雑踏に消えていく老職人を見送って、二人は顔を合わせて同時に頷く。そうすることで這い寄る不安を無理やり払いのけようとしていることは、アレクサンドライトにもティリにもわかっていた。