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05

ウインドマリーの貴族街は蒸気と歯車で雑多な錆色の街の中で唯一、洗練されて上品な場所だ。

白い壁の建物が連なり、上等な服を身にまとった紳士淑女が馬車に乗って道をゆく。お供をしている機械人でさえ瀟洒な身なりをしており、とてもこちらと同じ歯車と回路が積み込まれているとは思えなかった。

職人街の喧騒と慌ただしさに慣れているアレクサンドライトは、ここへ来るたびに装甲がむずむずしているような感覚がしてたまらなくなる。しかし同じ育ちのはずなのにティリは違うのか、平然とした顔でバイクを運転していた。


いつも通りアレクサンドライトをサイドカーに乗せたバイクは、目的の屋敷の前で止まる。大きな門と広い庭(このあたりの建物は皆そうだが)、そして緑色の屋根が特徴のその屋敷には幾度か来訪したことがあった。見慣れた景色がようやくアイセンサーに映り、心から安堵した。


「クラスタインさま、ご注文の品をお届けに参りました」


バイクから降りたティリが門についている呼び鈴を鳴らすと、顔見知りの執事がすぐに出てきて、二人を中へ通す。屋敷の中ではなく裏庭へ案内され、たどり着いたところは色とりどりの薔薇が咲き誇り、蒸気に煙るウインドマリーにしては珍しく日当たりのいい場所だった。

成金商人、マリス・クラスタイン氏はそこで白いチェアに腰かけ、優雅に紅茶を飲んでいた。


「やあ、ティリ君にアレクサンドライト君。置時計を持ってきてくれたんだね」


少しだけ小太りの中年商人は、アレクサンドライトとティリの姿を見つけると、柔和な顔をほころばせて歓迎する。アレクサンドライトが思わず「おっちゃん」と呼んでしまうほど親しみやすく気安い雰囲気を持つ彼が、戦後その敏腕でひと財産を築いたやり手とはとても思えなかった。

すっかり修理を終えた置時計を抱えてティリは、申し訳なさそうな顔でクラスタインに近づく。


「クラスタインさん、その、すみません。聞き及んでいらっしゃるとは思いますが…」

「ああ、この前の泥棒事件のことだね。いいよいいよ。時計は取り返してくれたんだろう。それに、君たちに怪我がないのが一番だ」


椅子から立ち上がった商人は大丈夫大丈夫と笑いながら、置時計を自ら受け取り、傍らのテーブルに置く。日の光を浴びて金色に輝く置時計をためつすがめつ眺めて、クラスタイン氏はぜんまいを取り出しカギ穴に差し込むと、ゆっくりと回した。

動力を受けた歯車はかちりと回り、時計はその役目を果たし始めた。こちこちと言う心地いい音とともに、下部についている振り子が左右に揺れる。

柔和な商人は愛おしいものを見るかのように目を細め、そしてティリとアレクサンドライトに再び目を向けた。


「うん、大丈夫みたいだね。ありがとう、今回はティリ君が直してくれたんだったね」

「はい、最善を尽くしました。もし何か不備があればお申し付けください」

「いや、大丈夫だろう。流石ティリ君だ。君は立派な機械工になるだろうね」


本当にありがとうね、とクラスタイン氏は成金商人とは思えないほど丁寧に腰を折る。いい茶葉が手に入ったんだがと茶に誘われたが、それはティリがこの後も仕事があるからと丁重に断った。


「しかし泥棒は、どうしてこの時計を盗もうと思ったんだろうねぇ。確かに貴族しか持ってないものだけど、それほど高いものというわけではないのに」


テーブルに置かれた時計を不思議そうに見つめながら、クラスタイン氏はぽつりと呟いた。アレクサンドライトはさて?と首を傾げたが、ティリは何事か考えているのか、眉と眉の間を詰めながらじっと彼女が修理した時計を見つめていた。

再び心臓を動かし始めた金色の時計は、何も語ることなくただ美しく光を反射しながらティリとアレクサンドライトを見つめていた。



クラスタイン氏の屋敷から職人街へと帰還すべくバイクを走らせているティリだがどうにも上の空の様子だった。サイドカーに乗るアレクサンドライトはその横顔を見つめて頬杖をつく。左右違う色のアイセンサーが捉えたティリの表情は険しく、考えに没頭していることがよくわかった。

アレクサンドライトはぶしゅう、と大きく蒸気を吐き出して、少しだけ強めの口調で彼女に告げる。


「おい、前ちゃんと見ろ。事故るぞ」

「え?あ、ああうん。ごめん」


はっとした目を瞬かせてティリは、ハンドルを握りなおす。眉間に寄ったしわこそ無くなったがしかしその顔はやはり何処か浮かないもので、アレクサンドライトは再び深く蒸気を吐き出した。


「置時計のこと、気になってんのか?」

「…うん」


蒸気エンジンの音に掻き消えそうなほど小さな頷きは、いつも快活なティリらしくない。再び眉と眉の間に深い溝が刻まれてしまった彼女に、アレクサンドライトは回路にじれったい疼きが走るのを感じながら尋ねた。


「気になってんのはあの時計が盗まれたことか?それとも辺境伯のことか?」

「その全部、かな。でも一番気になるのは『時計塔のアレクサンドライト』のことだよ」


それを聞いて、アレクサンドライトは口をつぐむ。

『時計塔のアレクサンドライト』。最初は街の時計塔の整備の時に、そして次は泥棒事件のときに姿を見せた正体のわからないものの名前だ。己の名前が入っているために何とも居心地の悪い思いをせねばならず、今回もまた装甲に気持ちの悪い寒気が走ったような錯覚がして身震いする。自分の名前がティリの気がかりになっているのならなおさら嫌な感覚がした。

何と言っていいものか言葉を探す間もなく、ティリは悩ましげに言葉を続ける。


「この前の泥棒もアレクサンドライトって言ってたでしょ。あれってゴードンさんが言ってたのと同じもののことだよね…」

「まあ、そう、なんだろーな…」

「どうして『時計塔のアレクサンドライト』のことをあの泥棒が知ってたのかな?それに、どうしてそれがうちにあると思ったのか…」

「おいティリ…」

「もしかしてこの前の泥棒って、辺境伯の関係者なんじゃ…」


言いながらティリは、ちらりとアレクサンドライトを見た。己の視線がかちりと彼女のものと交差する。

あまりにも不敬な言葉だったが、否定するには信憑性がありすぎる。アレクサンドライトと泥棒たちが大捕り物を繰り広げた夜、辺境伯が職人街にいたこともこの疑惑に拍車をかけていた。

視線をすぐに前に戻したティリにアレクサンドライトは、一、二拍口ごもったあと、「でもよ」と恐る恐る切り出した。


「辺境伯が『時計塔のアレクサンドライト』を探せって言ったんだろ?辺境伯がそいつの正体を知らないのはおかしくねえ?」

「あ、あー…。うん。そうだね。…じゃあその、弟様が?いや、そもそも辺境伯の家が犯人だったらわざわざ泥棒なんてしなくてもいいよね」


適当な理由をつけて、トストの家を家探しでもすればいい。そのくらいの権限を行使しようとも、文句は出ようが問題はないはずである。

むしろ行使してくれた方がティリたちの無実は証明できるのだし、お互いにこんなに嫌な気持ちが長引くことは無かっただろう。まあ探しに来ないということは、そこまで強い疑惑ではないと言うことかもしれないが。


「そもそも、『時計塔のアレクサンドライト』ってなんなのかなあ?」


言いながらティリはまた難しい顔をする。次々に湧いてくる疑問に、アレクサンドライトは回路がこんがらがりそうだった。

ウインドマリー家の執事ゴードンと辺境伯の弟エリウット・ウインドマリーはそれを女の名だと思い、己にたどりつきトスト一家に疑いの目を向けた。先日の泥棒たちは恐らく同じルートで自分に目をつけ、丁度家にあった置時計をそれだと思った…のだろうか?

つまりこの事件に関与している者たちは皆『時計塔のアレクサンドライト』について何も知らないということになる。―――ロイロット・ウインドマリーを除いて。

とても頼りになりそうにない腑抜けた辺境伯の顔を思い出し、アレクサンドライトはげんなりと視線を空へ転じた。


「時計塔って言うと、あれもそうだよな」


相も変わらず灰色に曇る空の下で大きくそびえたつ、レンガ造りの時計塔。ウインドマリーの発展と技術のシンボルとなっているそれは、今日も変わらずに勤勉に時を刻んでいる。

ウインドマリーで『時計塔』といえば、この街のどこにいてもその姿を確認できるあの巨大なからくり仕掛けだろう。

「時計塔って言葉を聞けばまず真っ先にあそこに行きそうだよな」、と軽く笑えば、ティリは神妙な顔でちらりと時計塔を一瞥した後、静かな声で言った。


「もう行ったんだと思うよ」

「あ?」

「実はこの前、時計塔を整備したとき、誰かが入った跡があったの」


唐突すぎる告白に、アレクサンドライトは驚きにアイセンサーをちかちかと点滅させた。

聞けば時計塔内に保管してある予備部品たちが動かされた形跡があり、自分たちのものでは無い足跡があちこちについていたらしい。まるで何かを探しているかのようなその跡にティリもトストも首を傾げたと語る。だが鍵がこじ開けられたわけでもなく、盗まれたものもないし目立ってどこかが故障している様子もない。

時計塔はウインドマリーのシンボルだがすぐに換金できるものなど保管しておらず、いたずら目的にしては何もなさすぎる。一応警邏隊に報告だけしてその場はおさめたらしい。


「それに時計塔の鍵を持っているのはうちだけじゃないし、その人たちが入ったんだと思って気にも留めなかったんだけど…」

「おい、その鍵を持ってるのって…」

「うん、ウインドマリー家…。辺境伯様のおうちだよ」


センサーと同時に、体内の歯車がおかしな動作をした感覚が、アレクサンドライトに走る。

それは人間で言う混乱状態だったのだが、アレクサンドライトはようやくティリが伯爵家に色濃い疑いの目を向けているのか理解した。こうまでウインドマリー家がいたるところでその気配を現せば、ティリじゃなくとも疑いたくなるというものだろう。

がたがたと奇妙な音を立てる歯車の感覚を持て余しながら、アレクサンドライトはぎゅっとハンドルを握り続けるティリの横顔に再び目を向ける。

翡翠のように美しい緑の瞳は不安に揺れて、薄めの唇をきゅっと噛みしめている様はどこか痛々しく、アレクサンドライトは無意識に蒸気が漏れたのを感じた。

ティリにこんな顔をして欲しくない。なんとかフォローする言葉はないものかと頭部にある回路に一生懸命信号を送っている最中、にわかにティリが慌てたような声を出した。


「ねえアレク!あれ、どうしたんだろ?」

「ん?あ、え?トストか?」


唐突のことで反応が遅れたが、彼女の視線をたどるとそこにはトストの姿がある。

どうやら自分たちが考えあぐねている間に職人街へ帰還していたらしく、まわりは既に馴染みのある雑多さと喧騒に満ち溢れていた。

老職人がいたのは、その往来の真ん中。酷く難しい顔をして、真っ直ぐに前を見据えている。それに対し、立ちふさがるようにトストと睨みあっているのは、数人の背の高い男たちだった。

彼らの着ているものが上流階級の人間たちが好むデザインの上等の服だと理解したとき、アレクサンドライトの装甲を嫌な予感が駆け巡る。


「おい、ティリ!」

「うん、行こうアレク!」


こみ上げる焦りを言葉で封じ合い、アレクサンドライトとティリは速度を上げてその現場へと向かった。

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