04
ウインドマリー辺境伯の乱入を除けば―――問題なく騒動が終わって、その後始末も滞りなく終息し、翌日。
アレクサンドライトはティリに連れられ、ウインドマリーの中央警察署へと足を踏み入れていた。仕事でもなければ来ることもない場所にいるのは、修理を頼まれていた例の置時計が昨晩の事件の証拠として押収されてしまったためである。
警邏隊が泥棒の身柄を確保するとともに時計を調べたいから預からせて貰うと告げたとき、ティリは見るからにしょんぼりしてしまったし、それを見てアレクサンドライトは回路が焼ききれるかと思うほどの怒りを覚えた。
もっとも時計自体はそれほど重要視されてはいなかったようで、今日の朝には「お返しします」と連絡がきたのだが。
「ったく、返すんならてめえらが届けに来いよな!誰の税金で食ってると思ってるんだ?」
「ちょっとアレク、声大きい!…でも、そうだよね。証拠品って届けて貰えるものじゃないのかな?」
アレクサンドラを咎めながらも、ティリの眉は不機嫌に寄っている。大切な顧客からの預かり物であり、さらに自分に任せてもらっている仕事をぞんざいに扱われているようで、不満なのだろう。アレクサンドライトもまったく同意見で、責任者にあったら文句の一つでも言ってやりたいと内心毒づいた。
静かにうるさく会話しながら二人が歩くウインドマリー中央警察署内は、鋼色の街に似つかわしくないほど瀟洒な内装をしている。ただし内部の騒がしさは、職人街の活気を思い起こさせた。
シンプルだが品のいい受付机で女性が電話対応に追われ、体格のいい男と機械人の捜査官が何やら奥の机で話し込んでいる。資料らしきものを持って慌てて走る男の姿も見に留まった。
用事のため訪れているのか、明らかに町民とわかる服装の者たちが幾人か受付前の長椅子に座っており、アレクサンドライトは自分たちの日常と非日常が混ざり合った世界に来た錯覚を覚えた。
受付でティリが名前と要件を伝えると、年若い受付嬢が電話でどこかへ取り次いだ後、「こちらへどうぞ」と立ち上がる。彼女の後ろをついて行くと、廊下の一番奥の部屋に通される。ここで待つようにと言い残し、受付嬢は去って行った。
部屋は応接室より少しだけ格が下がったような、大きな机と椅子がいくつか置かれた広い部屋だった。綺麗に掃除がしてあって、普段は会議室にでも使っているのかもしれない。
しばらく雑談しながら待っていると、やがてノックの音が聞こえたあとに、ドアを開けて年若い男…否、少年ともいえるような年頃の人物が一人思い靴音とともに入ってきた。
まだ大人になり切っていない体を上等な服に包んでいるその様子は、どことなく見覚えがある。
少し癖のついた茶髪と太めの眉。そしてあどけなさが目立つその顔立ちをいったいどこで見ただろう?言いようのない既視感に、アレクサンドライトは視覚センサーを点滅させる。隣に座っていたティリも、「あれ…?」と首を傾げていたから、自分と同じ感想を抱いたのだろう。
少年は目を白黒させる二人の前に静かに座ると、腕に抱えていた布の包みを前へと差し出した。
「これが預からせて頂いた置時計だ。確認してくれ」
「あ、…はい。わかりました」
促され、ティリがおずおずと頭で結ばれた布をほどき、現れた置時計を観察する。それは紛れもなく昨日の騒動の主役となった時計であり、間違いないとわかると彼女はこくりと一つ頷いた。
「はい、これです。間違いありません」
「傷や破損はないか?」
「はい、大丈夫です。ご心配頂いてありがとうございます。…あの、」
歯切れが悪そうにティリがちらりと少年を見つめると、彼は表情一つ変えずにアレクサンドライトとティリを交互に見詰めてゆっくりと口を開いた。
「私はエリオット・ウインドマリー。現辺境伯、ロイロット・ウインドマリーの弟だ」
「あ、え…、弟さま…!その、さっき立ちもしないでご無礼を…」
慌てるティリを横目で見守りつつ、そうか、あいつの血縁者か、とアレクサンドライトは思った。
辺境伯ロイロット・ウインドマリーの弟、エリウット・ウインドマリー。目の前にいる少年はティリより若干年上だろうか?それでも昨日見た飲んだくれの伯爵よりもずいぶんしっかりして頼りがいがありそうに見えた。
何を考えているかわからない固い表情でエリウットはティリの様子を見つめたあと、「そのままいい、気にするな」と彼女を落ち着けて、小さく息を吐いた。
先ほどは悪態をついていた流石のティリも、辺境伯の弟が出てくるとは思わなかったのだろう。すっかり恐縮しながら言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「ええと、その。それで、エリウット様がどうしてわざわざここに…」
「それは君が、一番よくわかっているのではないか?」
答えたその言葉の意味が分からず、そしてその口調にやや傲岸不遜なものを感じて、喧嘩っ早いアレクサンドライトはもちろんティリも体を固くする。
無表情だったエリウットはすっと冷たく目を細めて、やや凄みを利かせた声色で尋ねてきた。
「ロイロット兄さん…いや、ロイロット・ウインドマリーは今どこにいる?」
「え?」
「あ?」
「ロイロット・ウインドマリー…この街の辺境伯だ。君は彼の居場所を知っているんだろう。昨晩君と話していたという情報もあったぞ」
またその話か、とアレクサンドライトは頭の回路がかっと熱を持ったことを自覚した。
昨日、ウインドマリー家の老執事ゴードンがティリに問いかけてきたばかりである。ここにいる少女が辺境伯の不貞の相手だと決めつけて高圧的な態度をとってきた執事の顔を思い出し、怒鳴ってやろうとアレクサンドライトはがたりと音を立てて椅子から立ち上がり掛ける…が、それを隣にいるティリが制止した。
「おいティリ!」
「落ち着いて、アレク。大丈夫だから」
言いながら彼女の視線は己から部屋のドアへとちらりと動いた。会議室の扉は警察署という場所における防犯のためなのか、酷く薄い作りになっている。外で誰かが聞いているかもしれない。辺境伯の弟ともなれば護衛がついてくるだろうから、外で何者かが待機している可能性が高い。
もし彼に掴みかかっているところへ踏み込まれたら、不敬罪に問われるのはこっちだ。それを理解してアレクサンドライトはゆっくりと椅子に戻り、ぶしゅう、と蒸気を吐いた。
一連の二人の動作を無感動に見つめてからエリウットは、今一度「知らないのか?」と尋ねる。ティリは彼の冷たい瞳を真っ直ぐに見つめて、動揺することなく口を開いた。
「ゴードンさんにも言いましたが…私はロイロットさまとは何の関係もありません。昨日まで、会ったことはありませんでした」
「昨日?と、言うことは話していたというのは事実なのだな」
「少し違います。昨晩の泥棒騒動でロイロットさまが偶然居合わせたんです」
「偶然…?」
エリオットがその凛々しい眉を、やや神経質そうに跳ね上げる。幼さが残るとはいえ作りのいいその顔に一瞬でも苛立ちの表情が浮かぶのをみれば、たいていの人間は緊張するだろう。ティリも例外に漏れなかったようで、机の下でぎゅっと拳を握りしめるのを、アレクサンドライトは見た。
目の前にいるのが地位のある人間でなかったら…つまり殴っても喧嘩両成敗で終わらせられるような相手なら、とっくに飛び出していた。ぎゅりぎゅりと体内の歯車を不機嫌に回しながら、左右色の違うセンサーをエリウットに向ける。少年貴族はちらり、とこちらをを見てすぐ、ティリへと視線を戻した。
「事件が起きたのは職人街だと聞いている。ウインドマリー辺境伯は何故そんなところに?」
「それは…わかりません。犯人が捕まったと思ったら、急に現れたんです」
「君に会いに来ていたのでは?」
挑発するかのような物言いに、ついにアレクサンドライトの堪忍袋の緒が切れた。大きな音を立てたのも気にせず椅子から立ち上がると、人よりもずっと体格のいい己の体をエリウットに近づけて威圧的に睨みつける。
「んなわけあるか!ティリは巻き込まれたんだっ!それにあいつは、昨日は別の女と歩いていたぜ!」
「アレク!」
隣でティリが己の体を押さえて咎めたが、アレクサンドライトはエリウットに怒りの態度を示すのを止めない。対して少年貴族はわずかに体を逸らしたものの、決してこちらから視線を外すことはせずに、慌てた様子もない。
肝が据わっている。流石は貴族と場面が違っていたら言っていたかもしれないが、今はこちらもそんな余裕は無かった。
「おおかた、あの女の家が近くにあったんだろうさ!はは、笑っちまうぜ!貴族様が堂々と浮気なんてな!」
「アレク、もういい、もういいから!ちょっと落ち着いて!!」
「女、というのは、君たちも知らない女だったのか?」
「ああ、知らねえ女だな!どぎつい化粧した女だったぜ!お付きも一緒でご苦労なこった」
その時、激昂するアレクサンドライトにも動じることの無かったエリウットの目がぴくりと見開かれ、呆然とした様子で「お付き?」とその部分を繰り返した。
怒りで蒸気を吐き出していたアレクサンドライトは一瞬、おや、と思ったが、威圧感だけは崩さずに初めて見せる彼の少年らしい表情を睨みつけ、そうだと頷く。
「銀色の、俺と同じ戦闘タイプの機械人だ。ずっと辺境伯さまのことを見てたみてえだったな」
「…」
それを聞き、エリウットは核心を深めた顔をして、無言で俯く。が、一瞬だけその少年にしては厚くふっくらとした唇が「スティング…」と動いたのを、アレクサンドライトの左右色違いのセンサーが捉えた。
一瞬できたその隙を逃さず、様子を窺っていたティリが緊張した面持ちで言葉を選びながら静かに尋ねる。
「どうしたんですか?その機械人が…何か?」
「いや…いや、何でもない。とにかく、君とウインドマリー辺境伯のことは誤解であるようだな」
「え、…え、まあ、はい」
「ならば、本当に申し訳なかった。わざわざご足労頂いてすまない。こちらの誤解で、手間もかけさせてしまった」
あまりにも急な態度の転換に、ティリはもちろん怒りで回路が焼ききれんばかりだったアレクサンドライトもぽかんとエリウットを凝視する。呆然とした二人の視線を受けながら少年貴族は椅子から立ち上がると、なんとそのまま、深々と腰を折った。
これには流石に、ティリが慌てて立ち上がった。
「え、あの、頭を上げてください。その、誤解だとわかって貰えればいいんです…」
「許していただけてありがたい。本当に申し訳なかった。トスト氏には、これからもわが街の機械工として存分に腕をふるってもらいたいと思っている」
「はあ…」
ここまで言われてしまっては、恐縮のしっぱなしで、疑問を投げかけるどころではない。アレクサンドライトもどうしていいかわからず、額に汗を浮かべるティリの横顔と、いまだ頭を下げ続けるエリウットを交互に見つめていた。
ええと、ええと、と言葉の出ないティリの前で、エリウットはようやく頭を上げる。その顔には笑みが浮かんでいたが、…気のせいだろうか、その瞳がわずかに虚ろだったような錯覚を覚えた。
「昨晩の泥棒たちのことがわかったら、真っ先に知らせよう。もし何かあったら、また尋ねてきてくれ」
その言葉にはしかし、嘘は感じられなかった。感じられなかったことが、不自然だった。