03
黒ずくめの男たちが件の置時計を盗んだ悪漢と気付いてアレクサンドライトは、ティリを残して窓から飛び出した。がちゃん!とさらに激しく窓枠が破損した気配がしたが、そんなことを気にしている場合では無い。
街灯のみが煌々と光るウインドマリーの職人街。闇が深いと言えど人通り皆無の道で男二人の影は目立ったが、車のエンジンをかける音がして、アレクサンドライトは苛立ちに蒸気を吐き出す。
もう一人、逃走手段の車を運転する仲間がいたのだ。
アレクサンドライトは闇夜を切り駆け出す。逃走していた男たちは少し離れた路肩に止まっていた自動車に乗り込むところだった。
「待ちやがれ!ドロボウ野郎!!」
熱い蒸気とともに吐き捨てた怒号はむなしく闇の中に消える。声を聞き届けることもなく男たちは、響く蒸気音とともにアレクサンドライトから走り去った。
機械人の長い脚をもってしても、蒸気自動車の速度に追いつけるわけではない。どうするべきか…と一瞬考えて、アレクサンドライトはふと腕を見た。歯車と空管が積み込まれた己の緑色の装甲の中にはもう一つ、組み込まれているものがある。
腕を遠くにある家屋の屋根に向け、普段はトストの手伝い時にしか使わない『それ』を射出した。
「…っ」
勢いに僅かに体躯が揺らぐ。
ばしゅう!と音を立てて腕の下部から飛び出したそれは、作業用のワイヤー。
先端に取り付けられたフックが空気を切り裂き、狙った場所にがちゃりと引っかかる。それを歯車が確認した刹那、ワイヤーを短縮。鋼の体が空を飛んだ。その勢いと遠心力で一気に車との距離を詰める。が、車はまだ先を走っていた。
腕をひねってフックを外す、体が落ちる、前にさらに遠くの屋根へ向かって再びワイヤーを放つ。外灯に彩られた夜の景色が高速で前から後ろへ過ぎ去っていく様は、幻想的ですらある。
絵物語の中と見まごう世界の中でワイヤー移動を繰り返せば、やがて逃走者へ追い付いた。どうやら車に乗っていた男たちもアレクサンドライトの追跡に気が付いたようだ。
こちらを見上げて何事か叫ぶような声が聞こえた後、男たちが懐から銃を取り出したのを目視する。
センサーや関節部分当たらなければ、この距離で鋼の体を持つアレクサンドライトを倒すにはいたらない。しかし武器の使用が基本的に禁じられている『テトラトル』で、あんなものを簡単に取り出せる人間とは何者だろう。
「てめえら!!何者だ!!」
答えが返ってくると思って発した言葉ではないが、やはり男たちは何も言わなかった。ただ恐ろしい声を出してこちらを威嚇し、発砲してくる。鋭い音と共に何かが頭部の脇を過ぎ去り、背後の壁に当たった。
自分は大丈夫だがこのまま発砲させておくのは大きな事故につながりかねない。人の姿が見えないとはいえ、誰かに当たる可能性がないわけではなかった。じゅうと己の蒸気音を後ろに残して、アレクサンドライトはフックワイヤーさらに遠くへ引っかけた。遠心力が体を遠くへ連れて行く---同時に、ワイヤーを伸ばし切る!
「!」
「う、うわっ!!」
ぐん、と体が車へと接近し、男たちの叫び声が聞こえた。ワイヤーの長さが足りなくなる前にフックを外し、アレクサンドライトは勢いをつけて車のボンネットに降り立つ。がしゃん!と己の重さに対する悲鳴が上がった。
ハンドルを握っている男の目が大きく見開かれ、まぬけに開かれた唇から「あ、あ」と息のような言葉の断片が漏れている。彼が、否、車中の彼ら全員が呆気にとられているうちに、アレクサンドライトは人間よりも長く太い腕を伸ばした。
三人が詰め込む狭い車内、目的の置時計は一人の男の膝の上にあって、問答無用でそれを奪い去る。
「おい、そいつを返してもらうぞ」
「あ…あ!おい!貴様!!」
「ああ、それと、もうすぐ壁だぜ」
「え!?」
さらりと言って、彼らが再び銃を構える前に、アレクサンドライトはボンネットから飛び去った。地面に足をつける時、腕の中のものを破損させないようにしっかりと抱え込むことも忘れない。
己のつま先がかしゃんと路面に触れたとき、背後で何かがぶつかる衝撃音が響いた。置時計に傷がついていないかよく確かめたあと(と、言っても己には細かいところはわからない、あとでティリに見て貰おうと結論付けた)、ゆっくりと振り返る。
車は突き当りの廃材置き場に頭から突っ込み、ボンネットが大きく破損していた。車内の男たちは動かない、が生きてはいるようだ。タイヤが取れてくるくると回ってどこかへ行こうとしているのを横目で眺めていると、騒ぎを聞きつけたらしい住人達がぞろぞろと顔を出す。
あっという間にあたりは騒がしくなった。
「おい、警邏隊を呼んでくれ。ドロボウだ」
「なんだ、トストの所の機械人じゃねえか。こりゃあ派手にやったなあ」
「なんだい?お前のとこになんか盗むもんあったのかい?」
「あとそいつら銃持ってるぞ。気をつけろ」
「銃!なんだいなんだい、剣呑だねえ」
職人街の住人たちは好奇心を笑ってむき出しにしながらも、警邏を呼びに行ってくれたり、災難だったなと装甲を叩いてくれた。こちらに目立った被害がないとみての気楽な態度であるから、アレクサンドライトもぶしゅ、と蒸気を吐き出すだけにとどめる。
彼らとともに気絶した泥棒たちの様子を確かめていると、サイドカーにトストを乗せたティリがバイクを走らせてきた。
翡翠色の瞳がアレクサンドライトをとらえると、バイクを止めて走り寄ってくる。
「あ、アレク!大丈夫?大丈夫だった?」
「おー。こいつは取り戻したぜ。見たとこ傷はねえが、見てみろや」
「馬鹿!そうじゃないよ!アレクに怪我はないか聞いてるの!もう!無茶して!!」
差し出された置時計を一応は受け取りながらも、ティリはアレクサンドライトの体を調べた。まるで人間のように己を扱う彼女の勢いに押されてしまい、顔を近づけられ手でペタペタと触られたりを拒むことが出来ない。背後で「お熱いねえ」とからかう声色が聞こえてきたが、それにも反応は出来なかった。
公然といちゃつく(?)二人を放って彼らの保護者は、泥棒たちの様子を見ている一団へと混ざっている。顔を隠す布を取られた男たちを見て、首を傾げていた。
「知らんな。何者だ?」
「ただのコソ泥じゃねえか?放っとけ、銃は取り上げた。もうすぐ警邏隊が来るよ」
「あ、おじいちゃん。その人たちこの時計を見てアレクサンドライトって言ってたよ」
己の体をためつすがめつしていたティリが、祖父に視線を向ける。孫娘の声に振り返ったトストが、険しい顔をさらに険しくさせて「どういうことだ」と唸り声をあげた。
アレクサンドライトも老職人の言いたいことがわかって、ティリの腕の中にある置時計の金色の輝きにセンサーを移す。
「これが、俺?そんなわけねーだろ?あ、いや、待てよ、確かあいつら…」
ただのアレクサンドライトではなく、『時計塔のアレクサンドライト』と言っていた。
己が先刻のことを思い出したのと同時に、ティリがこちらを見上げた。彼女も気付いたのだろう。緑の瞳が不安げに腕の中の時計と、アレクサンドライトを行き来している。その唇が何かを語ろうと開かれたとき―――、ふと騒がしかった人の声が収まっていくのを聞いた。
「おいおい、気持ちよく飲んでいたっていうのに。いったい何だっていうんだ」
静かにどよめく職人街の住人たちの間を縫って登場したのは、上等な服を着た体格のいい青年だった。
一瞬警邏隊の者かと思ったが、すぐに違うと首を振る。酒に酔っているのか彼は赤ら顔で、化粧の濃いあだっぽい女が腕に絡みつくようにしなだれかかっていた。商売女とその客だろうか?
あまり印象の良くない男の登場にアレクサンドライトとティリがそろって眉を寄せると、トストがはっとした顔で青年の顔を見た。
「ロイロット・ウインドマリー辺境伯…」
「え?」
「こいつが…?」
他国の令嬢との婚約を破棄した辺境伯。『時計塔のアレクサンドライト』という言葉を発した張本人。
思わず凝視してしまった二人に、ウインドマリー辺境伯は茶色のくせ毛をがりがりと乱暴にかいて酒のせいかどろんと澱んだ青い目をこちらに向けた。
「ああ、僕がロイロット・ウインドマリー辺境伯さまだ。…あ?ああ、お前、機械工のトストか?あ?何があったんだい?」
「…は、ええ。実は先ほど作業場に盗人が入りまして。まあ、私どもに大きな被害は無かったのですが」
「何?」
ロイロットは太く形のいい眉を跳ね上げて、大破した車と寝かされながらも逃げないように足を縛られている三人の男に視線を転じる。僅かながら凛々しさを感じる彼の横顔に、もしや自分たちを心配しているのかと考えたがしかし、それは甘すぎる考えだと思い知らされる。
年若い辺境伯は真剣な顔から一転、はん、と鼻を鳴らして目を回している男たちに千鳥足で近づいていった。
「なんだなんだ、不細工な顔だなあ。おい泥棒!お前たちいったい誰の許可があって僕の土地で盗みを働いたんだあ?」
「ろ、ロイロットさま!危ないですよっ!!」
何と、酒に酔ったロイロットは地べたに寝転がされたままの男たちの前でしゃがむと、その顔やら体やらをまさぐり始めた。べたべたと顔に触れ、服の中やポケットの中に容赦なく手を突っ込む様は、いくら相手が不届きものであろうと失礼極まりない。
しかし構うこともないどころか笑うような「はは、どこもかしこも貧相だなあ」という辺境伯の声に、人間たちはもちろんアレクサンドライトも嫌悪感にぶしゅうと蒸気を吐き出してしまった。
こいつ、本当にこの街の貴族様かよ…。
上着を脱がし、ついに男たちのベルトを外し始めたロイロットに、げんなりと視線を外したアレクサンドライトはその先でふと異質な存在が立っていることに気付く。
普通の人、よりも高い背。夜なお目立つ銀色の装甲と太い腕と長くたくましい足。シンプルで飾り気のない頭部…目にあたる部分には真っ青に光る眼が二つ、ロイロットを見ている。
(俺と同じ、戦闘タイプの機械人…か?)
デザインは違えど、先の戦争で大量に作られていたタイプに間違いない。しかし、この職人街にも己のほかに機械人は住んでいるが、戦闘タイプの機械人はいなかったはずだ。全員と親しいわけではないが、かなり目立つ姿かたちをしていいるから知らないはずはない。注視するようにロイロットを見ているようだし、知り合いなのだろうか。
ひっそりと佇む銀色に何か不気味なものを感じて、アレクサンドライトは声をかけるべく発声回路を開いた…時だった。
「ああ!なんだ、ろくなもの持ってないな!つまらない、行こう!」
男たちの持ち物を漁るだけ漁ったロイロットがそう言って立ち上がり、アレクサンドライトの意識は途切れる。見れば辺境伯が真っ赤な顔を不機嫌に歪めて、ぱんぱんとズボンの砂を払っているところだった。地面で気絶している盗人たちは、哀れ衣服をほとんどはぎ取られている。
無様な様子に言葉を発することのできない人間たちを尻目に、辺境伯は再び女と腕を絡ませるように組んで、ふらふらと不安定な足取りで歩き始めた。
「つまらんつまらん!なあ、もっと楽しいことをしよう。よし、行くぞスティング」
「承知…」
「あ、おいちょっと…!」
スティング、とは銀色の機械人の名前だったらしい。ロイロットに呼ばれた機械人は慇懃に頷き、一度ちらりとこちらに視線を向けたあと、苛立ち交じりの辺境伯と女に追従した。
呆然とする一同を残し、彼らは背を向けて元来た道を戻って行った。