36
喧騒飛び交い慌ただしく人がごった返す飛行場内で、男たちが5人。人波をかいくぐりながら歩いている。
50年前の戦争において最前線であったこのフレイムミルは、機械産業が発展していて人口が多く夜なお外灯が灯り人の気配があることが常…であるが、今夜の騒がしさの比ではない。この都市で最も大きな飛行場であることを差し引いても、走り回る整備士たちと警備員の多さは異様だった。
だがそれも仕方なかろう、と苦々しく男たちは思う。
数刻前、隣国テトラトルの辺境伯、ロイロット・ウインドマリーが両国の平和を脅かす存在を捕えてこちらへ向かっていると連絡が入った。
いったい何があったのか詳しいことはまだ伝わっていないが、ただならぬ事態だということは整備士たちも他の職員たちも理解している。上部から万全の態勢でと言われた通り、わからないながらも彼らは職務を果たすため必死だった。
「まったく、人が多すぎる。…あの老婆、しくじりやがって」
「それは予想出来たことだったろう。所詮素人が上手くやれるわけあるまいよ…。しかしせめてフレイムミル嬢とウインドマリー辺境伯だけでも…」
「静かにしろ、聞かれるぞ」
先頭を歩くリーダー格の男にぴしゃりと言われ、男たちは会話を止める。自然と気配と足音も消えていくように静かになった。
しかし、ぽつり、ぽつりと会話していた自分たちを誰も怪しいとは思っていないことは明白。全員が警備員の格好をしているのだから当然だった。整備士ならともかく、今は外からも警護の人間が入っているのだ。この慌ただしさの中、流石に全員の顔を覚えているものなどいるはずがない。
その証拠に出入り口に立っている警備員と二、三言会話を交わすだけで、滑走路内に入ることが出来た。飛行機を誘導するための煌々とした光が瞬く薄暗いその道に、整備士たちが走り回っている。彼らのうち何人かは遥か遠く西の空を見上げており、男たちもそれに倣うようにふり仰いだ。
「来たぞ」
ぽつりとした、星の光かと思えるほど小さな瞬きが空に浮かび上がっている。
この飛行場に降り立とうとしているそれは、紛れもない飛行船であった。
次第に大きくなっていくそれを見つけて口元だけに薄い笑みを浮かべながら、男たちは他の警備員に混じり喧騒の中をさらに歩く。これだけ人の目が多くては自分たちの目的も達成するのが難しいことはわかりきっていたが、自分たちのほかにもまだ仲間が侵入している。
ちらりと腕の時計を確認すれば、指定した時間が迫ってきていた。
「そろそろだ」
男の一人が呟く。
刹那、それを待っていたかのように飛行場の外れで闇を切り裂くかのごとく大きな音が響いた。その振動は道路を揺るがし、人々の動きを止め、視線を釘付けにする。
夜の闇の中、ぽっと煌めく赤。一同の目に映ったのはめらめらと燃える炎と飛び散った金属の破片だった。
「爆弾だ!」
遠くで誰かが叫んだ。一瞬の静寂ののち、声を中心に動揺が広がっていく。
硬直し、その場を動けないもの。我を忘れてその場から逃げ出そうと走るもの。職務を全うしようとするもの。勇敢な警備員たちは彼らをまとめようと声を張り上げて、燃え盛る炎へと向かっていく。
暗闇の中で燃えるからこそ恐ろしく見えるが、実際はごくごく小さな爆発だ。しかし滑走路にいるほぼ全員の意識がそこに集中させることが出来た。
その隙に男たちは一心不乱に作業する。目的はあの飛行船をリングリラに降ろさないこと…それが不可能ならばウインドマリー辺境伯、フレイムミル侯爵令嬢を含めた、乗組員全員を殺害することが使命であった。
◆
ちらちらとしか見えなかった街明かりが次第に大きくなっていき、アレクサンドライトは運転席に座る機械の目から巨大なライトに照らされる巨大な滑走路を見つけた。
スティングに教えられた、フレイムミルで一番大きな飛行場…自分たちが着陸しなければならない場所である。そろそろと高度を落としていたアレクサンドライトは「ゆっくり気を付けて行けば大丈夫だ」と、ロイロットに元気づけられて巨大な光瞬く道路へと降りて行った。
離陸と着陸が一番難しいとスティングは言っていた。離陸は体験していないぶん、この一瞬に緊張感が高まる。
握りしめた操縦桿にさらに力を込めた―――瞬間、だんだんと近づいてきた滑走路の隅で、カッと赤い火花が散った。
「…!なんだ!」
コックピット内で一同が体を強張らせ、ロイロットが操縦席の後ろから顔を覗かせて叫ぶ。アレクサンドライトは思わず操縦桿から手を滑らせそうになったが、何とか気を取り直して眼前を睨みつけた。
激しく散った火花はそのままめらめらと真っ赤に燃え続けている。「爆弾か?」と小さく呟きながら警戒していると、また一つ違う場所で火花が散った。
「爆発物がいくつも仕掛けられているのか?これも反友好派の仕業か…」
「どうする?ロイロット?このまま降りるのは危なくねえか?」
爆弾など今までに見たことのないアレクサンドライトがやや戸惑いがちにロイロットに訊ねると、若き辺境伯は太めの眉を寄せてしばし唸ったあと、眼下で燃える炎を見つめてきっぱりと言い切った。
「このまま行こう。思ったよりも爆発は小さい、恐らく陽動だろう。私たちを混乱させて降りさせないつもりか、降りた途端に攻撃を仕掛けるつもりか、どちらかだ」
着陸には問題ない可能性が高い、と言う言葉にアレクサンドライトは頷く。どのみちこのまま上空で止まっていることも出来ない、他の飛行場に行くための燃料も無いだろう。改めて強く操縦桿を握りしめた。刹那、またしても眼下で火花が巻き起こったが、今度は躊躇わない。
「行くぜ!しっかり掴まってろよ!」
背後でロイロットとリリーナ、二人が頷いた気配を感じながらアレクサンドライトは飛行船の高度を下げて着陸のための準備をする。己の腕が未熟なせいなのか、それともゴンドラに穴が開いているせいなのか、船は大きく音を立てて揺れた。
鋼の装甲にぞくりと嫌な感覚が走る、もしかしたらそれは恐怖に等しい信号だったのかもしれないが、自分に構っている余裕は無かった。
ある程度地面が迫ってきたタイミングで車輪を出し、焦らずゆっくりと船を地面に下ろす。がくん!と大きく船体が揺れ、車輪が滑走路に当たって跳ねた。そのままもう一度バウンドし、アレクサンドライトは歯車が今にも停止しそうな思いをした。
だがその後は極めて静かに車輪は滑走路を滑り、スピードを落としていく。揺れは収まらなかったがそれでも確かに地面がそばにあることに、アレクサンドライトは安堵した。
―――速度を緩めた船は、やがてゆっくりと停止する。
勤勉な整備士や警備員が船が浮かないようしっかりと地上で繋ぎとめてくれたようだ。彼らは何事か言い合いながら、慌てた様子で昇降口まで走り寄ってくる。
振動が微弱なものになると、リリーナを支えていたロイロットがゆっくりと顔を外に向けてやってくる整備士たちを見つめた。彼は婚約者を気遣いながら、客席側にある巨大なガラス窓に開いた穴を見つめた。
「扉はこちら側から開かない…、あまりここに長くいても危険だ。あの穴から降りよう」
先ほどの爆弾でうっかり飛行船を爆破されては敵わないと、アレクサンドライトもリリーナも同意する。
機械の体に繋いでいた同線を絶ち、すっかり怪我人めいてしまった自分自身をロイロットとリリーナに抱えられながら、アレクサンドライトたちは冷たい夜風が入り込む穴に歩み寄った。
「すまない!怪我人がいる!救護班と機械工を呼んでくれ!」
ロイロットがゴンドラから身を乗り出して叫ぶと、すでに待機していたらしい何名かがこちらに走り寄ってくる。整備士の数人が慌てた様子で整備上へ行き、そして小さめのタラップを押して戻ってきた。
それを窓に寄せて、アレクサンドライトはロイロットの手を借りながらゆっくりと段差を踏みしめる。隣を歩く辺境伯の瞳が、きょろりと用心深くあたりを見回している。己もまたあたりを警戒したいが、傷ついた体は上手いように動いてくれない。
何事も起きないようことを祈りながら地面に降り立つ―――その時だった。
「ロイロット様!前に!」
二人の後ろを降りてきたリリーナが、危機を察して強く叫ぶ。
手前右側に向いていたロイロットの瞳がはっと正面に移動する…その時にはすでにいつの間にか近くまで寄っていた警備兵の一人が、こちらに向けて拳銃を突き出していたところだった。
その指が引き金にかけられている。アレクサンドライトの体では、防御も逃走も間に合わない。
前に出ていた二人は体を強張らせ、男の手から発射されるだろう凶弾の音を覚悟した。
「っ!アレク!やめて!」
しかしあたりに響いたのは聞きなれた愛しい少女の声。
あ、とアレクサンドライトが片方しかない目をちかちかと点滅させていると、拳銃を構える男の背後に警備員とは違う制服を着た男たちが駆け寄っていることに気が付く。彼らは男が少女の声に気を取られた隙を突き、その体を後ろから抑えた。
それを見て苦々しげに顔を歪ませ逃げようとした…恐らく仲間だろう警備員たちも次々に取り押さえていく。
「…あれは、お父様の護衛の…」
リリーナが呆然とした声で呟き、どうやらフレイムミル侯爵の命があったものだとアレクサンドライトも気づいた。
捕り物が終わると、彼らの中から小さな影がこちらに向かって飛び出してくる。
周りの勤勉な警備員たちはすわ新手か、と警戒したようだが、己の目にはきちんとそれが誰だかわかっていた。ロイロットに掴まりながら、今にも泣きだしそうな顔でこちらを見つめる少女に向けてゆっくりと手を伸ばす。
「ティリ!」
「アレク!アレク!大丈夫?怪我して…!アレク!」
張り裂けんばかりの声で答えた彼女…ティリは伸ばされたアレクサンドライトの手を握った。装甲に開いた大きな穴を見つけて、ついにその瞳から涙がこぼれる。
「ごめんな、無茶しちまった」とおずおずと謝罪したアレクサンドライトにしかし、ティリは泣き止むことは無い。よほど心配をかけてしまったということを改めて悟り、申し訳ない気持ちで少女の手を強く握り返した。
ぐすり、と鼻をすすったティリは、そっと顔を上げて震える唇を開く。
「馬鹿。でも、帰ってきてくれて、うれしい…おかえり、アレク」
「うん、ごめん。待っててくれて、ありがとう…ただいま、ティリ」
再びポロリとこぼれた雫を隠すように、ティリはアレクサンドライトの体を労わりながらそっと己の装甲に顔をうずめた。




